第16話 あなたの期待に応えてみせるわよ、必ずね
王宮からの呼び出しに応じる前に、まず、エステルのたらこ唇の治療が行われることになった。
テディが『二人きりになれる場所で』と強く希望したので、客間を使って治療をすることになった。その際、クライドがとてつもなく嫌そうな表情をしていたことは言うまでもないだろう。
客間で二人きりになってエステルがベッドに腰かけると、テディはその正面に立ち、
「本来は、よろしくない」
と前置きしたうえで、懐から細長い棒を取り出した。
最初はペンほどの長さだったそれは、エステルが瞬きをした一瞬の間に、テディの身長よりも長い杖になった。
無数の枯れたツタのようなものが、木の根のようにグネグネと曲がりくねりながら絡み合って一本の杖が形成されている。そのツタの隙間には、ところどころに不思議な色の宝石が埋め込まれている。
テディがそっと杖を揺らすと、それらの宝石が、虹のようにキラキラと光った。まるで彼の瞳のように。
「これが、魔法使いの杖?」
「そうだ」
魔法使いは杖を使って魔法を使うのだと、おとぎ話で読んだことがあった。だが、本物を見るのは初めてだ。
「あまり見せびらかすようなものではない」
だからテディは二人きりになりたがったのだと、エステルは納得した。
「じっとしていろ」
杖の先が、そっとエステルの唇に触れた。
すると、腫れあがっていた唇は、あっという間に元通りになってしまった。
「まあ、すごい!」
エステルは鏡に映る顔を確認して感心したが、テディは難しい表情だった。
「以後、何か不調があればすぐに知らせるように」
「どういうこと?」
「副作用があるかもしれない」
「副作用?」
話しながら、テディは杖を振った。
またエステルが瞬きをしている間にテディの杖が小さくなり、テディはそれを懐にしまい込む。
「魔法で人の身体を直接治療するのはご法度だ。人の身体と魔法は、本来相性が悪い」
「相性?」
「身体の仕組みに魔法を使って無理やり介入するんだ。人によっては拒否反応が起こる」
ここまで聞いて、エステルはゴクリと息を呑んだ。
「ど、どんなことが起こるの?」
まさか自分も、と少し想像したのだ。
「眠気が治まらなくなったり、全身がかゆくなったり、熱を出したり、だな」
なんだ、その程度か。
エステルはほっと息を吐いた。
だが、
「時に、手足の一部が爆発四散することがある」
というセリフには、ギシっと身体をこわばらせた。
「……冗談だ。表皮の炎症を抑える程度の魔法で、そんな大仰な副作用は起こらない」
ということは、もっと複雑な治療を行えば起こり得る、ということだ。
(安心、してもいいのよね?)
エステルは複雑な心境でテディの瞳を見つめた。
「心配するな。しばらくは私が側にいて、異常があれば対応する」
「お願いね」
「ああ」
治療を終えると、テディはさっさと客間から出ようとした。
だが、エステルにはこの機会に確認しておきたいことがあった。
「まって」
呼び止めるとテディは素直に振り返ったが、その表情は不機嫌そのもの。彼は王宮からの呼び出しと言う面倒なイベントを、早々に片づけてしまいたいらしい。
だが、そのためにも。
エステルには確認しておかなければならないことがある。
「王宮に行く前に、いくつか確認させてほしんだけど」
「なんだ」
「あなた、魔法使いの認定を受けるつもりがある?」
エステルの質問に、テディぶすっと不機嫌な表情で黙り込んだ。
彼は国が発行する認定証を持っていない、もぐりの魔法使いだ。
今回の王宮の呼び出しは、そこが問題になっている。
彼が認定を受ければ、それで全て解決してしまうのだ。
ややあって、
「……ない」
テディは低く唸るように答えた。
これは想定済みの回答だった。
認定を受けるつもりがあるなら、とっくの昔に受けているだろう。
つまり、彼には認定を受けられない、または受けたくない理由があるのだ。
「理由を教えてもらえる?」
この質問にも、テディは黙り込んだ。
その表情からは、彼が話すべきか否かを悩んでいることがうかがえる。
エステルは、テディが答えるまで根気よく待った。彼の顔をじっと見つめたまま。
根負けしたのはテディの方だった。
「認定を受ければ、本来の仕事ができなくなる」
「本来の仕事?」
「薬師の仕事だ」
これには驚いた。
彼は娼婦たちが使う美容製品の専門家だと思っていたのに。まさか、薬まで扱っていたとは。
だが、薬の製造なら美容製品の製造よりも健全だ。
「どうして認定を受けると、薬師の仕事ができなくなるの?」
「安価で卸せなくなる」
エステルが首を傾げると、テディはふうと息を吐いた。どうやら、詳しく説明してくれるらしい。
「薬に関する魔法は、第五と第十三、第二十四の魔法使いの専門分野だ。この国に流通している魔法薬のほとんどは、彼らが開発、製造している」
全部で二十八名いる認定魔法使いの内、三名が薬を専門にしているらしい。
「彼らは研究した薬の製造方法を魔法管理局に登録する。他の認定魔法使いが登録されている薬を製造する時には、使用料を払わなければならない。また、認定魔法使いは登録されていない薬剤を研究目的以外で製造することを禁止されている」
認定魔法使いは許可されている薬剤しか製造できず、その許可された薬剤を製造するためにはお金を払わなければならないということだ。
さらに、その薬剤を製造して販売するなら、単価を上げざるを得ない。
「魔法薬の質と安全性を担保するためには、必要な施策だ。それは否定しない。だが……」
下町の平民や花街の娼婦たちには、その薬を買うことはできない。高価だから。
娼館で暮らしていた頃、風邪をひくと姐さんたちは魔法薬を飲ませてくれた。今にして考えれば、おかしな話だ。娼館の下働きごときが、本来は高価なはずの薬を飲ませてもらえていたのだから。
「それで、認定をとらずに美容製品を隠れ蓑にして魔法薬の製造をしていたのね」
そうして、密かに安価な魔法薬を流通させていたのだ。
「そうだ。師匠の後を継いで」
「それじゃあ、あなたの前にも?」
「ああ、私は七代目だ」
それほどの期間、彼らは貧しい人たちの暮らしを支えてきたということだ。
だとすると。
「それじゃあ、国王陛下もこのことはご存知なのでは?」
隠し通すには無理のある期間だ。安価な魔法薬の流通を、王宮や認定魔法使いたちが知らなかったとは考えにくい。
エステルの疑問に、テディは怪訝な表情を浮かべながらも頷いた。
「おそらく、知っていて黙認していたのだと思う」
「それじゃあ、悪いことしたわね。私のせいで、国王陛下に追及されることになってしまった、ということだから」
エステルの商売が思いのほか大きくなってしまったことが、今回の呼び出しの原因だ。
もしも、これまでのように花街の片隅で小さな商売をしているだけだったら、国王も黙認を続けていただろう。
「いや。そうでもない」
「どういうこと?」
「数年前から、私を摘発しようという動きはあった」
「あら」
「第五の魔法使いが、魔法薬の権利を強化するために非認定の魔法使いの摘発を推し進めているんだ。今回のことがなくても、近いうちに私は逮捕されていた」
そこまで聞いて、エステルはピンときた。
「まさか……」
「その、まさかだ」
「私を利用するつもりだったのね!」
彼は公権力に立ち向かうために、エステル、つまり公爵夫人の権力を利用するつもりで彼女に近づいていたのだ。
「なるほど」
エステルはベッドから立ち上がり、鏡を見た。今は普段着で髪も適当にしか結っていない。
「怒っているか?」
少し不安そうに尋ねたテディに、エステルはニコリとほほ笑んだ。
「まさか。あなたの強かさに感心しているのよ」
テディがほっと息を吐く。
おそらく彼は、この件はまだ黙っているつもりだったのだろう。エステルが自分の商売を守るためにどう出るのかを見てから告白するつもりだったに違いない。
エステルが自分の味方になり得るかどうか、見極めるつもりだったのだろう。
「まずは、戦闘服に着替えないとね!」
エステルは、バンっと音を立てて扉を開いた。
そのまま、ズンズンと屋敷の中を進む。その後ろをテディが続いた。
「戦闘服?」
「そうよ。王宮に行くんだもの。とびっきりおしゃれをして、誰よりも
エステルが振り返って、ニヤリと笑う。
「あなたの期待に応えてみせるわよ、必ずね」
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