畳の上に寝転んで、両腕で顔を覆う。


両親は旅行中に事故で亡くなったというのは半分が正解で半分は間違いだった。


あの日、たしかに私たち家族で車に乗って山を越えていたんだとか。それは旅行のためでなく、空亡戦の激化で家を追われ安全な場所へ逃げるためだった。


けれどその途中、行先を空亡に阻まれて両親は私たちを置いて車を出て空亡と対峙したそう。


なぜ空亡は両親にそこまで執着したのか。お母さんが私と同じ「鼓舞の明」を持っていたからだった。


必死にお母さんたちは戦ってお父さんはお母さんを庇って命を落とした。そしてお母さんは私とお兄ちゃんを逃がすために命を落とした。私のふくらはぎの傷は、お母さんが命をかけて私を胸に抱いて守ってくれた証なんだと言う。もしそうでなければ、傷どころか髪の毛一本すら残らなかったという。


空亡という妖はそれほど強く残忍で、恐ろしい化け物なのだ。


お父さんとお母さんは、私とお兄ちゃんを守るために死んでしまった。その事実が胸に重くのしかかる。


他の家族が手を繋いで歩いているのを見て寂しくてどうしようもない時、両親は事故死だったと聞いたからその死を我慢して飲み込めた。


変えられない運命だったんだと。


けれど、そうじゃない。両親は悪意ある妖に殺された。私とお兄ちゃんを守るために殺された。それが「変えられない運命」だと、受け入れられるわけが無い。


なぜお母さんが狙われなければならなかったの? なぜお父さんが殺されなければならなかったの? なぜ私とお兄ちゃんは、お父さんとお母さんを奪われなければならなかったの?


納得できるはずがない。理解出来るはずがない。諦めれるはずがない。


私たち家族が特別な力なんてなくて、普通の家族だったら。妖も言霊も知らない、どこにでもいるような家族だったら。


もしそうだったら、今頃みんなでテーブルを囲んで、笑いながら晩御飯を食べていた。


怖い、悲しい、悔しい。


嵐のように感情が心の中を渦巻く。


目頭が熱くなって涙が滲む。つうと雫がこめかみを流れた。




「────巫寿さま、お目覚めでいらっしゃいますか」


遠くでそんな声が聞こえる。起きているのか眠っているのかも分からない。ただぼんやりと宙を眺めていた。


もう何も考えたくなかった。どうにでもなればいい、そう思った。



「禄輪が、なにか召上がらないとお身体に触ると。失礼します」


すーっと襖が開いて、深い森の匂いが部屋の中へ入り込む。かむくらの社を覆い隠す鎮守の森の匂いだ。


体を起こして布団の上に座る。頭がぼんやりして重かった。



「今晩かむくらの社の結界を抜けますので、何か食べなければお身体が持たないと、禄輪が」



そう言って膝の上に乗せられたお盆から、ふわりと白い湯気がたった。真っ赤な梅干しだけが乗った質素なお粥。優しい匂いがした。



「召し上がって下さい」


「……お腹、空いてないです」


「召し上がるのを見届けるまで、この部屋から戻るなと仰せつかりました」



表情を変えず、けれど頑なに譲らないトウダさん。


強い視線に負けて木のスプーンを手にした。



「……あの、ちゃんと食べるので、そんなに見られると食べずらい、です」


「禄輪から見届けろと仰せつかったため致しかねます」



小さくため息をついてスプーンを口に運ぶ。身体の芯から温まる優しい味、少しだけ泣きそうになった。



「出発は逢魔が時の前にはとのことで、あと二時間ほどすればここを経ちます。準備を整えるようにと禄輪が」


「……はい」


「食事をしっかりとって、体力をつけるようにとも禄輪が」


「……わかりました」


「それまで、社の周りの梅を見ると良いでしょう。先代の審神者は季節の花を愛した人です。ちょうど社の正面の梅の木々が見頃です。少しはお気持ちの慰めになるかと」


「それも、禄輪さんが?」


「いいえ」



淡々とそう答えたトウダさん。


思わず顔を見る。まゆひとつ動かすことなく、私の様子をじっと見ている。やっぱり彼女はよく分からない人だ。


時間をかけて食べ切ると、トウダさんは何も言わずにお盆をさげて部屋から出て行った。


ため息をついて少しだけ開けっ放しになった襖の隙間から外を眺める。冬だから日が短く、まだ夕方でもないのに日が傾きかけている。眩しい夕日が雪を黄金色に照らした。


布団の上からおりて、そっと部屋を抜け出す。縁側に置いてあった草履を履いて外に出た。



うっすら積もった雪に足跡を残しながら歩く。


不思議だ。雪は降っているのに寒くない。


傾きかけた強い日差しが雪に反射して輝く。とても美しい景色だった。



「わ……」



社の正面に出た途端、むせかえるような濃厚な梅の花の香りが広がった。


社の正面を彩るように梅の木々が花開き、降り積もった白い雪に紅色の梅の花が映える。一本の梅の木に歩み寄り、手を伸ばして枝を寄せる。



露を含んだ柔らかな花びらがつやつやと輝き、雪に現れた花は奥ゆかしくかぐわしい。


手折ってしまわないようにそうっと手を離すと、木は微かに揺れて戻る。



「……あ、れ?」



その葉の影に白い人影が見えた気がした。


気がつけば鎮守の森の奥へと進んでいた。



確かにこの辺りで、白い人影が見えたような気がしたのに。


当たりを見回しながら、梅の枝の下をくぐりぬける。視界の隅に白い布が揺れた。その瞬間、胸の奥深いところにある細い線が弾かれたように震えた気がした。


わけも分からず涙が零れそうだった。


何がたんだかわからない。けれど私は知っている気がする。



「……っ」



慌ててそれを追いかけた。


追いかければ、それは人の形であることが分かる。白い背中、今にも消え入りそうなほど儚い。穢れを知らない白髪、その清廉さを示す純白の衣。


まるで何かを求めるように、誰かを探すように森の奥を彷徨う。



「まっ、て……! 待って!」



この感情は何?


忘れられない人、忘れてはいけない人。大切な人、唯一無二の人。失いたくなかった。そばに居たかった。ずっと捜し求めていた。



恣冀しき……!」



彼ははたと歩みをとめた。


白髪がさらりと揺れて、薄いまぶたがゆっくりと開く。木漏れ日を閉じ込めたような美しい琥珀色の瞳。


その瞳には、怒りと悲しみで満ちていた。



恣冀しき、ごめんなさい。ごめんなさい……!」



心がそうしろと言った。無意識に口はそう動いていた。


罪悪感と後悔が胸を締め付ける。



そうだ、謝らなければならない。彼があんな表情なのは、私のせいなのだから。


白髪の彼は、私をじっと見つめたまま動かない。やがてゆっくりと梅の花を見上げた。


枝の隙間から木漏れ日がさして彼を照らす。彼はまるで空気に溶け込むかのように、姿を消してしまった。



十分か一時間か、どれくらいそうしていたのか分からない。

ただとめどなく流れ続ける涙をそのままに、彼が佇んでいたその場所を見つめていた。



「────こと! ……巫寿!」



遠くで私の名前を呼ぶ禄輪さんの声にはっと我に返った。

両手の甲で頬を拭い辺りを見回す。


禄輪さんが走ってくるのが見えた。



「心配したぞ! 一時間近く探したのに、どこにも見当たらなくて肝が冷えた……!」



両肩を力強く掴まれる。



「ごめんな、」


「どうした?」



まつ毛に残る雫に気が付いた禄輪さんがより一層心配した様子で私の顔を覗き込む。



「……恣冀が、私、知らないのに、ここにいて。消えちゃって」


「シキ? 人の名前か?」


「いいえ……恣冀は、妖。穢れを嫌う、清廉潔白な妖」



不思議な感覚だった。知らないはずなのに、私の魂が知っていると言う。


私がそういえば、禄輪さんは目を見開いた。



「巫寿はその妖の名前を呼んだのか?」



こくりと頷けば禄輪さんは険しい顔で私の両肩に手を置いた。




「よく聞きなさい」




両肩を掴んで私の顔を覗き込む。


真剣な声でそう言われ、戸惑い気味に頷いた。



「もし巫寿みことが本当に、自分の身に何が起きたのか知りたいと思うのなら、神役修詞しんえきしゅうし高等学校へ行くべきだ。巫寿の兄さんや父さん母さんが学んだ場所だ」


「しん、えき?」


「巫寿の両親は、妖から巫寿を隠そうとした。祝寿もその想いを受け継いで今まで巫寿を守ってきた。俺のこの提案は、巫寿を大切に守ってきた人達の意思に反してしまうかもしれない」



ばくばくと、心臓が騒ぎだす。



「両親のこと、自分のこと、これからのこと、身の守り方……巫寿が知らない、一恍や泉寿や祝寿の過ごした歳月をそこで知ることが出来るはずだ」



開け放たれた障子から花吹雪が舞い込んだ。


まるでなにかに答えるように、まるで何かを祝福するように、まるで何かを手招くかのように。



「私……」



本当は怖くてたまらなかった。


今なら「普通」の生活に戻ることだってできる。日常に戻ることを心の中では望んでいたはずなのに。


まるでもう一人の自分が、そうさせているようだった。



「知りたいです」



お父さんとお母さんが、何と戦っていたのか。お兄ちゃんは何から私を守ろうとしてくれていたのか。


受け継いだ私の中に宿る力はなんなのか。



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