第5話
母親からの情報を得た香織と涼介は、再び若林恵の自宅を訪れた。夕暮れの門司港は、前回よりもさらに静けさを増していた。二人の足音だけが石畳に響く中、涼介は
「またコーヒーを奢ってもらえるかな」
と冗談交じりに言ったが、香織はその冗談に笑うことなく、真剣な表情を浮かべていた。
若林恵の家に到着すると、香織は再びドアをノックした。若林がドアを開けると、前回とは異なる不安の色が濃く浮かんでいた。
「どうぞ、中へ。」
若林は静かに言い、二人をリビングに案内した。リビングは変わらず整然としていたが、その雰囲気にはどこか緊張感が漂っていた。
香織は一瞬、部屋全体を見渡しながら、若林恵の姿を見つめた。彼女の目には、以前にはなかった疲労と不安が見て取れた。香織は心の中でため息をつきながら、席に着いた。
「再度お話を伺いたいのですが。」
香織が切り出すと、若林は深いため息をついた。「またですか…。何度聞かれても、答えは変わりません。」
香織はカバンから一枚の手紙を取り出し、若林に見せた。
「この手紙をご覧ください。高橋さんがあなたに宛てたものです。」
若林は手紙を受け取り、震える手でそれを開いた。内容を読んでいくうちに、その顔は青ざめていった。
「これは…。どうしてこれが…。」
手紙の内容は次のように書かれていた。
---
**恵へ**
恵、これを読むころには、私はもうこの世にはいないかもしれない。君に言わなければならないことがある。長い間、隠してきた真実だ。
私は君の父親である。君の母、律子とは若いころからの仲だった。しかし、家庭を持つという選択をしたとき、私は君たちを捨て、新しい家庭を築く道を選んでしまった。君と君の母には深い傷を負わせたことを心から悔いている。
君が私に対して抱く怒りや恨みは当然のことだと思う。その怒りが私を脅迫する手紙となって返ってきたことにも驚きはしなかった。だが、君が本当に求めているのは金や遺産ではないのだろうと感じている。
君には私が遺すべきものがある。それは、君と君の母のために設けた信託口座だ。この口座の情報はこの手紙の裏に記載してある。どうか、この金を使って君たちの人生を少しでも豊かにしてほしい。
最後に、私が君たちを捨てたことを心から謝りたい。どうか、私を許してほしいとは言わない。ただ、私の遺志が君に届くことを願っている。
君の父親、高橋剛
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手紙を読み終えた若林は、震える声で
「どうしてこれが…」と呟いた。
「さらに、この監視カメラの映像をご覧ください。」
涼介がタブレットを取り出し、映像を再生した。そこには若林がフグ毒を入手した場所に出入りしている姿が映っていた。
若林の顔色は一層青ざめた。
「母は関係ありません。彼女は何も知らない。」
若林は必死に否定した。
「しかし、彼女は河豚料亭を経営しています。この毒がそこから入手された可能性があります。」
香織は冷静に続けた。
「何か隠していることはないですか?」
若林はしばらく沈黙した後、目を伏せて言った。「何もありません。私は彼を殺していません。」
涼介が口を開いた。
「この映像と手紙が示しているのは、あなたがフグ毒を手に入れ、高橋さんを脅していたということです。これに対して、何か説明できますか?」
若林は言葉を失ったように沈黙し、ただ涙をこらえるように唇を噛んでいた。香織はその様子をじっと見つめながら、
「私たちは真実を求めています。あなたが隠していることがあるなら、それを話してください。」
と優しく促した。
若林は深く息をつき、涙を拭いながら言った。
「確かに、私は父を脅迫しました。でも、それは遺産を得るためでした。彼を殺すつもりはありませんでした。」
香織は頷き、
「この手紙にはあなたが高橋さんを脅迫していた証拠があります。しかし、それだけでは不十分です。母親からも話を聞きました。彼女はフグ毒が料亭から持ち出されたことを認めています。」
若林は再び沈黙し、目を伏せた。やがて、彼女は静かに言った。
「確かに、毒は私たちの料亭から持ち出されました。でも、それを使って父を殺すつもりはありませんでした。」
涼介が再び口を開いた。
「しかし、私たちが調べた結果、あなたがその毒を使って高橋さんを殺す動機が明らかになりました。それは…」
若林は動揺しながらも、涼介の言葉に耳を傾けた。
「遺産だけではありません。高橋さんがあなたとあなたの母親を捨て、新しい家庭を築いたことへの復讐心があったのではないですか?」
涼介は鋭く言った。
若林は涙を流しながら首を振った。
「違うんです、私はそんなつもりは…」
香織は若林の涙を見つめながら、
「若林さん、真実を話してください。私たちはそのためにここにいるのです。」
と優しく語りかけた。
若林はしばらくの間、涙を拭いながら沈黙していたが、やがて重い口を開いた。
「確かに、私は父に対して強い恨みを持っていました。でも、彼を殺したのは私ではありません。誰かが私をはめたのです。」
香織と涼介は互いに顔を見合わせ、新たな展開を予感しながら、若林の言葉に耳を傾けた。
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