第五話 新しい生活
翌朝からキヨは、一日の大半を華子と共に過ごした。
八時に朝の挨拶をし、そのまま華子の部屋で朝食を摂る。都路が華子の勉強をみるときも、同席を許された。
「まず、その爪を切りましょうね。そういうのもお行儀のうちよ。わたしが切ってあげるわ」
「え、華子様、
「ダメよ。そんな爪じゃ、お顔を洗うときに、傷が付くかもしれなくってよ」
最初の朝から、身分違いの少女二人は、まるで本物の姉妹のように身を寄せ合った。
「キヨ子さんは、少し、礼儀作法のお勉強をしたほうがいいわ。それと正しい言葉使いもね。読み書きも、わたしがみてあげるから、一緒に頑張りましょう」
華子の提案で、キヨは生まれて初めて鉛筆というものを握ることになる。
都路は最初反対したが、華子の勉強が終わってからという約束で事は通った。
「大丈夫よ、お父様。キヨ子さんに教えることは、わたしにとっても良いおさらいになるんですもの」
ただ、昼食後からは二時間程、華子の部屋から遠ざけられる。お昼寝の時間なのよ、と、華子は言ったが、それだけではなく診察や治療が行われているらしいことを、キヨは察した。
といっても、医者が来ることはなく、意外なことに如月がその代りを務めているらしい。相変わらず豪奢な成りをしていたが、そのときだけは割烹着を着けていてるのが、どうにも滑稽だった。
「キヨ子ちゃん、ここの暮らしには慣れたかしら」
華子の部屋から出てきたばかりの如月が、莞爾とする。最初は綺麗だと思っていたはずの、べっとりとした紅が、このときはキヨの
「はなこさま!」
キヨは勢いよくドアーを開けると、そのまま寝台の脇まで走り込んだ。
「キヨ子さん、ごきげんよう」
華子は、元気良く現れたキヨを優しく出迎えたが、直後、意味ありげに微笑んでじっと見つめた。
「……あ、
キヨは、小さく叫ぶと、すかさず部屋を出る。
コンコンコン。控え目なノックが三度。
「こんにちは、華子様。キヨです」
「はい、どうぞ」
華子も付き合い、済まし声で応えた。
ドアーが開き、一礼してキヨが入ってくる。音を立てないようにそっと閉じると、ゆっくり歩いて華子の傍へと来た。
「華子様、ごきげんよう」
「キヨ子さん、ごきげんよう……はい、よくできました」
その不自然な、ぎくしゃくとした一連が愛らしく、何とも
キヨは、午後からの逢瀬の時間に、華子から礼儀作法の手解きを受けていた。教材は、華子の持つ絵本。
まだ華子が五つ六つの頃に愛読していた、少女が人形にエチケットを教え込むという、実に教育的な作りのものだ。それを使うことにより、キヨにとって簡単な読み書きの学びにもなった。
今日で一週間目だったが、キヨの飲み込みはとても良かった。言葉使いも、元々、母親との〈内緒事〉のこともあり、華子は早くも及第点を出したくらいだ。
華子の先生振りも、なかなかに優秀だったが、それに加えて普段より、敬愛する華子の喋り方や振る舞いを、キヨが真面目に観察していたことも大きいだろう。
「では、キヨ子さん。昨日のおさらいをしましょうね。何だったかしら、憶えてる?」
「はい。知らない人に親切にしていただいたときは、どうすればいいかです」
「そう。その通りよ、さすがだわ」
褒められて、キヨは頬を染めながらも、最初の日の都路の言葉を思い出していた。
華子は、学校に行ったことがないという。
キヨもなかったが、理由が違った。
華子の部屋の脇にある檻が何かも、すでにキヨは熟知していた。
檻のように見えたのは、昇降機の扉だ。これが伸び縮みして、ドアーの役目をする。
華子は自力歩行が難しい。階段の昇り降りなど、論外だ。なので、基本、この昇降機で階上階下への移動を行う。広い屋敷だが、風呂場は一階にしかないのだ。
キヨはこの昇降機に興味津々だったが、どうにも理屈が解らず、怖い気持ちが先にある。
華子の入浴に付き従う為に、数度、キヨも共に使った。しかし、昇るときは腸(はらわた)が取り残されてしまうような、降りるときは反対に押し上げられるような、ズゥゥゥンとした感覚が不快で、どうにも面白がれない。外側から、移動する台を眺める方が好きだった。
都路は一応、キヨ一人での使用をきつく禁じたが、言われるまでもないことだった。
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