第九話 華子への誓い

 玄関前で如月と別れ、キヨは華子の部屋へと一目散に馳せる。

 如月がこれから何をするのか……後部座席に積んだものをどうするのかは、考えまい。

 これから自分が考えるのは、想うのは華子のことだけだと叩き込むように、拳骨で心臓の辺りを殴りつけた。

「華子様!」

 礼儀も忘れ、部屋へ飛び込む。

「……キヨ子ちゃん」

 寝台の脇にしゃがんでいた、都路が腰を上げる。

「華子様は――」

「……」

 都路の両目は、真っ赤だった。

「――キヨ、こ……さ」

 細いいらえ。

 都路が、さっと寝台に屈み込む。

「華子、気が付いたのかい」

「華子様」

 キヨも都路の隣に並び、膝を付く。

 白い枕に埋もれるように、華子は仰向けになっていた。その顔色は寝具よりも白い。

 薄い眉根を寄せ、華子の瞼は閉じられている。

 と、それが軽く引き攣り、ゆるゆると引き上げられた。

「……キヨ子さん、おかえり、なさい」

「はなこさま――」

 キヨの様子を認め、華子の浮腫んだ目尻が震える。微笑びしょうだと、キヨには通じた。

 掛布団の中から、ゆっくり、ゆっくり、蒼白な手が這い出てくる。キヨは両手で、それを包み込む。

 華子の瞳が大きく揺れた。そして、安堵の光に満たされる。キヨの涙を堪えた瞳にも、同じ光。

 二人は無言のまま見つめ合い、お互いの心を交わした。

 ――沈黙。

 破ったのは、都路だった。

「華子、もう安心しただろう。さ、おやすみ」

「……はい、お父様。キヨ子さん、きっと、わたしの、傍にいて、ね」

「はい、華子様……、はい」

 華子の目尻が緩む。今度は傍目はためにも微笑だと判った。そのまま、キヨと手を繋いだまま目を閉じる。

「……もう、ね、誰も……わたしの傍から、いなくなるのは――いや――」 

 すぐに小さな寝息。弱り切っているのだろう。華子の呼吸は浅い。

 それを打ち消すように、唐突に都路がキヨに問いかけた。

「――キヨ子ちゃん、華子のことが好きかい」

「え、」

 都路の真摯な――真摯すぎる声音。内容も、場違いなものに思えた。忘れていた違和感が、ざわざわとキヨの胸に蘇る。

「華子のことが好きかい」

 再度、繰り返される。

「はい。華子様は誰よりも大切なお友達……いいえ、お姉さまです」

 身分違いは承知していた。失礼もわきまえていた。それでも、都路の様子にただならぬものを見たキヨは、正直に自らの誓いを告げた。

 告げてしまった。

「そうか」

 都路は、穏やかに続ける。

「なら、キヨ子ちゃん。華子の為なら、何でもするかい。華子の病気を治す為にキヨ子ちゃんが必要なんだよ」

 泣き腫らしたせいなのか、それとも別の理由があるのか、都路の眼球は恐ろしい程に充血していた。白目の部分が余りにも赤くて、黒目との境が曖昧だ。

 それは、まるで――うろ

「はい。華子様が元気になるのなら、わたし、何でもします」

 キヨは、きっぱりと答えた。

 穏やかだった華子の寝顔が、そのとき、歪む。乾いた唇が微かに動き――だが、それは――それだけで終わってしまった。

「よく言ってくれた、キヨ子ちゃん」

 都路の下瞼が、くぅっと曲線をかたどった。黒い程に赤い目玉から、血の涙が滴り落ちそうな錯覚を生む。

 キヨは、またも自分が取り返しのつかないことをしでかしたような気持ちになるが、もう、どうしようもなかった。

「キヨ子ちゃん。――さ、華子を助けておくれ」

 都路の分厚い掌がキヨの肩を掴み、ぐるりと反転させる。

 ――繋いでいた、少女二人の手が、離された。

 

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