第2話 金さえあれば、愛だって思うがまま!




「さて! 何から始めようかしら!」


 エステルは意気込んで書き物机に向かった。まずは状況を整理して、作戦を立てなければ。


 公爵夫人であるエステルの部屋には、華やかなバラの彫刻が施された立派な書き物机があって、その上には上質な便箋、羽ペン、インクが整然と準備されている。これらは一部に魔法が使われている高級品ばかりだ。


 エステルは魔法で虹色に色付けされた羽ペンをおっかなびっくり手に取った。

 揺らすとキラキラとオーロラのように輝く、世にも美しい羽ペンだ。


「すご……」


 だが、高級品に戸惑っているような場合ではない。


「まずは、お金を稼がなきゃならないわよね」


 それが一番の問題だ。


 エステルの部屋には夫からの贈り物であるドレスや宝石が山になっているが、まさかあれらを売って金にして、その金で夫の愛を買うわけにはいかない。

 かといって、彼女自身の財産と呼べるものは、兄が誂えてくれた花嫁衣裳と、実家から持ってきた装飾品がいくつかだけ。


「ふむ。困ったわね」


 エステルは便箋に『資金調達!』と、大きな字で書いた。


 文字の読み書きは娼館で習った。娼婦にとってお得意の客と手紙を交わすことは非常に重要な営業活動なので、見習いにもきちんと読み書きを教えてくれるのだ。

 男性に好まれるように懸命に練習した華奢で流麗な筆跡は、貴族の世界に戻ってからも役に立っている。


「まさか身体を売るわけにもいかないし」


 当り前だ。

 貴族の人妻がお金欲しさに身体を売るなど、露見すれば大醜聞。もちろん、離婚は免れない。第一、エステルは夫以外の男と寝るつもりは微塵もない。


「ふむ」


 お金を稼ぐにしても、公爵の妻としてふさわしい振る舞いの範囲内でやらなければならない。


 これは、かなりの無理難題だ。

 エステルは『どうやって?』と追記した。


「普通に考えれば商売を始めるのがいいんだろうけど……」


『商売』と書き出した隣に、『夫の許可』と書く。

 今のエステルは『夫の妻』なので、夫の許可がなければ何も始められない。


「うーん。普通に頼んだところで、許してくれないわよね」


 貴婦人の中には自分で事業を興して成功している人もいると聞く。

 ただし、高位貴族にはほとんどいない。

 貴族にとって『金を稼ぐ』という行為自体が忌避されているからだ。


 そもそも、公爵夫人はお金を稼ぐようなことはしない。

 公爵家には有り余る財産があり、むしろ買い物や奉仕活動でお金を使う側の人間なのだから。


「商売をするにしても、『お金を稼ぐ』以外の理由をでっちあげる必要があるわね」


 そうでなければ、夫の許可を得ることはできないだろう。


「趣味の延長? 自分探し? お友達とのお付き合い?」


 次々と書き出しながら、エステルは考えた。

 このあたりが現実的なラインだろう。


 最初の目標は、『商売をすることについて夫の許可を得ること』だ。


「よし!」


 エステルは勢いよく立ち上がった。

 時間は午後、そろそろティータイムだ。


「何はともあれ、コミュニケーションをとらないと!」


 夫を説得するためには、一筋縄ではないかないのは分かっているのだから。


 娼館のお姐さんたちも、上客にお金を落としてもらうためには、普段からまめに手紙を送るなど、日ごろのコミュニケーションが非常に重要だと言っていた。

 そこから会話のきっかけを得るのだ。


 交渉ごとも同じ。

 日ごろからコミュニケーションをとり、説得するための糸口を見つけなければ。


「まさか、妻からティータイムに誘われて断る夫はいないでしょう!」


 勢い込んで部屋から出たエステルは、その『まさか』が起こるとは露ほども思っていなかった。




 * * *




 門前払い、だった。


 夫の書斎を訪ねたエステルは、そもそも夫の顔を見ることすらできなかった。

 応対した執事は『旦那様はお忙しいので』と冷たく言い放ち、エステルを追い返してしまったのだ。


 文句の一つも言ってやろうと思ったが、やめた。


 ここは国内随一の大貴族、グレシャム公爵の屋敷。勤めている使用人は騎士階級の子弟や、豪商の娘など、いわゆる上流階級出身者も少なくない。


 そこに突然やってきた、花街育ちの公爵夫人。

 歓迎されるはずなどないのだから。


 エステルはとぼとぼと一人寂しく、自分の部屋に引き返すことになった。

 本館二階の東端に位置する夫の書斎から、西翼棟の真南に面する彼女の部屋まではそれなりの距離を移動しなければならない。


(夫とのコミュニケーションは、他の方法を考えなきゃ)


 結婚して数日だが、夫と顔を合わせたのは、数回だけ。寝室はおろか食事すら別々なので、このままでは永遠に話などできない。


(手紙を送る? ……同じ屋敷の中で暮らしているのに?)


 などと考えていると、廊下の曲がり角の向こうからなにやら話し声が聞こえてきた。


 廊下を掃除するメイドたちの声だ。


 仕事中だというのにおしゃべりに夢中になっている彼女たちは、エステルが近づいてきたことに気づいていない。


(まあ、女同士だもの。仕方ないわよね)


 寄ると触るとおしゃべりに花が咲く。それが女と言う生き物だ。

 エステルは特に気にせず、通り過ぎようと思った。


 だが。


「奥様ったら、旦那様をティータイムに誘ったらしいわよ!」


 聞こえてきたのが自分の話題だったので、思わず足を止めて柱の陰に隠れて聞き耳を立てた。

 というか、つい先ほどの出来事が既に噂話として出回っているとは。


(公爵家の使用人情報網、恐るべし……!)


 エステルは密かに感心した。

 が、彼女たちのおしゃべりを好意的に受け止められたのはここまでだった。


「ぷっ」


 一人のメイドが、吹き出したのだ。

 まさに、小ばかにするような表情で。


「いい気味ね」


 そのメイドはニヤリと笑って、持っていた雑巾をクルリと振り回した。栗色の髪の、結婚適齢期を少し過ぎたくらいの年齢の女性だ。周囲のメイドたちの様子から、この屋敷に長年勤めているらしことが分かる。


「元娼婦の公爵夫人なんか、さっさと離婚されちゃえばいいのよ」


 これは女同士の楽しいおしゃべりなどではない。

 陰口だ。

 しかも、その対象は彼女らにとっては仕えるべき主人の妻。


(さて、どうしたものか)


 エステルは考えた。

 といっても、『このまま放置して立ち去るか、彼女らを叱りつけるか』の二択ではない。


 売られた喧嘩をどうやって買うか、である。


「旦那様と結婚したいご令嬢は星の数ほどいたっていうのにさぁ」


 栗色の髪のメイドは、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて続けた。


「どうして、あんな娼婦を選んだのかしらね」


 誰も止めないのをいいことに、陰口の勢いは止まらない。他のメイドたちは曖昧な表情を浮かべるだけで彼女を諫めようとはしないのだ。


「今は大人しくしてるけど、きっとすぐに化けの皮が剝がれるわよ! 家の中ではわがまま放題して、そのうち外に男を作るんだわ!」


 想像力たくましいメイドである。

 が、相手が『元娼婦』であれば、そういうイメージになるのも仕方がないのかもしれない。


「ああいうのを、下町の言葉ではアバズレって言うのよ」


 どうやら、この栗色の髪のメイドは良家の出身というわけではないらしい。


「あんな女が公爵夫人だなんて!」


 つまり、嫉妬だ。


 平民出身のごく平々凡々な自分はメイド止まり。その一方で、花街で育った、いわば自分よりも下だったはずのエステルが、幸運で公爵夫人にまで上り詰めた。

 それが妬ましいのだ。

 彼女は『行き遅れ』と呼ばれても仕方ない年齢だ。焦りもあるだろう。


 気持ちは理解できる。

 だが、それはそれ、である。


「旦那様も、仕方なく選んだ相手なんでしょうけど。あのまま王女様をお迎えになっていたら、王家にあれこれに口出しされて大変だったという話だし……」


 これは、さすがのメイドも声をひそめた。


(なるほど、そういう事情があったのね)


 つまり、エステルと結婚する前、夫には王家の姫君との結婚話が持ち上がっていたのだ。

 だが、それを受け入れれば王家の権力が公爵家に介入することになる。それを避けるために、適当な相手と結婚する必要があり、その相手に権力とは無縁の家柄であるエステルが選ばれたというわけだ。


(雲の上の人たちも、いろいろ大変なのね)


 エステルは内心で同情した。ほんの少しだけ。


(さて)


 あらかた情報は聞けたし、これくらいで十分だろう。

 エステルは、ニコリと笑顔を貼り付けて、柱の陰から顔を出した。


「ごきげんよう」


 彼女の上機嫌な声に、メイドたちの身体が一斉にビクリと跳ねた。

 驚いた子猫のようで可愛らしいと思ったが、もちろん可愛がるつもりで声をかけたのではない。


 エステルは、振り返ったメイドたちの顔を一人ずつじっと見まわしてから、最後に栗色の髪のメイドを見つめた。


(さあ、始めましょうか!)

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