第7話 母なる水の精霊

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 火山地帯というのは、土が剥き出しになっていて白い岩もたくさん散らばっている。過酷で激しいところだとリーナは思う。

 ジンはガラスのような馬、ネーヴェを一休みさせてやっている。両の手のひらを丸めると、水の入った氷のコップを当たり前のように産んで、リーナに渡してくれた。リーナは不思議なことにはもう慣れっこだ。ひんやりとした水をごくごくと飲み干してしまう。


「ねえ。ジンは好きな人がいた? たくさん」


 ジンはこれから火山の女神との戦いに赴くらしい。なのに、自分は馬鹿だ、とリーナは思う。ユーガの家のお墓に手向けていた花のことなんか、こんな時くらい、忘れてしまえばいいのに。


「いたさ。リーナのおばあさまのルカのことだって大好きだった。リーナによく似た可愛い娘さんだったよ」


 ジンは穏やかな目で言って、遠くの太陽を見ていた。


「女たらし! そんな人、嫌いだよ!」


 リーナは顔を真っ赤にして言ったあとに、後悔する。ジンはリーナたちの村にもう戻れないのだろうか。


「長い時を生きてきたんだね」


 それだけ言って、遠くに黄金色に光るラギア火山の火口を見る。あそこに火山の女神がいるというの?


「リーナはここで待ってて。もし僕が負けたらば」


 ジンは懐から何かを取り出した。

 これは、ホタル石? 

 暗闇で光る、というけれど、この石は「ホタル石」の中でもなにか特別なものなのだろうか? ほんのりと、陽の光の中でも薄緑色に輝いている。


「もし僕が負けたら石が割れる。そうしたら、村に急いで帰ってほしい。君にしか頼めないんだ」


 ジンは怖い目をしてリーナに頼み事をした。

 リーナはうなずくしかない。


「わかった。気をつけてね」


 他になんて言葉をかければいいのだろう。

 リーナには、ジンにかけるべき言葉がわからない。


 ジンは目の前に大きな光の魔方陣を描いている。少し時間がかかっているようで、その表情は苦しそうだ。やがて、魔方陣の中から、水のように透けた女の人が現れる。小さな水の王冠をかぶっていて、高貴な存在なのがリーナにも一目で見てとれた。


「アリアドネ。これから戦いがあります。その戦いにあなたの助けがほしいのです。わたくしの寿命のうち、九百年の歳月をあなた様に捧げますので」


 ジンは深く深くお辞儀して、女の人に丁寧に願う。


 アリアドネという名前は、村の昔話で聞いたことがある。雨を降らしたりする、母なる水の精霊のことだ。

 でも、九百年の寿命を捧げる、だなんて。リーナは驚きで口がきけない。


 アリアドネはジンをまじまじと見た後に、柔らかな表情でにこりと微笑む。彼女は宙に浮かぶ大きな水のソリにたちまち姿を変えた。


「じゃあ、行ってくるよ。リーナ」


 ジンは、カボチャをどこかの市場に出しに行くよ、くらいの気軽な調子で、リーナに手を振った。


 水のソリに乗ったその姿は、空中を走っていってたちまち遠くなる。


「何もわかってなかった。ジンには戦いへの覚悟があったんだね。わたし、幼くてごめんなさい。やきもちを焼いてる場合なんかじゃなかったのに」


 リーナはガラスのような馬、ネーヴェを撫でながら、自然とネーヴェに話していた。涙が今更あふれてきて、止められなかった。ネーヴェはリーナの言葉をおそらく理解していて、その柔らかなたてがみをリーナにずっと撫でさせてくれた。


 


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