肆
「────正直、あんまり覚えてないんだよなぁ」
あれから数日たった放課後。
一番症状が重かった来光くんが復帰して、久しぶりにみんな揃って罰則の文殿掃除をしていた。
本でトランプタワーを作りながら、慶賀くんがそうぼやく。
「そうだろうよ。だってお前が一番早くに気絶してたからな!」
「はぁ? 俺よりも来光の方が先だったし!」
「やーい、情けない男~」
「何だとーッ」
ホコリをはらうハタキで殴り合いを始めた二人は、バン!と大きな音にピタリと動きを止める。
振り返ると机に書物を叩き付けたらしい恵衣くんが、鋭い目でこちらを睨んでいた。
「ごめん、恵衣」
固まってしまった二人の代わりに、嘉正くんが謝る。
怖い顔をした恵衣くんは、返事をすることなく別の棚へ歩いていった。
「今はそんなことどうでもいいから。手を動かして」
嘉正くんは呆れたように息を吐いてそう言う。
「でもさぁ、ほんとに何だったんだろうね」
本棚に巻物を戻しながら来光くんが呟く。
「薫先生は、僕らには関係の無い場所だから詮索するなって言ったんだよね?」
「うん……」
「大切だけど大切でないものって変な言い方だよね。謎かけみたい」
確かに、薫先生の言い方は曖昧でおかしい。
あれだけ厳重な鳥居と護符の結界に護られたものだ。本来ならとても大切なものが保管されているはずなのに、「大切だけど大切でないもの」と言った。
一体どういうことだろう。
「薫先生が関わるなって言ったんだから、もうこの話はこれでおしまい。いつまでも終わんないよ、これ」
嘉正くんは積み重なった書籍に目をやってため息をこぼす。
「でたよ、嘉正の優等生発言!」
「別にそんなんじゃないってば」
「でも、正直気になるだろ? 社の敷地内にあんな場所があるんだぜ?」
その時、突然「あ」と声を上げた来光くんにみんなが視線を注目させる。
「なんだよ来光! なんか知ってんのか?」
「いやいやいや、でもあれは噂程度の話だし」
「なんだよ言えよー!」
いつも通り慶賀くんにヘッドロックをかけられて、来光くんは悲鳴混じりに答えた。
解放された来光くんはケホケホと咳き込みながら真剣な顔で私を見た。
「嬉々先生が、いたんだよね?」
「うん……確かに、あの声は嬉々先生だったと思う」
「その嬉々先生だよ」
え? と皆が怪訝な顔をする。
「嬉々先生が神修の学生だった頃、先生の言霊が暴走してクラスメイトを……じゅ、
呪殺……文字の通り呪い殺すという意味だろう。
嬉々先生がクラスメイトを呪殺した?
しばらくの沈黙のあと、ぶっと吹き出したのは私以外の皆だった。
「そんなことあるわけねぇじゃん! あほだな来光っ!」
「なっ、だから噂だって前置きしたじゃん!」
「深刻な顔で話し始めるから、何かと思ったよ」
「なんだよ嘉正まで!」
不貞腐れた来光くんはそっぽを向いて唇をとがらせた。
「ごめんって来光。ただ、もし神職が言霊で同胞を傷付ければ、それは神社本庁が定める
神役諸法度、学生手帳の中に記載があるのを入学したての頃に読んだことがある。
日本神社本庁が定める規則で、言霊の力を使うにあたって守らなければならないルールが事細かに記載されている。
金曜日の六限にも「神役諸法度1」という授業があるくらい、神職の中では重要な規則だ。規則を破れば、その破った規則の重さに応じて罰則が与えられる。
確かに嘉正くんの言う通り、もし嬉々先生が同級生を呪殺していたら諸法度に触れる重大な罪だ。
「まあ、火のないところに煙は立たないって言うし、嬉々先生があの場にいたのは事実だ。何らかの関係があるのかもしれないね」
「先生が作ったやべぇ護符が保管されてんじゃねえの? 酒呑童子の首とか」
「妖刀村正とか、生き人形とか!」
馬鹿にしてるだろ!と来光くんが顔を真っ赤にして抗議すると、みんなはケラケラと笑った。
「まあ、でもさー。嬉々先生って、なんか雰囲気が他とは違うっていうかさ。少なくとも、社に使える神職って感じじゃないよな」
たしかに、あの不気味な雰囲気は薫先生や禄輪さん、他の神職の先生たちとは少し違った雰囲気がする。
何を考えているのか分からないあの目が、ずっと苦手だった。
「全く関係がなかったにしろあったにしろ、嬉々先生はあそこで何をしてたんだろうね」
「────なんだ、嬉々先生の噂話か?」
第三者の声に皆が振り返った。
「禄輪禰宜っ!」
目が会った瞬間、禄輪さんは目尻に皺を寄せて笑う。
座っていた机から飛び降りた慶賀くんが禄輪さんに飛び付いた。
「こら慶賀! 狭い通路で飛び付くんじゃない」
「ねっねっ、禄輪禰宜稽古つけてよ! 俺最近、鈴振祓の練習始めたんだ、稽古つけて!」
「あ、ずりぃぞ慶賀! 禄輪禰宜俺も!」
「抜け駆け反対! 僕もお願いします!」
あっという間に皆に囲まれた禄輪さんは困ったように「落ち着け」とみんなを宥める。
「それはいいが、お前たち罰則の文殿掃除の最中だろう」
あ、と思い出したように床に積まれた書物の塔を見下ろす。
げえー、と顔を顰めた皆。
その時、こほんと咳払いがして振り返ると文殿の管理人である
「本当に貴方がたは困ったものですね……」
「方賢さん、もういいでしょ!? 俺らすんごい頑張って片付けた!」
「嘘おっしゃい。形代に見張らせていたから知っていますよ、頑張っていたのは恵衣さんだけでした」
「そこをなんとか! 頼むよ方賢さーん……」
泰紀くんと慶賀くんが方賢さんに必死に手を合わせて頼み込む。そんな二人を見て深いため息をついた。
「分かりました。今日はもう行ってよし。集中力が切れると、何事も捗りませんからね。まあ貴方がたの場合、初めから集中していませんでしたが……」
その途端、「やりぃ!」と叫んだ二人は、辛うじて作業していた書物を適当に机にどさりとおいてかけ出す。
しかしきゅっと足を止めて振り返った。
「禄輪禰宜ほら早く!」
「私は用があるから先に行ってなさい」
「すぐに来てくれ!? 絶対だからな! 演習場の白砂のところに集合だから!」
はいはい、と苦笑いで「先に行ってろ」と手を振った禄輪さん。
二人は先程の勢いで駆け出して行った。
「すみません方賢さん。明日は真面目にやります」
「すみません!」
来光くんと嘉正くんも、あの二人よりかは心做しか丁寧に作業中だった書物の塔を整えてどたばたと文殿を出ていく。
「君ももう行っていいですよ、恵衣さん」
「はい」
割り振られた場所はもう片付いたらしく、恵衣くんは最後の一冊を棚へ戻すと一礼して歩いていった。
また深くため息をついた方賢さんはやれやれと首を振って戻って行った。
「禄輪さん?」
最後まで残った禄輪さん。きっと私に用があったんだろう。
「巫寿、ちょっとそこに座りなさい」
真剣な目をした禄輪さんはそばにあった椅子を指さした。
不思議に思いながら言われた通りに椅子に座ると、禄輪さんが床に膝を着いて座り私と目線を合わせる。
「困ったことがあったら、私や騰蛇や薫をすぐに頼るよう言っただろう」
それが先日の事件を指しているのはすぐに分かった。
「……ごめんなさい」
「どんなことでもいい。私は君の親代わりだ、何かあったら一恍と泉寿に申し訳が────」
そこまで言った禄輪さんが口を閉ざして「いや」と首を振り、
「申し訳が立たないのもそうだが、私が心配なんだ」
そう言う。
「まだこちらの世界を知ったばかりだ。知らないことも出来ないことも多いだろうし、知らずに危険なことに巻き込まれることだってある」
禄輪さんの言う通りだ。
通っている学校のことですら、まだちゃんと分かっていない。自分が何者なのか、この力がなんなのか。
知らないということは、危険なことに巻き込まれていても気がつけないということだ。
ごめんなさい、もう一度そう謝れば禄輪さんは私の肩をぽんと叩く。
「友達とのおいたも程々にな。私も人の事を言えるような学生時代ではなかったが」
そう言って笑った禄輪さんは慣れた手つきで机の上に残った書物を棚に戻す。
その慣れた手つきに、禄輪さんの学生時代が垣間見えた気がして思わず笑う。
「そうだ、巫寿はゴールデンウィークはどうするんだ」
「ゴールデンウィーク?」
「ああ。帰省はできないが、門限まで出かけることはできる」
もう4月も後半に差し掛かっていて、あと数日すれば5月に入る。あっという間だったような、とても長かったような一ヶ月だった。
帰省ができないにしても、どうしても行きたい場所があった。
「お兄ちゃんのお見舞いに行きたいです」
禄輪さんは目を弓なりにした。
「分かった、どこかで一緒に行こう。なるべく仕事も入れないようにする」
「禄輪さんはずっとお仕事なんですか」
「ああ、でも仕方ないことだ。まあ社の再興のこともあるし、今は猫の手も借りたいな」
ちょっと疲れたようにため息を着くと、禄輪さんは立ち上がる。
「私に、出来ることはありますか?」
驚いたように目を瞬かせた禄輪さん。しかし嬉しそうに破顔して私の髪の毛をぐしゃぐしゃに撫でる。
「ありがとう。手伝いが欲しくなったら、声をかけるよ」
「はい……!」
「よし、じゃあ話はこれで終わり。巫寿も来るか?」
「あ、私は……行っても出来ることがないし」
「こら、言祝ぎの言葉を口にしなさい」
呆れたように笑った禄輪さん。
「はい」と肩をすくめる。
そこでふと、先日の祝詞のことを思い出した。
「禄輪さん、教えて欲しいことがあって……えっと、たしか
驚いたように目を見開いた禄輪さん。
え? と首を傾げる。
「どうしてそれを知っているんだ? 学校の教科書にも載ってないような高度な祝詞だ。扱える神職は滅多に居ない」
「え……」
「
天地一切清浄祓、私が奏上したのはそんな名前の祝詞だったんだ。
でも教科書にも載っていない祝詞って……。
あの時は無意識に頭に思い浮かんだような気がしたけれど、どれかの教科書に乗っていたのを覚えていて、唱えることが出来たのだと思っていた。
けれど、教科書に載って居ないんだとしたら、私はどこでこれを知ったんだろう……?
「己の中にある言祝ぎが桁違いに強い者しか、その祝詞を言霊にすることは出来ない。私の知る限り、それを言霊にできたのは二人しかいない」
「神修の先生ですか?」
「いや……一人は神修の学生だった。もう一人は────先代のかむくらの社の巫女、
ばくんと心臓が波打った。身体中が粟立つ感覚がして、咄嗟に二の腕を押えた。
夢の中に出てきた人だ。
お母さんと一緒に、まだ綺麗だったかむくらの社にいた人。許しを乞うように涙を流していた女の人。
「奉日本、志よう……」
「たった一人しか仕えることのゆるされない"かむくらの社"の神職であり、全ての神職のトップに君臨する
「お母さんと、志ようさんが一緒にいるところを夢で見ました」
「泉寿と志ようが?」
目を見開いた禄輪さんは、詳しく聞かせてくれと私の両肩に手を置く。
ひとつ頷き見た夢の内容を細かく思い出しながら禄輪さんに話した。
綺麗なかむくらの社にいた事、志ようさんは泣いていたこと、許しを乞うていたこと。志ようさんはお母さんのことを「泉ちゃん」と呼んでいたこと。
ひとつひとつ真剣な顔で何度も確かめるように聞き返しながら話を聞いた禄輪さんは、全て話し終えると何か考え込むように口を閉ざした。
「禄輪さん……?」
「……ああ、すまん。そうか」
そうか?
どういう意味だろう。
「巫寿が見た夢が現実にあったことなのか単なる夢なのか、正直私には判断がつかないんだ」
「そう、ですよね」
「ただ、夢を見るというのは何らかの意味を表していることは確かだ。もし、また何か夢で見たり気がついた事があれば、知らせてくれ」
「わかりました」
ぽん、と私の肩を叩いた禄輪さんは文殿を後にした。
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