第六話 二少女の語らい


 基本的にベッドから出ることのない華子でも、体調が特に良いときには、裏庭で日光浴をすることがあった。当然、あまり強い日差しには耐えられないので、それは午前中の早い時間に行われる。

「気持ちいいわね」

 お日様の光は、わたしの身体の滋養になるの、と、華子は都路が運んできた寝椅子に横たわり、心地よさげにキヨに話しかける。

 華子は事ある毎に、滋養、と口にする。キヨとの最初の食事のときに出た話題だが、都路も如月も、滋養と栄養は同じもので単に言い方が違うだけだと言った。

 ならば滋養の方が良い言葉だと、華子はキヨに告げた。

「滋養の滋って、慈しむに似てるもの。栄養の栄は栄えるって意味だけど、味気ない感じがすると思わない?」

 キヨには、華子が言うことの半分も理解できなかった。それは華子も察するところである。

「まだキヨ子さんには早いけど、辞書っていう難しいご本があるの。もう少しお勉強が進んだら、見せてあげるわ。約束よ」

「わぁ、本当? 華子様、げんまんね」

「ええ。指きりげんまん……キヨ子さん、あなたは、ここにずっといてね。突然いなくなったりしないでね。約束よ」

「はい、華子様」 

 キヨはそれから、華子が滋養と口にするたび、この約束を思い出すのだ。

 華子と並んで難しい本を読む為に、もっともっとよく学ばねばならないと決意を新たにする。

「ね、キヨ子さん」

 いつの間にか、キヨは物思いにふけっていた。

「は、はい! ごめんなさい、わたしぼんやりしてて」

 ううん、いいのよ、と、華子は頭を振る。

「ね、キヨ子さんは、お外でお友達と、たくさん遊んできたのでしょう? どんな遊びが好きなのかしら。わたしに教えてくださらない?」

「……はい、あの、えっと」

 実のところ、キヨは村に同じ年頃の女児がいなかったため、大勢で遊んだことはさほどなかった。引っ込み思案なところがあり、村の男児は総じて乱暴で意地悪だったのだ。

 部屋の中で一人遊びをするか、母にくっ付いて井戸端にいるか、畑を手伝うか、その程度のことしか知らない暮らしをしてきた。

華子は瞳をきらきらさせて、こちらを見つめている。日差しを映していたのかもしれないが、キヨにはそれがとてもまぶしい。

「ね、キヨ子さん。わたし、前にいたお友達から、隠れんぼって遊びを聞いたのよ。その前のお友達からは鬼ごっこ。どれもわたしには無理だけど、おままごとだけは遊べたわ」

 話の接ぎ穂のつもりなのだろうが。

 ――前にいたお友達。

 ――その前のお友達。

 ――おままごと。

 キヨは華子と、ままごとをしたことはない。

「華子様、前にいたお友達って」

 問い正すような調子が、声に交じった。

 たちまち自分の口調を恥じたが、それが少女らしい嫉妬やきもちのせいだと、悟る余裕はない。

 華子は、あら、と、口篭くちごもり、

「ごめんなさい。……お父様から、前のお友達のことは言ってはいけないって、注意されていたのに」

 まり悪げに目を伏せた。

 キヨも釣られて目を伏せて、気不味い空気が二人を包んだ。

 このとき、キヨは勘違いをした。

 ――お父様から言ってはいけないって注意されていたのに。

 てっきり、今の友人であるキヨへ対する配慮なのだと、素直に捉えた。

 では、そのお友達は、何処へ行ったのか。

 ひょっとしたら奉公には期間が決められていて、皆、家へと戻ったのか。それとも――キヨは考えを巡らせる。

 自分は――どうなるのか。

 ずっと、ここに、華子の傍に置いてもらえるのだろうか。

 明朗な空の下に相応しくない、どんよりとした雰囲気が二人を覆う。

 それを破ろうと、言葉を探し始めていたキヨは、つと腸が取り残されてしまうような、あの昇降機のズゥゥゥンとした感覚に襲われた。

 寝椅子から飛び起きるように半身を起こした華子が、まん丸く目を開いて凝視している。

 キヨの身体は、中空にあった。

 眼下の華子が、見る見る色を無くしていく。

 逃れようとして、キヨは胴に巻き付く細長いものを認めた。

 人間の、腕だ。

 首を捻じ曲げて、振り仰ぐ。

「――あっ」

 あの、

 あの、黒い馬と共にいた、

 あの、黒い馬と共にいた黒衣の青年が、キヨを小脇に抱えていた。

 青年は片頬で笑い、顔にかかる長い前髪を、唇を尖らせてふうっと吹き上げた。くっきりとした輪郭の目が、しっかりとキヨを捉えている。

「キ、キヨ子さん」

 華子は、やっとそれだけ言った。

「はなこさま、」

 助けて、と、言う間もあらばこそ、キヨの視界は反転し、激しくぶれた。

 青年が駆け出したのだ。

「お、お父様! 如月さん! 誰か」

 喉も裂けよと叫んだ華子は、やがて寝椅子に倒れ込む。

 娘の悲鳴を聞きつけた都路が、屋敷から飛び出してきた。

「華子、華子! どうしたんだ。――あの子は……あの子はいないのか? 何処に行ったんだ」

 呼吸を乱した華子は、上手く喋ることができない。顔色がんしょくは紙のように真っ白だ。娘の頬に触れた都路は、その冷たさに動揺し、懸命に伸べようとする彼女の指先に、気付かない。

 如月は、少し遅れてやって来た。息荒く震えている華子が弱弱しく人差し指で差している、裏庭を越えた向こうの森に目を凝らす。何かを察したのか、チッと舌打ち。

 そして、都路に向かって早口に話しかける。

都路の背に緊張が走る。

言うだけ言ってしまうと、如月はその場を立ち去った。

 都路は華子を抱く手に力を込めて、ただ一度、強く頷いた。

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