第三話 華子との出会い

「真名井キヨ子ちゃんだ。お前よりも二つ年下だよ。さ、キヨ子ちゃん、娘の華子だ」

「こんにちは……、もうこんばんはかしら。キヨ子さん、初めまして」

 正面にある大きな寝台から、先程のあの声がする。白く盛り上がった布団の向こうから、小さな頭が持ち上がった。

 薄緑色の肌、浮腫むくんだ瞼と頬。しかしその瞳はきらきらと輝き、少女らしい高潔な美しさを湛えている。

 寝具と同じ純白の寝巻の襟元は、幾重にもフリルで飾られていて、真珠のようなぼたんが連なっていた。

 キヨは放心する。

「わたし、都路華子と申します」

「……キヨ……、」

 名乗ろうとしたが、キヨは自分の訛りの強い言葉を恥じる。名前を口にするだけで精いっぱいだった。

 その背に、再び、分厚い掌の感触。キヨは、もう一歩前へと押しやられる。

「華子、お前、寝てていいんだよ」

 都路の、心配そうな声。

「いいえ、お父様、大丈夫。――キヨ子さん、こちらへいらして。握手をしてくださる?」

 半身を起こした華子が、キヨに向かって手を伸べる。キヨは考える間もなく、それに引かれるように近寄った。握手が何なのか知らなかったが、本能的にその手を握る。

 華子は、心から嬉しそうに微笑んだ。

「……あ」

 その眩しい表情に、キヨはどきまぎする。

 華子の皮膚は病み疲れ、くすんでいた。例え病気だと聞かされていなくても、一目で異常が知れるだろう。

 しかしその笑顔は、その名に相応しい彩りを表していた。

「キヨ子さん、わたし、とっても嬉しいわ。どうか仲良くしてくださいね」

「……うん。うん」

 何度も首肯しゅこうしながら、キヨは華子の手をしっかりと握り締めた。華子も握り返す。とても、弱弱しかった。

 キヨは何か言わなければと、懸命に言葉を探したが、どうしても見つからない。涙が出そうになったが、堪えた。

 

 夕食は、そのまま華子の部屋で取った。華子が是非にと勧めたのだ。

 温めた牛乳、白いパンと玉蜀黍とうもろこしのスープ、チーズと挽肉のオムレツに食後のオレンヂという質素なものだったが、どれもキヨは初めて味わうものばかりだった。微妙な獣臭さが鼻につく。

「卵もチーズも、身体の為にとっても良いものなんですって。如月さんが言ってらしたけど、滋養があるのよ」

「……じよう?」

「栄養のことですって。身体を作る、大事なもののことよ」

「なら、栄養って言うとかとに」

「――あら、ほんと。キヨ子さん、わたし気が付かなかったわ。もしかして滋養と栄養は、ちょっと違うものなのかしら。後で、お父様に聞いてみましょう」

 華子の優しい雰囲気に甘え、キヨは訛りのことを忘れられた。ただ、スプーンはまだしも、ナイフとフォークは扱えたものではない。しかしこれも、食事が冷めるのも厭わず、華子が懇切丁寧に作法を教える。

「これから毎日のことだもの。イヤでも慣れてよ。オムレツだってスプーンで食べればいいわ。いいのよ、わたししか見ていないんですもの」

 華子は口元に人差し指を立てて、しーっと言った。

 キヨの気持ちがほぐれる。

 初めての洋食はキヨの口には合わなかったが、それでもとても美味しく感じた。

 自然、思うままが口に出る。

「オレンヂって蜜柑のたる」

「そうよ。オレンヂと蜜柑は家族なの」

「家族?」

「仲間……なのかしら? ――いいえ、やっぱり家族だわ。遠い国で別々に暮らしていたから、すっかり身なりは変わっちゃったけど、それでも、とってもよく似ているものね」

「味も似とる」

「似ているわね。わたしはどちらも大好きなの」

「うん。美味うまか。ね、オレンヂがお姉ちゃん、蜜柑が妹?」

「あら、それは素敵ね。オレンヂの方が大きいし、きっとそうよ。さっきから思っていたのだけど、キヨ子さん、あなた、鋭くてよ。とても賢いわ」

 華子は、手を叩いて喜んだ。キヨは頬を染めて俯いたが、内心では少し得意に思った。

 コツコツコツ。ノックが三度響き、ドアーが開く。

「華子、楽しそうだね」

 満面に笑みを湛えた、都路が大股にやってきた。

「ええ、お父様。とっても楽しいの。見て、わたし、全部食べたのよ」

「よかった。久しぶりに食が進んだね。――キヨ子ちゃんのお蔭だよ」

 キヨは照れてしまって、何も言えない。

「楽しいのは良いことだが、そろそろお開きにしよう。華子、さ、ビタミンを飲んで休みなさい」

「……はい、お父様」

 都路が、華子の背凭れ用に重ねてあるクッションを取り除ける。華子は素直に横になった。

「お水は、すぐに持ってくるからね。先に、キヨ子ちゃんを部屋まで送ってくるよ。さ、キヨ子ちゃん」

「キヨ子さん、今日は本当にありがとう。とっても楽しかったわ。明日からも、どうぞよろしくね」

 名残惜しそうに華子は言うと、手を差し伸べる。

 キヨはそれと察し、その手を掴む。先程のように力は込めず、華子と同じくらいにそっと握る。

「華子様……」

「キヨ子さん、おやすみなさい」

「さ、キヨ子ちゃん」

 都路がキヨの肩に手を回し、反転させる。

 少女二人の手が、離れた。

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