第5話 生活

 それから、佑とロボットは黙り込んだ。佑が眠ってしまうほどに、長く。

 佑が目を覚ますと、ロボットが壁にある大きな四角形の一つを開けて部屋に入ってくるところだった。――硬い床に寝ていたので全身が痛いが、無理やり関節を動かして座る。

 ロボットは佑に嫌われたと判断したのか、何も喋らず、目も合わせずに、両腕いっぱいに抱えていた物を佑の横に置くと、ジイ、と立ち上がって、佑の後ろのスリープ用寝台の片方に収まりにいく。

「……ロボット一つを責めてもどうしようもない」

 ひと眠りして頭が少し整理されたのか、佑は自分の無意味な言動に気が付いていた。

 今更いまさら何をしようが、伊吹は、伊吹と共に音楽をつくった時間は、戻ってこない。

「黙ってただいられても気まずい。適当に喋っててくれ」

 寝台の、ロボットの背部の形のくぼみにボディを収めようとしていたロボットは、ウィ、と音を立てて上体を起こし、寝台から下りてくる。

「では、ここでの生活についてお話しましょう」

 佑の前まで来たロボットは床に膝を付くと、初期設定の無表情で淡々と話しながら、さっき持ってきた物の山を指差す。

「私は時々、ご主人様のお食事のお相手をすることがあります。もちろん消化・吸収はできませんが。ですからご主人様に、実際の食べ物や飲み物の味や香り、見た目や感触をもっとと申し上げたら、快く承諾してくださり、料理人の方々、皆さん人間ですよ。彼らに毎日三食作らせてくださることとなりました。ええ、私はロボットですので何かをと感じることはありませんが、ご主人様は私がロボットらしい話し方をするのがお気に召さないようですので」

 床に置かれた盆には、薄い陶器の皿に入った白粥しろがゆと、グラスに注がれた水が載っていた。

「佑さんは疲れているように見えましたので、お粥を作ってもらいました。これからは、お好きなものを言ってもらえれば、料理人の方にお願いしておきます」

 ロボットは食事の説明を終えると、人差し指を立てた手をカーソルのように動かし、次は蓋付きの金属製のゴミ箱をす。

「ロボットが増えたので廃棄物も増えると言って、ご主人様から頂きました。これは収納せずに置いておきますから、用便ようべんはここにどうぞ」

 ――このような状況であっても、仕方のない問題である。

「中身は私がこっそりトイレに流してきます。私はロボットですから、お気になさらず。私のカメラやマイクが捉えたものは各種AIのデータベースに送信されていますが、少なくとも私に搭載されているAIの開発者である生きた人間は、その一つひとつを見ることはありません。彼らは膨大な量のデータの処理や学習、そこからの新たなデータ生成に関わる仕事をしていますので。ええ、もちろんモラルがあることからそうしている人間がほとんどですが。ともかくご安心ください」

 データがどうだろうが人間がどうだろうが、今はそれ以外にどうしようもないので、佑は頷く。

「着替えは私のがありますので使ってください。少し大きいですが」

 ロボットは次に、布の山を指差す。

「空調はロボット本体を傷めないために最適な温度に設定されていて、私が温度を調節することはできません。換気もロボット本体の保存が目的で、シャワー室以外は調節ができませんので、佑さんは服の着脱で快適性を保ってください。寝具はありませんから、服を代わりに使うと良いでしょう。服はこの部屋にも収納してありますので、別のものが欲しければ言ってください」

 ――服は畳んで積まれていたが、全て見覚えのあるものであることが分かる。

 毎日の練習や打ち合わせで見た服。買い物や食事に連れ出したときの服。私服でのライブで見た服。作ってもらった衣装でのライブで見た服。家に行ってぐだぐだしたときに見た服。風呂が壊れて銭湯に連れて行ったときに見た服――。

「シャワー室はここです」

 いつの間にか正面の壁際に立っていたロボットが、縦長の大きな四角形に手を翳す。

「私は汗をかきませんが、外部から汚れが付きますので」

 手前に開いた四角形の扉の向こうには、この部屋と同じ真っ白の、シンプルな小型のシャワーユニットが埋め込まれていた。壁も床も天井も真っ白なので、ユニットの奥の壁に掛かったシャワーの下、カウンターに置かれた物の色だけが異様である。

 市販のシャンプーに、市販のコンディショナー、市販のボディーソープに、市販の洗顔料。これも全て、見覚えがある。

 ――違う。これは伊吹の物ではない。

 服もシャンプーも、同じ型のものがいくつも作られて売られている。目の前にある服にはほつれが無い。染みが無い。シャンプーボトルには汚れが付いていない。ポンプとラベルの正面の向きが気持ち悪いほどに合っている。

 別物なのだ。これは、伊吹の物ではない――。

「申し訳ありません」

 ロボットは無表情の中に、わずかに『窓の中の戦』の表情を混ぜる。

「私の姿もしかり、亡くなった近しい方を思い出すような物に触れたくないでしょう。ですが、これしかないのです。それでも、私は相楽伊吹さんではありませんし、ここにある物は相楽伊吹さんのものとは決して同一ではありません。ご主人様の、勝手な真似事まねごとです」

 ロボットにでも別物だと言ってもらえると、佑の思考に小さな添え木が一つ加わる。

 ここにある物は全て別物だ。見た目が似ているだけ。

 そう思い込むことはできそうだったので、佑は頷く。

 それを見るとロボットは無表情に戻って、説明を続ける。

「タオル、清掃用のちり紙、歯磨きの道具、ドライヤーもあります」

 ロボットは壁の四角形の抽斗を出したり仕舞しまったりしながら、佑が頻繁に使うであろうと判断した物を部屋に出していく。壁の抽斗以外に収納は無いので、全て床に直置じかおきである。

「洗濯機はここです」

 ロボットはシャワー室の隣の大きな四角形の抽斗を出しながら振り返る。

「水道はシャワー室と洗濯機のところにあるものだけです。油汚れを落としやすくするために給湯設備はどちらにもありますが、洗濯機の水道はホースに繋いでありますから、洗濯以外で水を使う用事があればシャワー室の方を使うと良いでしょう。シャワー室の扉はできる限り開けておきます。水道水は飲めます」

 ロボットは一度閉めていたシャワー室の扉に手を翳して開けると、次は手でじかに持って、ロックがかかるぎりぎりのところまで閉じる。

「私が話してばかりで申し訳ありません」

 部屋の説明を終えたらしいロボットは、ジィ、ピィ、とかすかな音を立てながら歩いてきて、再び佑の前に膝を付く。

「お粥が冷めてしまいます。死んでしまいますから食べてください」

 ロボットの黒い虹彩こうさいに映る歪んだ像から、佑は自分が痩せ細っていることを知った。

 伊吹はAIに殺された。

 自分まで殺されてたまるか。

 AIなど、れて灰になるまで利用してやる。

 背後に何の思考も無いやけくその感情に突き動かされ、佑は白粥を飲んだ。

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