中編 破裂する心

「私を寝取ってもらえませんか?」


 心が破裂した私は店長さんに訴えた。

 多分、顔は真っ赤だろう。

 驚く店長さん。


「立花さんをですか?」

「わ、私では愛していただく対象にはなりませんか?」

「そういうことではなく……」

「じゃ、じゃあ!」


 店長さんは考え込み、口を開いた。


「立花さんはんですか?」

「え?」

「それとも、単に性欲を満たしたいだけですか?」

「それは……愛されたい、です……」


 にっこり微笑む店長さん。


「私にも妻と子どもがいます。私が立花さんのお願いを聞くと、ダブル不倫ということになりますね」

「…………」

「妻と子どもがいるのに平気で不倫するような男の『愛している』という言葉、信用できますか?」

「それは……」

「『愛してるのはキミだけ』、『妻とは別れる』、『いつか一緒になろう』、信用できますか?」

「…………」


 自分の取った行動が如何に浅はかだったか。

 私は何も答えられなかった。


「私はカウンセラーではありませんが、立花さんの悩みを共有することはできます。もちろん誰にも言いません。私が信頼を寄せている立花さんがこんなことを言ってくるなんて、どう考えてもおかしいです。一体何があったんですか?」


 こんなパートのオバサンの馬鹿げたお願いを店長さんはしっかりと受け止めて、真剣に心配してくれている。

 店長さんの優しさと自分の馬鹿さ加減に、涙が止まらなかった。


 私は、自分の抱えていた気持ちをすべて店長さんに吐き出した。

 幸福の意味が分からなくなってしまったと。

 もう頭がおかしくなってしまったんだと。


 店長さんは泣きじゃくる私に向けて、優しく語り始めた。


「まず、立花さんのその思いは全然おかしくないです。愛したい、愛されたいと思うのは、人間として普通のことなのですから」


 涙ながらに顔を上げた私に、笑顔で頷く店長さん。


「愛されたいというその気持ち。旦那さんに伝わっていますか?」

「夫婦なんですから、伝わっていると思います……でも、私はあのひとに愛されていないから……こんなオバサンじゃ……」

「立花さんは旦那さんの考えていることや気持ちがすべて分かるんですか?」


 店長さんの言葉にハッとする。


「人間は、他のひとの考えていることや気持ちが分かりません」

「……はい」

「逆に言えば、自分の考えていることや気持ちも伝わらないんです」

「…………」

「それは友だちであっても、恋人であっても、夫婦であっても、家族であっても……よく『私たちは通じ合ってる』とか『ウチの家族は以心伝心』とかって聞きますけど、私に言わせればそんなのは錯覚です。その考えでは、いつか必ず関係が破綻します」

「……はい」

「では、お互いに分かり合ったり、気持ちを伝え合ったりするには、どうするのが良いと思いますか?」

「……会話すること……自分の気持ちを言葉にすること」


 笑顔の店長さん。


「まだ私と不倫したいですか?」


 私は首を左右に振った。


「立花さん」

「はい」

「立花さんは自分のことをオバサンと仰っていましたが、私から見ればとても魅力的な女性です。これはお世辞ではありません」


 顔が熱くなる私。


「だから自信を持って、がんばって!」

「はい!」


 立ち上がった店長さん。


「私はまだ作業が残っていますので」


 私も立ち上がり、深く深く頭を下げた。


「店長さん、本当にありがとうございました」


 店長さんは右手を上げて、笑顔で私を見送ってくれた。

 事務室から出た私。


 (帰ったらきちんと話をしよう)


 私はそんな思いを胸に帰路についた。



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