弐
禄輪さんが見えなくなって、ようやく当たりを見回した。
中は外見に比べて畳が引かれた質素な作りで、十数人くらいが座って雑談したり本を読んだりしている。
どこに座るべきか分からず、窓側の一番後ろに腰を下ろした。
どれくらいで学校に着くんだろう? 教科書や制服は全て用意されてるって聞いたけど、学校で渡されるのかな。
そんなことを考えながら、揺れる度にぱらぱらとまくれる簾の隙間から外を見た。森の奥を走っているらしく、土の匂いが濃く緑が続いている。
私も本か何か持ってくれば良かったな。
はあ、と俯いたその時。
「なあ、なあなあ!」
突然目の前に迎門の面を付けた顔がひょこっと現れて、思わず後ろに仰け反った。
「噂の編入生だよな!? 俺、
迎門の面を少しずらしたその子は面の下から少しだけ人懐っこい顔をのぞかせニッと笑う。同い年くらいの男の子だった。
「あ、えっと……椎名です」
「……? それ苗字だろ。名前だってば!」
「え、あ、巫寿です」
「巫寿! よろしくな!」
差し出した訳でもないが私の手をとってブンブンと握るその子。
初対面で下の名前を呼ばれるのは初めてで不思議な感じがした。
「あの、志々尾くん」
「慶賀だよ! 敬語もなし!」
「慶賀、くん?」
そ! と肩を竦めた慶賀くんは「何?」と首を傾げながらどかりと私の前に座った。
「噂の編入生って言うのは」
「みーんな巫寿のこと話してるぜ。妖の便りは風の便りより早いから。なにより、
「シンシュウ?」
「俺たちの学校のこと!」
なるほど、神役修詞高等学校だから略して神修という訳だ。
それにしても、噂になっていると聞くとなんだか落ち着かない。気の所為かもしれないけれど、確かに私の様子を伺う視線を何となく感じる。
「巫寿の家はどこの社を管轄してるんだ? 椎名って苗字の神職は、会ったことがねぇなぁ」
「社……? ううん、私の家は普通だよ。社とか、管轄とかしてない」
すると慶賀くんはお腹を抱えてケラケラと笑いだした。
「それは無いって巫寿! 言霊の力を扱う者は必ず社を統治する家柄の末裔だし! 父ちゃんや母ちゃんは?」
「両親は私が三つの時に亡くなったの」
あ、とバツが悪そうな顔をした慶賀くんの頭をポカリと叩いた人がいた。
「バカ慶賀。ちょっとは落ち着け」
声の低さからその子も男の子なのだと分かった。
スラリと長い手足に、濡羽色の黒髪。少し浮かせた迎門の面から見えた瞳は優しげで、すっと通った鼻筋の整った顔立ちの男の子だった。
「痛ってぇー! 何すんだよー!」
反撃しようと両腕をブンブンと振り回す慶賀くんの頭を片腕で抑えたその子は、「はじめまして」と私に向き直った。
「俺、
「あ、えっと椎名巫寿です。その、大丈夫だよ。両親のことは、慣れてるから」
私がそう言えば、面で顔は見えないけれど困ったように笑った気がした。
「巫寿、一番後ろの屋形に制服が置いてあるんだ。一緒に行こう」
「そうなんだ、ありがとう……! えっと、宜くん」
「嘉正だよ」
「あ、えっと、嘉正くん……?」
言い直せば、そうそう!と嘉正くんが笑った気がした。
「巫寿は最近この世界のことを知ったんだよね?」
「どうして分かるの?」
「編入生はみんなそうだから。分からないことはなんでも聞いて」
快くそう申し出てくれた嘉正くんに、どこか張り詰めていた緊張がほっととけた。
頼れる人に出会えた気がして、肩の力が少し抜ける。
慶賀くんと嘉正くんと三人並んで後方の屋形を目指す。館を移ると緑色の制服を着た人達がチラホラといた。嘉正くんから、上級生だと教えられる。
「みんなこの車に乗って学校へ行くの?」
「ほとんどがね。三年生から自分の社の御神馬さまに乗って行くことが許されるから、この車に乗ってるのはほとんど一二年生だけど」
「ごしんめさま……?」
「お社にいる馬だよ。その社でお祀りしている神さまがお乗りになる白馬のこと」
私たちが自転車に乗るみたいに、嘉正くんは「馬に乗る」と言った。
またしても、全然違う世界に来てしまったんだと思い知る。
一番後ろの館に着くと、そこは荷物置きのようでスーツケースやダンボール箱が積み上げられていた。
少しだけ見慣れたものを見つけて安心する。
何人かの人だかりが出来ている所へ歩み寄ると、その中心に竹で編まれた籠が三つ置いてあった。名前の札が着いた麻紐で、一人一人の制服が綺麗に畳まれ縛ってある。
そこにいた人達とは知り合いらしく、嘉正くんたちは親しげに話し始める。
輪の中に入る勇気はなくて、先に自分の制服を探すことにした。
ゴソゴソと漁るまでもなく自分の名札はすぐに見つかる。
引っ張り出して紐を解いてみた。
見慣れた白いカッターシャツに、丈の短いベストタイプの襟なしブレザー。校章らしき紋様が彫られた四つの金色ボタンが松葉色に映えて輝く。同じ松葉色のスカートは、ロングスカートだと思ったけれども作りは和服の袴に似ていた。前紐と後ろ紐が着いていて、前でちょうちょ結びにして着るようだ。着物のように袖の長い藍色のジャケットには、内と外にポケットがふたつずつある。女子は朱色の紐リボンを結ぶらしい。
新しい制服に少しだけ心が弾む。
上級生の制服をちらりと盗み見したけれど、やっぱりすごく素敵な制服だ。
慶賀くんも制服を広げ始めて、男の子の制服は袴のデザインが少し違うだけで後は全く同じだった。
「うげー、遂にこれを着るのかー」
唇を尖らせた慶賀くん。
「嫌なの……?」
「嫌だよこんなダッサイ制服! 巫寿はダサいと思わねぇの!? 白衣と袴を元にして作ったんだろうけど、それなら白衣と袴でいいじゃん!」
はあ、とわざとらしくため息をついた慶賀くん。
「確かに俺もあんまり好きじゃないかな」
嘉正くんまでそう同意して少し驚く。
上着を広げて首を傾げた。私は可愛いと思うんだけどな。
「学校に着いたら寮で着替えて、直ぐに神職奉仕報告祭があるから」
「報告祭?」
「修詞は学校で俺たちは学生だけど、一応学舎に隣接する社で奉仕する神職って扱いになってるんだ。だから、新学期ごとに"これから俺たちが奉仕します"って御祭神さまに報告する式があるんだよ」
なるほど。内容は全く違うけれど、いわばこれが入学式の代わりになるらしい。
「学校へはどのくらいで着くの?」
「集合場所によるけど、いつも三四時間くらい? それまで花札しようぜ!」
そう言って私の手首を掴んだ慶賀くんは、楽しげに駆け出した。
みんなが花札にすっかり飽きて、簾から差し込む光がオレンジ色に変わった頃。がたごと揺れていた車がゆっくりと停車した。
「着いたね」
本を読んでいた嘉正くんがパタンと畳んで顔を上げる。
寝転がって居眠りしていた慶賀くんを二人がかりでたたきおこす。
「んー……もう着いた?」
「着いたよ。みんな降り始めてるから、早く支度整えて」
むにゃむにゃと返事をした慶賀くんは、ふらふらした足取りで荷物を取りに行く。
私も急いで置きっぱなしのリュックをとって、二人に駆け寄った。
「はい、巫寿」
車の降り口で、先に降りた嘉正くんが振り返って手を差し出す。
意図を読み取れず首を傾げると「掴まって」といって私の手を取った。
「あ、ありがとう」
「いいえ。足元気をつけて」
スマートに車から降りるのを手伝ってくれた嘉正くんにどきどきしながら礼を言う。
手を頼りながらぴょんと飛び降りる。
その瞬間、目の前に鮮やかな桃色が広がった。深く甘い香しい香りには覚えがある。かむくらの社の社頭に咲いていた桃の花だ。見渡す限り桃の花が続き、その真ん中には真っ赤な鳥居が立つ。
「あー、帰ってきたな~」
伸びをしながらそう言った慶賀くん。
車の中で、ここにいるほとんどの生徒が初等部から進学した人達だと聞いた。
初等部からずっと全寮制だから、「学校に行く」という私の感覚より「帰ってくる」という方がしっくり来るんだろう。
ゾロゾロと鳥居をくぐっていく人の流れに乗って私達も歩き出す。
鳥居の前に立つと、先が見えないほどの長い石階段が広がった。大きさの違う苔むした石が敷き詰められ、長い間踏まれたのか表面は滑らかに整っている。そして階段の数だけ朱色の鳥居が立ち並び、その左右には桃の木がずっとどこまでも広がる。
薄暗いその道を、火の灯った石灯籠が照らしていた。
幻想的な景色に息を飲んだ。
「綺麗……」
「桃の木は魔除の力があるんだ」
「そうなんだ」
「春は桃、初夏は紫陽花、夏は百合、秋は薄、冬は柊が咲くようになってる。全て魔除の花で、校章のモチーフになってるんだよ」
ほう、と息を吐きながら階段の先を見上げる。
それにしても、この階段はどれくらい先まであるんだろう。先が全く見えず、どこまでも石階段が続いているように見える。
「この階段って、何段くらいあるの? 私、登りきれるかな……」
そう弱音を漏らすと、慶賀くんは「ひひっ」と悪戯に笑う。
「数え切った学生は居ねぇなー。みんな10段まで数えれば、もう数えられなくなるから」
「えっ」
それほど登り切るのが大変ということなのかな?
今度は違う溜め息をついて階段を見上げる。
「行くよ、二人とも」
嘉正くんに促され、腹を括って鳥居をくぐった。
「────え?」
丁度十段くらい登った時だった。
目に映る景色がものすごい速さで後ろに流れた。電車に乗っているような感覚だ。髪がふわりと風に煽られ、瞬きもしないうちに目の前の景色が一変した。
鳥居から本殿に繋がる石畳の引かれた参道は、来訪者を本殿へ誘う様に石灯籠が等間隔に立ち並ぶ。
その先に聳え立つのは、見上げることも出来ない程の大きな社だった。
屋根を支える柱は長い年月を物語る黒に近い焦げ茶色で、太い柱と細い柱が複雑に精密に組まれていた。
大きな社を中心に赤い太鼓橋が方々にかけられ、たくさんの建物と繋がっている。
なにより目を引くのは、軒下にかけられた大人が百人居ても支えることは出来ないような大きさの注連縄だ。
まるで何かを守るように、世界を区切るようにそこに存在し圧倒的な存在感を放つ。
張り詰めるような気圧されるような、そんな空気感すら感じた。
「学校の周り、鎮守の森には目くらましの結界が何重にも施されているんだよ。学園の生徒があの階段を通ると直ぐにここまで繋がるけれど、邪な者はあの階段から抜け出すことはできない」
嘉正くんの丁寧な説明にもただただ「すごい……」という反応しかできなかった。
このところ驚かされることばかりだ。
行くぞー? と慶賀くんに呼ばれて慌てて歩き出す。向かう先は私たちがこれから住む学生寮だ。
学生寮は鳥居から一番遠い、本殿の真反対側にあった。修学旅行で泊まった年季の入った旅館のような建物だ。
中に入るとロビーは共用スペースになており、右の棟が男子寮左が女子寮。男子は二人部屋、女子は一人部屋といった具合に割り振られている。
部屋は至ってシンプルな和室で、勉強机や本棚、物置なんかの家具はあらかじめ揃えられていた。日当たりがいいのか窓から柔らかい光が透かしてもれて、部屋の中は暖かく心地いい。
い草と木の香りが心をほっと休める。
本棚には既に教科書が入っていた。糸で綴じられた和綴じの教科書で「霊符大全」「妖生態学基礎」など聞き馴染みのない題名が並ぶ。
中には表紙にお札が貼られていたり、巻物なんかもあった。
リュックを置いて制服に腕を通した。
新品ののりがパリッとした肌触りに心が弾む。不安な気持ちが少しだけ和らいだ気がした。
リュックに入れていた入学案内の巻物を広げる。神職奉仕報告祭は、神楽殿という場所で行われるらしい。そう言えば、嘉正くんたちに一緒に行ってもいいか聞くのを忘れていた。
一人で行って、場所がわかるかな?
巻物をくるくる回せば、学校の校内図が添えられていた。本殿の隣の一回り小さな建物に、赤字で「神楽殿」と記されている。
良かったと息を吐いて、巻物を手に部屋を出た。
心配をよそに、寮から神楽殿に向かう人の流れがあったので迷うことなく向かうことが出来た。
本殿よりかは少し質素な作りの建物で、みんなローファーを脱ぐと、入口に立って一礼してから続々と中へ入っていく。
それに習って入口の前で一礼し恐る恐る中へはいる。
目の前に広がったのは薄いカーテンのような布がひかれた大きな祭壇と、その前にある広い舞台。数十人の生徒が、長椅子に座って雑談しながら始まりを待っていた。
一番近い所の空いている席に腰を下ろす。
少しずつ人が増えていき、神楽殿の中は話し声で溢れた。
親しく話す相手もおらず、嘉正くんたちの姿も見つけられず、仕方なく入学案内の巻物を解いて何となく眺める。
相変わらずミミズみたいな文字は全く読めず、なんとかひらがな数個をひろう。くるくると巻きながら先を進めると、見慣れた書体の羅列を見つけた。
一行目は「禊祓詞」とタイトルのように大きく書かれ、「
言葉は難しいけれどふりがながあって、私にでも読み上げることはできそうだった。
その時、ドン!ドン!と二回、太鼓が打ち鳴らされた。
驚いて顔を上げると、平安時代の貴族が着ていたような白い装束をきた男性が、舞台の隅に置かれた太鼓を叩いていた。
神楽殿のざわめきはたちまち止んで、みなが舞台に視線を注ぐ。
「ただいまより、神職奉仕報告祭を執り行います」
明朗な声でそう言った男性は、「ご起立ください」と続けて言った。皆がぱらぱらと立ち上がり、自分も遅れまいと立ち上がる。
「禊祓詞奏上。新入生は入学案内の禊祓詞の頁を開き、読み上げるように」
そう言われて、何が何だか分からずに先程見ていた頁をいそいそと開いた。しかしよく見回すと、入学案内を開いているのは私くらいで、みんな舞台を見つめて黙って待っている。
なんだか恥ずかしくなって、身を縮める。
「礼」
条件反射のように一二三のリズムで頭を下げれば、自分だけが少しタイミングがずれているのが直ぐにわかった。
深く頭を下げる前に小さな礼を挟み二礼。
ひょっこりと自分だけが一番に頭をあげて、酷く恥ずかしい気持ちになった。
二礼の後は切れのある柏手で二拍手が揃う。
それは神社のお参りと同じ作法だった。
次の瞬間、まるでみんなで子守唄を歌うかのような柔らかな声でその一行目が読み始められた。
どうすれば良いのかわからず、とりあえず「禊祓詞」のページに視線を落とす。
慌てて追いかけるように、一行目を辿った。
「
よかった。ちょっと噛みそうになるけど、これならなんとか読めそう。
「
この言葉にはどういう意味があるんだろう。
でも、なんだか言葉に出して読み上げるとなんだか心地よい気持ちになる。
胸の中でもやもやしていた物がすっと晴れていくような。
「
そこまで読み上げて、自分の異変に気が付いた。
先程感じた心地よさとは一変して、頭のてっぺんからさあっと血の気が引いていくような感覚に襲われる。
どくん、どくん、と心臓が波打つ。ああだめだ。目が回る。
「
最後の一言が言えたのかも分からないうちに、意識がふっと遠のいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます