参
これからは自分でなんとかしなければならない。それは重々承知なのにどうしても受け入れることが出来なかった。
またあんなふうに突然私の首を絞めてきたら? ナイフを突きつけるような殺意を向けられたら?
そう思うと怖くてたまらない。そんなの私一人じゃどうにも出来ない。
教えて貰った祝詞だって「逃げる時間」を稼げるくらいの力しかない。練習をしていない私には、そんな時間すら稼げないかもしれない。
服の中に隠していた、トウダさんに渡された巾着を取り出す。晩御飯を食べたあとに貰ったものだ。小花柄の小さな巾着は、僅かに桃の匂いがする。桃のお香を焚いて布に染み込ませたと言っていた。桃には少しだけ邪気祓いの要素があるらしい。
部屋の電灯に透かして眺める。
なんだか息苦しい気がして部屋を出た。
外は雪が降っていた。けれど思いのほか寒くなくて、そのまま歩き続ける。葉が落ちて裸になった木にふんわりと雪が積もり白い花が咲いているようだった。
月明かりが眩しい。
森の奥には入る勇気が無くて、社のそばを歩いていると遠くから雅な笛の音色が聞こえた気がした。子守唄のように優しい音色、羽衣で頬を撫でられているようだった。
導かれるようにその音色を辿る。その音色は本殿の裏、注連縄に紙垂の巻かれた大きな木の上からだった。初雪のようなの純白の袴が不思議な旋律と共に揺れている。
しばらく根元でその音色に耳を傾ける。
線香花火が落ちるように音が止むと「巫寿」と名を呼ばれた。
月明かりに目を細めながら見上げる。禄輪さんが私に手を差し出していた。恐る恐るその手を掴む。
「きゃっ」
禄輪さんは軽々と私を引き上げて木の上に乗せた。
「どうした? 気が休まらないか」
こくりと頷けば禄輪さんは「そうだよな」と小さく笑って私の頭を軽く叩く。
「あの、笛の音色が聞こえて」
「ん、ああこれか。龍笛って名前の横笛だ。吹いてたのは雅楽「越天楽」」
懐から笛を出した禄輪さん。
「吹いてみるか?」
「……私なんかに出来ないと思います」
「こら、呪の要素が強いぞ」
おどけた口調でそう言った禄輪さんに、あ、と口を噤んだ。怒ってないから、と肩を竦めたがするすると視線は下を向く。
禄輪さんは困った顔で息を吐くと、再び笛を構えた。
トランペットやホルンとは違う、どこか奥ゆかしい不思議な音色が風に乗って流れる。古い桜の木が風に吹かれて、桜吹雪が舞い散るような美しい旋律。
「泉寿も龍笛の音色が好きだった。学生時代、"龍笛に合わせて神楽舞を舞う姿は『因幡の白兎』の
禄輪さんは懐かしむかのように目を細めた。
『因幡の白兎』というと神話のひとつだ。ということは、ヤガミヒメは女神さまなのだろう。お父さんがそういうくらいならきっと美しい女神さまに違いない。
お父さんはお母さんにほの字で、夫婦仲がとても良かったとよく聞かされていた。きっとその頃からベタ惚れだったんだろうなと思わず頬が緩む。
私の様子で何か察したのか、禄輪さんは両親の話をしてくれた。
「一恍とは子供の頃からの幼馴染で、泉寿とは初等部で出会ったんだ」
「幼馴染……」
「この界隈は狭いからな、同業者はほぼ知り合いみたいなもんさ」
私が知ることの無い、若かりし頃のお父さんとお母さん。
写真で見た姿よりうんと若くて、教室や廊下でおしゃべりしているふたりの様子が何となく目に浮かぶ。
「卒業後は優秀だった二人は本庁で働くことになって、私は実家の社を継いだ。……あ、私も優秀だったから本庁から誘いは受けてたんだぞ。
慌ててそう言い直した禄輪さん。
そんな姿に少しだけ笑ってしまう。
「えっと……本庁? 御祭神様、ていうのは」
「日本神社本庁。全ての社を統括する組織だ。そのトップが審神者と言ってこの"かむくらの社"に仕えるんだ」
「じゃあ、いま審神者はいないんですか?」
「ああ、十二年前を最後にな」
十二年前、その数字を聞いて少し胸がざわめく。
お父さんとお母さんが亡くなったのも、丁度十二年前だった。
「御祭神様は、神社で祀っている神様の呼び方だ。多くの社の宮司が、世襲制ではなく神託によって選ばれる」
神託……神様が宮司を選ぶ? どうやって神様が人を選ぶんだろう。それをどうやって私たちに伝えるの?
まだまだ理解しがたい事ばかりだ。
首をひねっていると禄輪さんに笑われてしまった。
「深く考える癖は一恍によく似ているな。難しく考えずそういうものだ、と思っとけばいい。────それでな、巫寿。今からとても大事な話をしよう」
禄輪さんが唐突にそう改まった。目を瞬かせると、彼は私に向き直る。
「巫寿がこれから暮らしていく上で、とても重要なことだ」
こくりと頷く。
「怖がらせるようで申し訳ないが、巫寿がこれから"普通"の生活を送るとしても、先日のように必ず妖に狙われるだろう。それは巫寿が持っている、二つ目の力が関係している」
「二つ目の力……? 言霊の力ではなくて?」
「ああ。稀に言霊の力以外に授力という力を持つ者がいる。
去見、遠見、書宿……。
聞きなれない言葉が並ぶ。
「巫寿は、お母さんから受け継いだ"鼓舞の明"、舞を舞う事で言霊を強くする力。そして"先見の明"、未来を見通す力がある」
「鼓舞、先見……」
「予知する力、力を増幅させる力とでも思ってくれ」
未来を予知する力、力を増幅させる力。
あまりにも現実味のない話に、困惑することしか出来なかった。
「困惑しているだろうがちゃんと聞いて欲しい。授力は特別な力で、神職にしか宿らない。けれど、力を持たないものに譲渡することはできる」
「どう、やって……?」
「血肉を食らう」
はっと息が詰まった。
目を見開いて禄輪さんを見つめる。
「もちろん、神職同士でそのようなことは決してしないし、それはこの界隈では犯してはならない禁忌だ。親から子へ継がれるのは、幼少期に子供が母親の母乳を飲んで育つからだ。そうしてこの力は引き継がれる。けれど、よからぬ事を企む妖たちは、そうではない」
じゃあつまり妖が私の血肉を食らおうと私を狙っているということ……?
「その中でも一番タチの悪い妖が……
背筋に冷たいものがぞわりと駆け上がり、喉の奥がぎゅうっと締まる。
「神職総出で奴を倒そうとした。けれど、あと一歩のところであいつは自分自信を八つ裂きにして数え切れないほどの"残穢"を作り出しその魂を分けることで逃げたんだ」
残穢、妖が残していく悪いものを総称してそう呼ぶと禄輪さんは言った。
自分を八つ裂きにして。
ということは切り刻んだ肉片が、空亡の残穢だったのだろう。
胃の底から込み上げてくる感覚に口元を抑えて嘔吐く。
禄輪さんは咄嗟に私の肩を抱きしめて背中に手を添えてくれた。
「残穢になってもなおあいつは強い。先日の魑魅なんか比にならない。今も、奴は授力をもつ者を狙って血肉を食い完全に復活しようとしている。だから巫寿も、その特別な力は決して親しい人以外には口外してはいけない」
禄輪さんは私の肩を抱く力を強めた。
「十二年前の空亡戦で多くの神職が命を落とし、今もあいつが残した残穢と戦っている者がいる」
十二年前。
そのワードに大きく心臓が波打つ。
でも、まさか。だってお兄ちゃんは、両親は「旅行に向かう途中の不慮の事故」って。私のふくらはぎに残っているのも、一緒に車に乗っていて事故にあった跡だって。
「お父さんとお母さんは、事故だったって」
禄輪さんが顔をしかめるて首を振る。
その瞬間、世界から全ての音が消えたような気がした。
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