第17話 人は人を見た目で判断する、そういう生き物よ。



 時間は午後。

 政務会議に参加していた貴族や官僚、王宮に勤める侍従や侍女たちが忙しなく動き回る時間帯。

 王宮の玄関口である前庭は、移動する人でごった返している。


 そこへグレシャム公爵家の馬車が到着すると、人々はいっせいに注目した。

 公爵の関係者が王宮を訪れるのはそれほど珍しいことではないが、グレシャム公爵家といえば、近ごろは何かと話題に事欠かないから。


 最初に馬車から降りてきたのは、最近は女遊びをやめて公爵夫人の商売の手伝いに精を出しているという噂の、オリオーダン侯爵家の嫡男イアンだった。

 今日も派手な服で爽やかな笑顔を振りまく彼の姿を見て、侍女たちが頬を染める。


 次いで降りてきたのは、黒いローブに身を包んだ美貌の魔法使いだった。

 見知らぬ魔法使いだが、ローブの隙間から覗く白金の髪と虹色の瞳を見て、貴婦人たちがゴクリと息を呑んだ。


 三人目に、ようやくグレシャム公爵本人が降りてきた。

 一見地味だが最高級の濃紺の生地を使用した洗練された宮廷服に身を包んだ美丈夫。貴族の中でも最も身分の高い彼とは、社交界でもめったに顔を合わせることはできない。

 その顔を一目見ようと、またやじ馬が増えた。


 その公爵が、馬車の方を振り返った。

 彼が洗練された仕草でスッと手を差し出すと、馬車の中から白い手がのぞく。


 白魚のような美しい手だ。


「エステル様だわ……」


 ほう、と吐息を吐きながらうっとりと微笑んだのは、若い貴婦人だった。

 その隣では老年の紳士が『あの商売女か』と顔をしかめ、さらにその隣では商人が彼女の顔をよく見ようと身を乗り出す。


 様々な人の様々な感情が渦巻く中、エステルが馬車から降りた。

 すると、先ほどまで騒ついていた前庭が、しんと静まり返った。


 その人は、真っ赤なドレスに身を包んでいた。


 血のように赤いドレスの生地は最高級の絹で、午後の光を受けて艶やかに輝いている。

 注目すべきは、胸元から腰にかけて施されている、見事なバラの刺繍だ。

 ドレスと同じ赤色の糸で刺された刺繍は、背中側をぐるりと回り、引き裾の先まで続いている。

 派手で目新しい装いではあるが、昼間のドレスコードはきちんと守られていいる。首元はスタンドカラー、腕はレース地の袖で覆われていて、露出はほとんどない。


 真っ赤なドレスの公爵夫人は、前庭に集まった人々をゆったりと見まわしてから、悠然とほほ笑んだ。

 そして、軽く膝を折る。


 人々は呼吸を忘れたように静まり返った。

 公爵にエスコートされたその人が、王宮の奥へ去って行くまで。




 * * *




美しく強く見える装いとは……。まさに、だな」


 エステルの登場で呼吸を忘れてしまった人々をチラリと振り返りながら、テディが感心した。


「人は人を見た目で判断する。そういう生き物よ」


 娼館で暮らしていた頃、その現実を痛いほど肌で感じてきた。


(人は内面の魅力が重要だと言われることもあるけど、そんなものはまやかしだわ)


 男がお金を払う娼婦を選ぶ基準は見た目だ。

 内面の魅力、すなわち話術や教養で男を夢中にさせるのが娼婦の技術と言えなくもない。

 だが、見た目の美しい娼婦の方がよく稼ぐ。それが事実だ。


 社交界も同じ。美しいものが、強い。


 だからこそ、みんながエステルの美容製品を買いたがるのだ。


「……そうだろうか」


 それに疑問を呈したのはクライドだった。


「私はそうは思わないが」


 思わぬ反論に、エステルが顔をゆがめた。


「あなたがそれを言うの?」

「どういうことだ」

「あなただって、私が若くてきれいだから結婚相手に選んだんじゃないの?」


 これには、クライドがぐっと言葉を詰まらせた。大人になった彼女を一目見て、美しいと思ったことは事実だからだ。

 だが、もちろんそれだけを理由に彼女と結婚したわけではない。

 思わずそれを口に出しそうになったが、直前で思いとどまり、クライドはぐぅとうなり声を上げる羽目になった。


「ほら。適当な結婚相手が必要だったところに、婚約破棄されたばかりの手ごろな身分の令嬢がいて、それなりに美しかった。だから私を妻にしたんでしょ」


 ツンと言い放ったエステルにクライドが目を泳がせる。そうではないと言いたいが、言えない。

 だが、その様子をエステルは図星だと思った。


 とことんまですれ違う二人の隣では、イアンが笑いをこらえて肩を震わせている。テディははっきりしない態度のクライドに怒り気味だ。


「ふんっ」


 エステルはクライドの手を振り払って先頭に立った。

 男性と一緒にいるというのにエスコートを受けずに貴婦人が歩き回るのは、本来であれば褒められたことではない。だが、真っ赤なドレスを着た彼女が三人の男を引き連れて闊歩する様は堂に入っていて。


 すれ違う人々は、みなエステルにうっとりと見惚れたのだった。




 謁見室に到着すると、一行はすぐさま中に案内された。

 王宮の中で最も天井が高く、最も広い部屋だ。細長い造りになっていて、その中央に真っ赤なビロードの絨毯が敷かれている。

 その先の玉座で、王と王妃が待っていた。


 四人は玉座の前に静々と進み出て、深く腰を折って礼をとった。

 その様子を、ここでも多くの人が見つめている。


「顔を上げよ」


 命じられた通りに顔を上げると、王は不機嫌そうにひじ掛けに置いた手で頬杖をついていた。


「公爵夫人よ。釈明を」


 そのぞんざいな言いように、エステルの頬がひくりとひきつった。


(わざわざ呼び出しておいて、その態度はなんだ!)


 と、怒鳴りつけそうになるのをこらえる。相手は国王だ。この国で最も偉い人だ。たとえ腹がでっぷりと大きくても、髪が薄くなっていても。最も貴く、敬わなければならない相手なのだ。


 エステルは荒んだ内心を悟られないように、にこりと微笑んだ。


「釈明、でございますか?」


 この切り返しに、王の眉がピクリと動いた。

 初手で、エステルが自分の行いを『釈明すべき罪』だと認めずに、とぼけたからだ。


「なるほど」


 王は頬杖を解いて、その身を背もたれに預けた。

 顎を上げ、見下すようにエステルを見つめる。


「そのもぐりの魔法使いについて、何か申し開きはないか、と問うておる」

「私からお伝えすべきことは何もございません」


 まず、エステルが絶対にしてはいけないことは罪を認めることだ。

 そもそも、未認定の魔法使いが魔法を使うことは違法ではなく、彼が美容製品を製造することもまた違法ではない。もちろん、公爵夫人がその製品を使って商売をすることも。

 もしも罪だと認めてしまえば、そこを攻撃される。

 注意深く、言葉を選ばなければならない。


「なるほど。……では、魔法使いよ」


 テディが顔を上げると、その美貌に王は一瞬言葉を失ったが、すぐに気を取り直して傲慢な表情で彼をにらみつけた。


「何年にもわたって、違法に魔法薬を製造し、流通させたな?」


 これには、謁見室に集まった人々がざわついた。

 公然の秘密であったそれを、とうとう追及するのか、と。誰もが驚いている。


「違法かどうかはともかく、魔法薬を製造して販売したことは事実だ」


 テディの答えに、またざわめきが広がる。

 彼は、チラリとエステルの方を見た。『これでいいんだな?』と問いかけるように。エステルはにこりと微笑んでそれに答えた。

 彼には、『王の前では事実だけを答えればいい』と事前に伝えてあったのだ。


「確かに違法とは言い切れない、か」


 王がにニヤリと笑った。


「だが、わが国の認定魔法使いたちの権利を侵害したことは事実だ」


 テディや先代たちが魔法薬で得た利益は、本来であれば認定魔法使いたちが独占するはずだったので、彼らが権利を侵害した、という主張も正しい。


「そなたが認定を受ければ、すべての問題が解決する。今すぐにでも、認定証を発行できるが、どうだ?」


 エステルは内心で呆れた。

 王の狙いは、これだ。

 テディに認定を受けさせて、その技術を保護という名目で管理すること。そして、その利益を王家がかすめ取ること、だ。認定魔法使いの収益の一部は魔法税という形で王家に収められることになっているから。


「そなたが認定を受ければ、もちろん公爵夫人の商会の権利も保障される。だが、認定を受けなければ……」


 エステルの商売を王権を使ってつぶす、と言いたいのだろう。

 テディが何も答えずに黙り込むと、彼を追い詰めた気になって、王は機嫌よくエステルに微笑みかけた。


「なあ、公爵夫人。そなたからも、認定を受けるよう言ってやってくれ」


 王の交渉は、確かに理にかなっている。

 エステルは自分の商売を守るためにテディに認定を受けるよう説得するだろうと、誰もが思った。

 それが、すべてを丸く収める最善の策だから。


 だが、もちろんエステルは頷かなかった。


「いや、ですわ」


 朗らかに笑って答えたエステルに、王も王妃も、集まっていた人々も、驚きに目を見開いた。

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