第4話

「ドーナツをご馳走様。美味しかったよ。残りの半分は君が食べてね」


 小皿から小さなドーナツを二つ食べ終えたユーリックは、自分が使ったフォークを洗い桶に入れ、新しいフォークを取り出した。


 それをミニョンに手渡すのと引き換えに、彼女の手からすりこ木を奪い、煎り胡麻を擦り始めた。


「いや、わからなくて当然だな。僕は君に何も言わなかったんだから。君は王子を愛していると僕は思いこんでいたんだ。もっと早くに聞けば良かったのに。君の口から王子への愛の言葉を聞きたくなくて聞かなかったんだ。僕は臆病だった」


 ミニョンは黒い両手鍋が置かれた魔力コンロの器具栓ツマミを元に戻し、鍋の蓋を開けて蒸気を逃した後に、小さなドーナツを口にした。


 素朴な材料しか入っていないドーナツは、貴族の茶会では絶対に出てこない陳腐な代物だった。


 だけど前世の記憶が蘇ったミニョンには馴染み深く、揚げ物作りの密かな楽しみとして作る懐かしい一口お菓子だったから、とても美味しく感じられた。


 ひとまずの虫塞ぎを終えたミニョンは、冷蔵庫から葱とほうれん草の入った容器を取り出すと作業台に容器を並べ置いた。


 そして葱を小鍋に入れ、すり胡麻を作ってくれたユーリックに礼を言って、貰い受けた胡麻に砂糖と醤油を加えて、ほうれん草と和えた。


「それを言うなら私こそ臆病だわ。あなたが私を助けるのは、私が公爵令嬢だからとか、私が王子の婚約者で将来はあなたの義妹になるからとか、単に私があなたの知識欲や探究心を刺激することが出来る相手だからとか……と、色々と理由をつけては、あなたに恋する気持ちに蓋をしていたの」


 すり鉢をミニョンに渡した後、ユーリックは食器棚から小皿と汁物椀と茶碗を二つずつ取り出して作業台に並べて置いた。


 そして彼女から出来上がったばかりの和え物を受け取ると、小皿にほうれん草を分け入れてから、テーブルに持っていった。


「あなたに黙って国を出たのも婚約破棄されて公爵令嬢では無くなってしまった身では相手にしてもらえないかもと……ううん、違うわ。私はあなたに振られることが怖かった。優しいあなたに気を遣わせることもしたくなかったし、何より告白をしなければ、あなたを想い続けても許されるのではと、愚かにも考えてしまったのよ」


 ミニョンがお味噌汁の入っている小鍋を置いたコンロの器具栓ツマミを元に戻して火を止めた。


 その後、豆腐とワカメが入ったお味噌汁を二つのお椀に注ぎ入れ始めると、ユーリックは炊飯器に近づき、彼女からしゃもじの置き場所を尋ねた。


 置き場所を聞いたユーリックは引き出しを開けて取り出すと炊飯器の蓋を開け、湯気で火傷をしないように気をつけながら釜の中の御飯を切るように混ぜた。


 そしてユーリックは茶碗に入れた後、お味噌汁と御飯をテーブルに運ぶと急いで彼女の傍に戻ってきた。


「誰もが私の話を真剣に取り合ってくれない中、あなただけが真剣に話を聞いてくれ、スライサーを一緒に作ってくれた。その時から私は、ずっとあなたが好きだった。勿論、今も大好きよ」


 ミニョンの告白を聞き、今度こそユーリックはミニョンを強く抱擁した。


「僕も!僕もずっと君が大好きだった!君を強く愛してた!今も大大、大好きだ!一生、僕の傍にいてほしいと思ってる!どうか僕と結婚してください!」


「ええ、喜んで!凄く嬉しいわ!ありがとう、ユーリック!」


 ミニョンもユーリックに手をのばし、彼の胸に顔を寄せた。


 ユーリックが抱擁を緩め、ミニョンの顎に指を添え、顔を上げさせて彼女の唇に自身の唇を近づけ、今まさに二人の唇が触れようかというとき、二人のお腹がもうこれ以上は待てないと盛大に鳴り響いた。


「……小さなドーナツでは、ここまでで限界だったみたいね。直ぐに食事にしましょう」


「そっ、そうだね!ああっ、夕食が凄く楽しみだなぁ!」


 ミニョンは真っ赤な顔でユーリックから離れ、冷蔵庫の方に歩いていった。


 そこから冷やしていた千切りキャベツとマヨネーズを取り出すと作業台に置き、食器棚からも平皿を二枚取り出して並べ置いた。


 頬を染めたままミニョンが千切りキャベツを盛り付け始めたので、ユーリックも赤い顔のまま、マヨネーズをテーブルに持っていった。


 ミニョンはユーリックがマヨネーズをテーブルに持っていくのを横目で見ながら、魔動まな板を取り出すとトングでトンカツを掴み、まな板の上に置いて魔力を流し、《一口大に切って》と唱えた。


 そしてザクッ、ザクッと音を立てて食べやすい大きさに切り分けさせると、千切りキャベツの横に一枚分ずつを並べ盛り付けた。


 残りのトンカツは黒い両手鍋に戻し、作業台の上に鍋敷きを出して、鍋をそこに置き、魔力を流して揚げたてのまま保存出来るように魔法をかけておいた。


 ユーリックが平皿を運んでいる間に、ミニョンは魔動まな板や調理器具を魔動洗い桶に入れて魔力を通して洗わせることにした。


 魔動洗い桶が動いているのを確認してから、ミニョンは岩塩が入った小さな壺とポン酢が入った瓶を持ってテーブルに向かった。


 ユーリックはミニョンの手から小壺と瓶を受け取るとテーブルに置き、彼女を椅子に誘導し、椅子を引いて彼女を座らせ、水差しの水をコップに注ぎ入れ、彼女の前に置いた。





「作ってくれてありがとう。ごちそうになります。では、いただきます」


「はい、どうぞ。おかわりもあるから沢山食べてくださいね。では、私もいただきます」


 食事前の挨拶を終えたミニョンは、先ずは豆腐とワカメのお味噌汁に手を伸ばした。


 カツオと昆布の出汁と味噌の香りが彼女の空腹を刺激して堪らなかったからだ。


 汁物椀を両手で持ち、フウフウと息を吹きかけ、表面を冷ましながら、一口啜り飲む。


「ハァ〜、しみる〜」


 ミニョンが食べ始めるのを見て、ユーリックも何を食べようかとテーブルに置かれた品を一通り見回し、結局は彼女と同じお味噌汁を選んで食べ始めた。


「ハァ〜、本当だね。すごく美味しいし、一口飲んだだけでお腹の中が温まるよ。……ねぇ、僕ら、夫婦になるのだし、これから一緒に住まない?この村が気に入っているなら、ここにもっと大きな家を建ててもいいよ」


 ユーリックが汁物椀を置き、小壺から岩塩を匙で掬い、平皿の端に入れると匙を置き、箸に持ちかえてトンカツを挟み持ち、塩の上にチョンチョンとトンカツに塩をつけながら提案すると、ミニョンは笑顔で頷いた。


「わぁ!ありがとう、とっても嬉しいわ!……でもユーリック。あなた、あの国を離れてもいいの?だって籍は抜けているとはいえ、あなたは王家の血を引いているのに……」


 黄金色に揚がった衣と薄桃色の豚肉の対比が食欲をそそるトンカツを一口囓ったユーリックは、続けてお茶碗を手に持ち、急いで白い御飯を頬張ると目元を緩め、幸せそうに咀嚼し始めた。


「歯ざわりが楽しいサクサクの衣と旨味が詰まった豚肉が本当に美味しいよ、ミニョン!何の味付けもしない白ご飯が、こんなに美味しいのは君の作るおかずが最高に美味しいからだね!……ああ、僕のことなら大丈夫だよ。だって赤子の僕を捨てて僕に愛情をくれなかった家族に今更、何の愛情も恩義も感じていないし、君を追い出した国なんかに仕える気なんてサラサラ無かったからね。君が罠にかけられ無実の罪で婚約破棄されたと知った瞬間、僕は魔力探知阻害と認識阻害の魔法を自分にかけて、僕も消息不明になったんだよ」


「っ!?」


 ユーリックの幸せそうな顔を満足気に見ながら、自分もトンカツを頬張っていたミニョンは彼の言葉に声もなく驚いた。


「僕がどうやって君の無実を知ったかを教えてあげるね。ほら、魔法特許許可局に特許を申請するときに君は自分の利益を国に無償で捧げるように王子に言われただろう?僕はあれが非常に気に食わなくてね。だから君がもらうはずだった利益の対価代わりに僕らが申請したものには全て、ささやかな魔法を施しておいたのさ」


 キョトンとした顔で首を傾げるミニョンに、ユーリックは悪戯が成功したと言いたげな笑みを浮かべ、千切りキャベツを箸で摘んでみせた。


「それは、”ミニョンを正当な理由なく害した者は、何人たりともミニョンとユーリックが作り出したもの全ての恩恵には二度とあずかれない”……というものでね。例えば、ここにシャキシャキの千切りキャベツがあるだろう。これは農家の人が作ったキャベツだけど、もしも農家の人がキャベツを畑で育てるときに、君と僕が作った水道の水を使って育てたキャベツだったり、そうではないキャベツだったとしても、こうして蛇口を捻って出た水で洗ったり、僕らの作ったスライサーを使って作った千切りキャベツだったりしたら、これを君を害した人が食べようとすると……キャベツを育てた農家の人には申し訳ないけど、口に入る前に消し炭になってしまうのさ」


 ユーリックは一旦、言葉を切り、千切りキャベツを口に放り込んで咀嚼した。


「もっと細かく言うと、魔圧力釜炊飯器で炊いたご飯や、魔力コンロや魔力レンジを使った料理や、君と僕が見つけた食べ物や調味料や調理器を使った料理は食べられない。魔動瞬間湯沸かし器で沸かしたお風呂も入ろうとするとお湯が瞬間で氷水になる。魔動食器洗い乾燥機で洗った食器は害した者が使う瞬間に割れ、全自動魔力洗濯機に入れた衣類は害した者が着ればボロ布に変わり、上下水道や魔力水洗トイレや魔力掃除機や魔力冷暖房機や魔力灯台は害した者は直接利用できないし、害した者の家では稼働しないし、他人の持ち物であっても害した者がいる部屋では稼働しない。そしてね、僕は君がとても大事で君を害した人間は許せないから、ついでに僕個人が作ったものの恩恵も受け取れないように魔法を施したんだ。……ねぇ、ご飯をおかわりしてもいいかい?」


 そこまで言ってから、手元のお茶碗の御飯が無くなっていることに気がついたユーリックは、ミニョンがどうぞと頷いたので席を立ち、おかわりの御飯を入れに台所に行った。

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