どうしようかな、と書棚を見上げる。




「あ、そうだ。確か────」




背表紙を撫でながら書物の題名をひとつひとつ確かめる。目当ての一冊を探し当てて書棚から引き抜くと、棚に背を預けてページをめくる。


数日前にこの当たりの棚を片付けた時、本を落としてしまった拍子に目次をみた。それはかむくらの社について書かれた書物だ。



えっと────かむくらの社、創建は780年。社号の"かむくら"は神の御座す場所を示す。御祭神ごさいじんに、日輪を司る撞賢木厳之御魂天疎向津媛命つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみことを御祭奉る。



平安京に都を遷す前だから奈良時代、長岡京の頃だ。


日輪……確か太陽のことだ。じゃあかむくらの社の御祭神は太陽の神様なんだ。


そのまま続けて読み進める。




神役は言祝ぎの巫女に限り、これを以て審神者さにわとす。審神者、十二神使じゅうにしんしを使役し御祭神に御仕え奉り、あまねく社統べし。


言祝ぎの巫女、言祝ぎの力を持っている巫女ということだろうか。


十二神使……?


その言葉には聞き覚えがある。





「えっと……」



パラパラとページをめくと「十二神使」の文字を見つけて手を止めた。



「十二神使、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみことを守護する十二の神使を示す。審神者に従い、主従の結びを交わす。鳥の妖朱雀すざく、木の妖六合りくごう、蛇の妖勾陳こうちん、龍の妖青龍せいりゅう天乙てんおつの妖貴人きじん……炎と蛇の妖騰蛇とうだ



騰蛇……。


そうだ、騰蛇だ。初めて会ったあの日、確かに騰蛇は自分のことを十二神使の騰蛇だと名乗っていた。



「騰蛇……? いる?」


「はい、ここに」


「うわっ」



瞬きした瞬間には音もなく私の前に現れた騰蛇。燃えるような赤毛がさらりと揺れて、炎を宿したような瞳が私をみおろす。


いつもの事ながら突然に現れるのにはドキッとさせられる。




「騰蛇はさ、志ようさんに仕えていたの……?」


「志ようとはどなたでしょう」



思いもよらない返答に目を瞬かせた。



「え? 先代の審神者の名前だよ。騰蛇、知らないの?」



騰蛇が僅かに目を見開いた。




「志よう、さま」




ただ、そう一言つぶやくと目を伏せたまま動かなくなった。


騰蛇……?


急にどうしたんだろう。




「騰蛇? 大丈夫?」



心配しながら顔を覗き込めば、「失礼しました」と騰蛇はいつもと変わらない顔で答えた。


騰蛇の変な態度を不思議に思いながら、同じ質問を繰り返す。



「その、先代の審神者に仕えていたんだよね?」


「ええ」


「でも今は禄輪さんに仕えているんだよね?」


「正確には」




相変わらず多くは答えず淡々とそう言った騰蛇。




「十二神使は審神者にしか使役が出来ないんだよね? そう本に書いてあったの。でも、今騰蛇は禄輪さんに仕えている……」


「審神者との結びは簡単に断つことはできかねます。しかし唯一、十二神使が自らさにわとの結びを切り、他者と呪誓じゅせいを交わすことで、結びが解けます。私もそうして禄輪の元に下りました」


「呪誓?」


「破れぬ誓いです。誓いを守らねば報いをうけます。それほど効力は強く、確固たる呪いです」




なるほど、審神者は十二神使と「結び」を作って主従関係を結ぶことが出来るけれど、それは妖側から絶つことが出来るんだ。


そして「呪誓」を交わすことによって、別の神職と主従関係を作ることが出来る、ということか。




「どうして志ようさんと結びを切って、禄輪さんの下にくだったの? 呪誓でどんな誓約したの?」


「お答え致しかねます。呪誓に反します」




淡々とそう応える。




「じゃあ……志ようさんはどんな人だった?」




いつも表情の変わらない騰蛇の瞳が僅かに揺らいだ。


しばらくの沈黙の後、騰蛇は口を開いた。




「心のお優しい方です。私に名前を与えて下さいました」




僅かに口角を上げた騰蛇。


珍しいものを見て、目を丸くした。あの鉄壁の無表情を貫いていた騰蛇がこんな表情をするなんて。




「騰蛇は志ようさんが大好きだったんだね」


「好意があったかどうかは判断致しかねます」


「もう……」



堅苦しい言い方に苦笑いで肩を竦めた。


それでね、と騰蛇を見上げる。




「審神者について知ってることが教えて欲しいの」


「かむくらの社に使える言祝ぎの巫女を審神者と呼びます」


「あ、それ本にも書いてたよ。言祝ぎの巫女って言うのがよく分からなくて」


「言祝ぎの力が強い巫女、という意味です。御祭神さまが神職を選ぶ他の社とは違い、かむくらの巫女は人間が選びます故、そう呼ばれています」



なるほど、言祝ぎ力が強い巫女がかむくらの社の巫女に選ばれるんだ。


でも、ほかの社は御祭神さまが神職を選ぶのに、なぜかむくらの社は人が選ぶんだろう。



「審神者になると、十二神使を召喚する祝詞を撞賢木厳之御魂天疎向津媛命つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみことへ奏上します。そこで顕現した十二神使と主従関係を築きます」


「結びを作るんだね」


「ええ。結びを作ることが出来れば、審神者はあるじになり、十二神使は君の霊力を分け与えられる代わりに命に従い、背かず、確固たる忠誠を誓約します」



霊力を分ける?


首を傾げて聞き返した。



「十二神使は他の妖とは違い、妖でありながら穢れを嫌う清廉で潔白な妖です。その動力の源は言祝ぎの力であり、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみことの元を離れると、源となる力が枯渇してやがて消えます。ですから、審神者の言祝ぎの力を分け与えるのと引き替えに忠誠を誓約します」



審神者の言祝ぎの力を引き替えに忠誠を誓約する……なるほど、十二神使と審神者はそうやってお互いの関係を築くんだ。



妖でありながら穢れを嫌う唯一で清廉潔白な妖。


それだけ騰蛇たちが特別な存在であり、それを使役することを許される審神者が高位な存在であるということだ。



はっと騰蛇を見上げた。



「ねえ、志ようさんはほかの十二神使も召喚したの?」


「ええ。私を含め八匹ほど仕えておりました」


恣冀しき……と呼ばれていたの妖はいた?」



騰蛇は少し黙って考え込むと「いません」と答えた。


いない、か……。


かむくらの社にいた「恣冀しき」という名の白髪の妖。



彼の姿を見た瞬間、胸がはち切れるような痛みがして、初めて会う見たこともない妖なのに、私は彼に謝らなければならないと強く思った。


激しく感情を揺さぶられる。



恣冀、名前の通り自由な妖、穢れを嫌う唯一で潔白な妖。



一体誰なの?



騰蛇の話を聞いて、あれは間違いなく十二神使だと思ったんだけれど思い違いだったのかな。



もしかしたら正体が分かるかもしれないと期待した分、分からずじまいで肩を落とす。


この頃ずっと変だ。


あったことも無い人が夢に出てきたり、知らない名前を知っていたり、あたかも自分の記憶のように知らないことを知っている。


自分ではない誰かの感情や記憶を追体験しているような感じだ。



天地一切清浄祓てんちいっさいしょうじょうはらえ、十二神使、かむくらの社、志ようさん。それらに関係するのは、審神者という存在。


ここまで来るように、そうするように、導かれているような気がした。




「騰蛇……」


「はい」



騰蛇はその場に膝をついた。


そんな様子に思わず苦笑いをうかべた。




「私が言おうとしていることが、分かるの?」


「ええ」




憮然とした態度に思わずくすりと笑った。



「先程申し上げましたように、結びをつくれば私が呪誓で反故にせぬ限り、あるじから解くことは出来ません。本当に、心をお決めになって宜しいか」



騰蛇の真っ直ぐな目が向けられて、思わず俯いた。


この世界にまだ戸惑っているのは確かで、受け入れられない自分がいるのも自覚している。



けれど、志ようさんの夢を見たり、恣冀という妖を知っていたり、それらは全て自分のこれまでやこれからと繋がっている気がしたのだ。


迷いだらけで「ほんとうにそれでいいのか」と問いかける自分がいて、なのに「それが正しい」のだと言う強い声が胸の奥から聞こえる。




「騰蛇も、私でいいの? 私、審神者でもなんでもないのに」


「私自らが望んだことです。それに、禄輪も審神者ではありません」



たしかに、と肩を竦めた。


騰蛇が姿勢を正した。ゆっくりと、彼女に近付き前に立つ。



すっと息を吸えば、降り始めた小雨のように心臓は徐々に激しく波打つ。




「────我が元に下れ、騰蛇」




炎が宿ったような赤い目でじっと私を見据えた。


全てを見透かして見定めるようなその目が、少し怖い。



「御意に」



騰蛇が静かにそう答えた。


暫くじっとしているけれども、想定していたことは何も起きず、「え?」と目を瞬かせた。



「あの、もしかして失敗した?」


「いえ。滞りなく結びは交わされました、君」



表情を変えず答えた騰蛇に、どっと肩の荷がおりた。



「なんか、拍子抜けだね。もっと仰々しい感じに光ったりするのかと思っちゃった。騰────」



その時、頭にふと二つの漢字が浮かび上がった。



眞奉まほう……?」


「はい、君」



炎が宿る赤い瞳が私を見つめる。



「騰蛇は、眞奉まほうって名前だったんだね。先代の審神者が付けてくれた名前?」


「ええ」


「綺麗な響き……」



眞奉は珍しく、嬉しそうに口角を上げて目を伏せた。



「眞奉って呼んでもいい?」


「もちろんです、君」



今までは巫寿さま、と呼ばれていたから「君」と呼ばれるのはなんだか不思議な感じがする。


少し照れくさい。



時刻を知らせる鐘が響き、御神木にとまっていた鳥たちが一斉に羽ばたいた。



その時、バサバサッ────と物が崩れ落ちる音がしてはっと振り返る。


慶賀くんと泰紀くんが積み上げた本のタワーが崩れ落ちたらしく、床に書物が散らばっていた。


「あちゃー」と苦笑いで歩み寄るいくつか拾い上げてホコリを払う。眞奉も淡々とそれを拾い上げていく。




「ありがとう。片付けたら戻ろっか」




なんとなく外に視線を向けると、眞奉と同じ色をした燃えるような夕暮れの空が広がっている。


とても美しく少し恐ろしい。



これからどうすればいいんだろう、ぼんやりそんなことを考えた。



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