神修へ
壱
「巫寿、後ろを向いてみな」
隣を歩いていた禄輪さんにそう言われてびくりと肩が跳ねた。
禄輪さんの着物の袖に皺が寄るほどガチガチに握りしめていた私の手をやんわりと解く。
「私がいる。そう固くならなくても良い」
禄輪さんは笑いながらそう言って、私が身につけていたお面の紐を固く結び直す。
同じお面をつけた禄輪さんも、自分の紐を締め直して「よし」と呟いた。
”
鬼脈は全国各地にある社の鬼門とよばれる鳥居から繋がっており、神職が開閉の管理を行なっているのだとか。鬼脈にはこんな鳥居が沢山あって、もんが開いているうちは迎門の面さえつけていれば、自由に行き来できるらしい。
幽世と現世を繋ぐ唯一の場所だから同じように迎門の面をつけた妖がたくさんいる。明らかに人ではない形をした異形のものたちだ。
異様な光景に、禄輪さんの背中に隠れるようにして歩いていた。
鬼脈は、江戸時代の宿場町を彷彿させる低い二階建ての木造建築が建て並ぶ街並みだった。たくさんの看板や出店が出ており、縁日のような雰囲気がある。
禄輪さんが「巫寿、金魚すくいが出てるぞ」なんて言って私の気を紛らわそうとしてくれるけれど、それどころではなかった。
初めて見る妖、かむくらの社に来た妖狐たちや家鳴とは全く違う、おどろおどろしい姿の生き物。
小学生の頃にみた妖怪アニメの、ポップな色で可愛らしい顔をした妖なんてどこにもいない。
ほとんど禄輪さんの背中に顔を埋めるようにして歩いていた。
「巫寿、顔をあげなければ夏休みに帰ってくる時、帰り道が分からないことになるぞ。私が確実に迎えに行けるわけではないんだから」
そう言われて、そっと顔を上げる。
ぽんと私の頭を叩いた禄輪さんは、私の肩をだいて引き寄せると隣を歩かせた。
かむくらの社で過ごしてから一週間もしないうち、禄輪さんから木箱を受け取った。木箱の中には迎門の面と入学案内が入っていた。木の軸に朱色の表紙がついた巻物で、内容は崩した文字で書かれていた。
禄輪さんに代読してもらって、入学式のことや寮生活の事が書かれていることが分かった。
学校へ行くためには専用の乗り物に乗らなければならないらしい。多分、スクールバスみたいなものだろう。在校生は毎年、迎門の面をつけて鬼脈を通り、列車の乗り場となる社へと向かうのだとか。
「それにしても、今年の集合場所は近くて良かった」
「毎年乗り場が違うんですか……?」
「ああ、毎年日本国内のどこかの社だ。学校の御神馬さまは気まぐれだからな。鬼脈で繋がっているとはいえ、沖縄や北海道の社に行くのは流石に時間がかかるんだ。鬼脈でショートカット出来るとはいえ、ここは徒歩しか手段がないからな」
ごしんめさま? と聞き返そうとしたその時、禄輪さんが「見えたぞ」と指を指した。
その先には朱色の鳥居があって、私たちが来る時に通ってきたものと似ていた。どうやらこの鳥居が、集合場所の社へ繋がっている鬼門らしい。
行くぞ、と言われ恐る恐る門をくぐる。その瞬間、ぐるりと視界が反転する感覚がして視界が真っ黒になった。
「歩みを止めるなよ」
そう言われて、もつれそうになる足を必死に動かす。
禄輪さんに捕まっていないと、自分の体が真っ直ぐになっているのかさえ分からない。
5秒くらいして、さあっと視界が晴れた。森の奥の深い土の匂いや木々のざわめき、虫の鳴き声がつぎつぎと飛び込んでくる。
眩しさに目を瞑ると、禄輪さんは私の肩を叩いた。
「巫寿、見てご覧」
そういわれて、ゆっくりと顔を上げ振り返った。
「わ……っ」
森の奥、ひっそりと佇む古びた社の社頭に、
その後ろには、歴史の教科書で見たことがある御所車のような車輪の着いた縦長い屋形が繋がっている。黒光りする車輪、窓の部分には桃の花の刺繍が施された鮮やかな簾がかけられ、細やかな部分の彫刻が美しい。
列車の車両の如く5両編成で、簾が挙げられた乗り口に何人か人の姿があった。
「車に乗れば、直通だからそのまま学校に着く。学校に着くまでは、迎門の面は付けたままだからな。巫寿のことは知人に頼んであるから、困ったことがあったらその人を頼りなさい」
改めてそう言われ、当たり前だけれど学校なのだから禄輪さんが一緒に行くことは出来ないのだけれど思い知る。
ここまで頼れる人は禄輪さんしかいなくて、ずっと面倒を見てもらった。
かむくらの社から帰っても、一日に一度は家に寄ってくれたし、お兄ちゃんの病院にも可能な限り付き添ってくれた。
急に不安が込み上げてきて俯く。禄輪さんは小さく笑って私の頭を軽く叩いた。
「大丈夫。あの学校はこの世界で一番安全な場所だ。何より、私が信頼を置いている人物がいる。きっと不便はしない」
「その人って……」
「教員だ。
私の担任の先生なんだ。
禄輪さんがここまで信頼を置いている人なら心強い。
「それから暫く
意を決めてこくりと頷けば、禄輪さんは励ますように私の背中を押した。
気を付けてな、そう送り出されて車へ歩き出す。
一番大切なことを忘れていて慌てて禄輪さんに駆け寄った。
「……あの。いっぱい助けてくれて、ありがとうございますっ」
すると禄輪さんは驚いたように目を瞬かせ、直ぐに弓なりにして微笑んだ。
「一恍や泉寿が亡くなって大変な時に、直ぐに駆け付けられずすまなかった。あいつらのことは家族のように思っていたから、巫寿も遠慮せずに頼りなさい」
力強く抱き締められた。
もう何年ぶりだろうかと言うくらい、久しぶりの感覚だ。
禄輪さんはお社の木の床の匂いがして、そういえばお兄ちゃんも、うんと記憶の底の両親もこんな匂いだったような気がする。
とても優しくて温かくて、涙が出そうなほど心地よい匂いだ。
「道中気を付けてな」
「はい。いってきます」
何度も振り返りながら車に乗り込む。
直ぐに簾がおりて車は動きだした。
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