その日、不思議な夢を見た。


私は今よりももっと綺麗で、新しい畳の匂いがするかむくらの社を歩いていた。


左手には誰かの手の温もりを感じる。その日手を繋いで歩いているらしい。顔を覗き込もうとしても、その人の顔はモヤがかかったようにぼんやりと白くなっている。


何が何だかよく分からないまま、かむくらの社の廊下を歩く。



するとひとつの部屋に差し掛かった時、誰かの話し声が聞こえた。綺麗な障子が貼られたその部屋は扉が少しだけ空いていて、何となくそこをのぞき込む。




────泉ちゃん。ごめんなさい。ごめんなさい、私はどうしたら。



誰かが泣いている。


橙色の着物を着た女の人だった。肩までの長さの短い黒髪に、白い肌。頬は朱墨のようにあかく染まって、夜空をすくったような瞳。とても綺麗な人だった。



その女の人は、誰かに縋り付くようにして泣いていた。相手も女の人だった。背中を向けているので、顔は分からない。




────宮さま、宮さま。どうか心を安らかに。お身体に障ります。


────ああ、泉ちゃん。私本当に。




まるで懺悔するように、何かから怯えるように、その女の人は顔を埋めて泣いていた。




────宮さま、何が貴殿をそこまで追い詰めるのですか。



「宮さま」と呼ばれた彼女の肩を抱き起こした女の人の顔が、少しだけ見えた。


長いまつ毛に優しげな伏せ目、薄い唇に小さな鼻。「宮さま」と同じくらいに、とても綺麗な人だった。



────やめて、お願い泉ちゃん。貴女だけは、私の名前を呼んで。昔みたいに、どうか 。



酷く傷ついた顔をした彼女は、必死にそう訴える。


「泉ちゃん」と呼ばれた女の人は、困ったように微笑んだ。



────……志よう。志よう、私を見て。大丈夫だから。



志よう、とはきっと彼女の名前なのだろう。


名前を呼ばれた途端、赤ん坊のように安らかな安心した顔をした。




────私を嫌いにならないで。どうか私を許して。




お願い、そう言い志ようさんは「泉ちゃん」の手を固く握った。


そんな志ようさんを、彼女は優しく抱きしめる。




────どうして私が志ようを嫌いになるの。昔から変わらず、私は貴女の一番の親友よ。





綺麗な横顔。


私はその人を知っている気がする。


そうだ、その人は。



「────……お母さん」



自分のそんなつぶやきと共に目が覚めた。見慣れた白い天井と薄緑色のカーテン。


カーテンの向こうでカシャンと椅子がゆるれ音がして、数秒後にカーテンが開いた。




「巫寿さん? 目が覚めたんですね」




この学校では珍しく、白衣はくえではなく白衣はくいを身につけた男性。


猫っ毛の髪に少しあどけない顔立ちの、人懐っこい笑みを浮かべるその人は、この学校の学校医である八色陶護やくさとうご先生だ。




「陶護先生……」


「起きれますか? 他に痛むところは?」




4月から定期的に保健室にお世話になっていて、すっかり顔なじみになった。


ぼんやりする頭で、おでこがじんじん痛むのに気がついた。前髪の上からそっと触れると、熱を持って腫れている。顔をひきつらせると、陶護先生が手を伸ばして前髪をめくる。



「倒れた時にぶつけたんでしょうね。血は出ていないので、氷で冷やして様子を見ましょうか。気分が悪かったりは?」


「えっと……ないです」


「良かったです。それにしても、今回は中々に長く眠ってましたね」




氷を用意しながら、陶護先生はそう言う。




「丸々三日間、眠っていたんですよ」


「三日も……」



どうりで頭がずっとぼんやりして、体が重い。休みの日に眠りすぎた感覚と似ている。


はい、と手ぬぐいが巻かれた氷を渡される。




「泉寿さんの夢を見ていたんですか?」


「え?」


「そう呟いていましたよ、さっき」




そうだ、あの夢。


夢で見たかむくらの社にいた二人の女の人、そのうちの一人は私のお母さんだった。家族写真で写っている姿よりかは少し若かった。


お母さんはどうしてかむくらの社に居たんだろう? なぜ、「志よう」と呼ばれていた女の人はあんなにも泣いていたんだろう。


あの二人は、なんの話しをしていたんだろう。


分からないことだらけで、でも頭の中はまだぼんやりしていた。




「巫寿さん、あの人に連絡したので、僕は一旦席を外しますね」


「あ、はい」



私が頷いたのを確認した陶護先生は、保健室の入口とは反対方向の別の窓に歩み寄る。


そして、窓を開けると窓枠に足をかけた。



「あの人が帰った頃に戻りますので、僕が戻るまではここで休んでいてください。それから、少しお話しましょう」


「はい、陶護先生」



それじゃあ、と言いかけたその時。




「巫寿~? 元気にしてる?」



ガラガラ、と保健室の扉が開いた。


入口に立つ人の姿を見た瞬間、「ヒイッ」とまるで化け物にでも遭遇したかのような声を上げた陶護先生。



「あれ、陶護じゃん。そんなところで何してんの?」



流れるように懐から人形ひとがたを取り出して放り投げると、人形はポンと音を立てて大きくなり、窓から逃げようとする陶護先生を容易く捕まえた。



「や、やめっ、はな、はな、離してくださいッ!」


「人のこと化け物みたいな目で見てその態度は酷くない?」


「や、やめろっ、離せ! この人でなしッ」


「あはは、すごい言われようなんだけど」



必死の形相で逃げようとする陶護先生を、式神がピザ回しでもするかのようにクルクルと回し始める。


うわあああ、と陶護先生の悲鳴が響き渡った。




くゆる先生……! やめてください、陶護先生が死にそうですっ」


「おいおい、巫寿。俺じゃなくて人形がやってるんだよ」


「操ってるのは薫先生ですから……!」




もー、と肩を竦めた薫先生はため息を吐いて片手を横にひゅっと振る。すると人形はまたポンと音を立てると、元の一枚の紙に戻った。


その紙の上にどしん、と尻もちをついた陶護先生は涙目で薫先生を睨みつける。




「だから僕は貴方が嫌いなんですっ」


「嫌よ嫌よも好きのうち、って言うもんな。照れんなって。あははっ」


「~~っ!」



顔を真っ赤にして怒りを顕にする陶護先生が立ち上がる。



「連絡した通り、巫寿さんは先程目を覚ましました! 額に打撲の腫れがあること以外は、いつも通りの症状ですっ!」


「そう、じゃあ陶護は出てって」



あっさりとそう言って手をひらひらさせた薫先生に、陶護先生はワナワナと肩を震わしながら保健室を出ていった。




「……薫先生」


「なに? だってあいつ、いじりがいがあって面白いんだもん」


「だから嫌がられるんですよ……」



苦笑いでそう言った。


陶護先生と薫先生は年が二個違いで、薫先生が先輩にあたる。先生たちが学生だった頃、中高と寮が隣同士だったらしく、それはそれはよく「仲良くしていた」のだとか。


人形を試すための相手をさせられたり、よく分からない漢方薬を飲まされたり、悲惨な学生生活だったらしく、あの人がずっと苦手でした、と語る陶護先生の目はいつも死んだ魚の目をしていた。


学生時代から苦手意識がある薫先生が保健室に来る時、決まって少し前に窓から逃げ出そうとする陶護先生。


しかし決まって逃げようとするタイミングで薫先生がやってきては捕まる。無事に逃げ出すことが出来たとしても、先生の使役する妖狐に首根っこを加えられて連れ戻されるのが定石だ。




「可愛いんだよ~、陶護って。昔っからどんだけいじめても泣きながら着いてくんの。それが面白くて尚更いじめちゃうんだけどさ」



傍にあったパイプ椅子を引き寄せて、またがるように座った薫先生。



「で、さっき目が覚めたばっかりなんだって? 体調はどう?」


「あ、はい。大丈夫です。他のみんなは……?」


「全員瘴気に当てられてくたばってるけど、今日明日一日しっかり眠ればころっと元気になるよ」



よかった、と息を吐く。


最後に見たのは、みんなの苦しげな表情だったからかなり心配だった。



「来光から文鳥が届いて迎えに行ってみたら、全員ホームルーム教室の前で気絶して積み重なって倒れてるし」


「教室の前……? いいえ、薫先生違います! 私たち、おかしな所に迷い込んでしまったんです。何百本の鳥居があって、おびただしい量の護符が貼られていて、瘴気が立ち込めた場所なんです。学校にあんな場所があるなんて……あれはどこなんですか?」



それを聞いた途端、薫先生はすっと目を細めた。



「巫寿はどこだと思う?」



え? と目を瞬かせた。



そう問われて、記憶を遡る。何百本も立つ朱い鳥居に、しめ縄に貼られたたなびく護符。


確か鳥居を建てるのは、境界線と結界の意味があると「社史」の授業で習った。境界線と結界は外からの侵入者を防ぐため、その奥にあるものを守るためにある。




「……何かとても大切なものを守っている場所、ですか?」


「あははっ、惜しい。いや、正解だけど正解じゃないかな」




ケラケラ笑った薫先生は、はあ、と息を吐いて私を見下ろす。




「大切だけど大切でないものが隠されてる場所だよ。本来なら君たちは決して入ることが出来ない無いエリアまで、偶然にも入ってしまったようだけれど。まあ、もう二度と行けるような場所じゃないから、これ以上は詮索はしないようにね」


「でも、あれって」


「質問も禁止」



人差し指を口元に当てた薫先生。




「でも、そこに嬉々先生がいました」


「……嬉々が?」



一瞬険しい顔をして見せた薫先生。


あの時、気を失う直前に視界の先に見えた紫色の袴。そして聞こえたあの声の持ち主は、間違いなく嬉々先生だった。



なぜ嬉々先生があそこにいたの? 嬉々先生は何かを言いかけていたけれど、何を言おうとしたの?


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