第3話

 驚くユーリックと魔動洗い桶が洗い始めるのを横目で見ながら、ミニョンは小さな片手鍋と黒い両手鍋と、黒い両手鍋の直径よりやや小さくて、足がついて自立出来る平らな金網を一枚取り出して作業台にそれぞれ置いた。


 置いた後、ミニョンは小さな片手鍋に黄色の蓋のついたボウルに入れていた昆布と鰹節の出汁が出た水を注ぎ入れて、魔力コンロの上に鍋を移した。


「それなのに王子様の婚約者だからと、他の女の子達から要らぬ嫉妬をされ続ける三年間は実に面倒くさ……気鬱だった。それでも婚約相手が誠実でよく気心も知れて労ってくれる人なら、まだ頑張ろうかとも思うけれども、全く自分と合わない王子様が相手ではね。それにね。国を出てから知ったのだけど、私が発案しあなたが開発した諸々の特許の私の取り分の利益を国の発展のために捧げて欲しいと頼まれたから了承したことがあったでしょう?あれね、裏で王子様が自分の名前で特許を申請して名誉と利益を横取りしようとしていたらしいの。いくら身分が高い王子でも、あんな人を好きになんて逆立ちしてもなれっこないわ」


 小さな両手鍋を置いたコンロの横にある、もう一つのコンロの上にミニョンは黒い両手鍋を乗せ、その蓋を開けて金網を中に敷くと、その上に10枚の肉と小さなドーナツのタネを立てかけて並べて、蓋を戻しておいた。


「ああ、その話ね。僕も魔法特許許可局の局員から話を聞いたときは笑ったよ。君が王子に頼まれた後に確実に自国に利益が入るようにと、自分の名前で特許申請をして、その利益を全て自国の孤児院や学校や病院などへの寄付金となるよう法的に手はずを整えたと知って、特許申請をするなと言うべきだったと地団駄を踏んで悔しがっていたとね。……でもさ、あれは君、お人好しすぎだよ。あんなことをしたら自分の所には一枚の銅貨だって転がり込んでこないというのにさ」


 ミニョンは冷蔵庫から味噌を取り出し、お玉で掬って出汁の入った小鍋で溶いた後、味噌を冷蔵庫に戻し、豆腐の入った水を張ったボウルを取って冷蔵庫を閉めた。


「そうかしら?私は自分の生活が便利で豊かになっただけで十分、元は取れたと思っているけれど。過ぎる財は時に無垢も邪悪に変えてしまうことがあるから、あのときの私はあれで良かったのよ。それにね、こういってはなんだけど、私はあなたの方が何倍もお人好しだと思っているわ。だって私は夢の中に出てきた家電や上下水道といった便利だったものをここでも使いたいと夢に出てきた料理を食べたいと言ったけども、家電類や上下水道の仕組みや味噌や醤油の作り方なんか一つも知らなかったもの」


 ミニョンは豆腐の入ったボウルを作業台に乗せ、《豆腐を半丁に切って》と唱えて、ボウルに豆腐を切り分けさせると半丁分の豆腐を手に掬い取り、小さな片手鍋に静かに滑らせるように入れた。


 そして残りの豆腐が入ったままになっているボウルは水だけを新しく入れ替えて、また冷蔵庫に戻しておいた。


「それをあなたは私の夢の話が面白いからという理由だけで報酬無しで全て作ってくれたじゃないの。私が発案で製作者はあなただからと一緒に特許を申請したときも、あなたは自分の取り分を私と同じように民の暮らしに役立つよう取り計らって銅貨一枚も受け取らなかったでしょう。……少し、ごめんね。後ろを通らせて」


 ミニョンは傍で見守るユーリックに断りを入れてから、彼の後ろを通って食品棚から乾燥させたワカメが入った壺を手にした。


 そして一摘み分のワカメを取り出すと、また彼の後ろを通って戻り、ワカメを片手鍋に入れて蓋をすると、片手鍋が乗っている方の魔力コンロの器具栓ツマミに指をかけて魔力を流した。


 《豆腐はさいの目に切って。ワカメは一口大に切って。お味噌汁は沸騰しないように》と唱えて、器具栓ツマミを捻ったミニョンは、黒い両手鍋の蓋を開けながらユーリックに言った。


「今から豚肉を揚げるのだけど、蓋を開けた時に油が跳ねたら火傷して危ないだろうから、こっちには来ないでね」


 黒い両手鍋の中に並び立てられた10枚の衣がついた豚肉の上に、大さじ一杯程度の白胡麻油を回しかけたミニョンは、鍋に蓋をしてから器具栓ツマミに指をかけた。


 魔力を流し、《170度で豚肉とドーナツを揚げて。肉の中まで火が通ったらブザーを鳴らせて知らせて》と唱えて手を放したミニョンは、二つのコンロを見つめながら言った。


「そう、あなたは相当なお人好し。だから私はあなたを頼らなかった。だってあなたは私の頼みを一度だって断ったことがないのだもの。王子様達に罪を着せられた私を庇う行為は反逆に当たると実家まで追い出されたと知れば、あなたは私を助けるためにいつも以上に無理をするに決まっていると思ったの。そんなことをすれば、いくら王家の血を引くあなたでも反逆者となって罪を負うことになる。私ね、魔道士長になるために他国に留学して頑張っているあなたの邪魔をしたくなかった。だから私、あなたが教えてくれた魔力探知阻害魔法を使って身を隠したの。……なのに、あなたは私を探して見つけ出した。そんなに窶れるまで探し続けるなんて、あなたの方がお人好しが過ぎるわよ」


 ミニョンは二つのコンロを見つめながら、そう言うと黙ったままだったユーリックが口を開いた。


「僕はお人好しじゃないよ。僕は……君が好きなだけだ」


 ユーリックは魔力コンロに近づき、ミニョンの横に立った。


「僕らの生まれた国では僕の紫の瞳は禁忌だと忌み嫌われる。それに加え、僕は両親のどちらとも違う髪色を持って生まれたから悪魔憑きだと思われて生まれた直後に捨てられた。たまたま僕は生まれつき強大な魔力を持っていたから魔導師の塔に拾われたが、魔力がなかったら僕は生きてはいなかっただろう。成長して家族のことを知った子どもの頃の僕は家族に愛されたくて、強大な魔力で国に守護の結界を施したり、城に住んでいる家族の役に立ちそうな魔道具を作ったけれど、家族の誰からも感謝されたり、優しく笑いかけてもらったことは一度もなかった」


 ミニョンは黙って隣に立ったユーリックを見上げた。


「どこへ行っても忌み嫌われて敬遠されて、いつも僕は独りだった。それが悲しくて悔しくて腹立たしくて、僕は誰に対しても粗暴に振る舞うようになり、いつしか見た目そのままの悪魔魔導士と呼ばれるようになっていた。そんな僕にさ、初めて会ったときに君は……」


 ユーリックは見上げるミニョンに手を伸ばそうとし、……二人のお腹がまたまた鳴ったことで、二人は顔を赤くさせ、彼は手を引っ込めた。


 二人は互いに小さく照れ笑いし、その後にミニョンは彼に頼み事をした。


「ユーリック、食事の前にテーブルを綺麗にするお手伝いをお願いしてもいいかしら?」


「うん、喜んで。……昔も君は今みたいに僕を全く怖がらないで、夢で見たポテトチップスというお菓子を食べてみたいから、ジャガイモを薄く切れるスライサーを作るお手伝いをしてほしいと丁寧に頭を下げて頼んできたね。言われた通りに作っても納得がいく薄さに出来るまで僕にまとわりついて毎日試作をしては一緒に揚げたじゃがいもを一緒に食べてさ。毎日食べて飽きているはずなのに、それがどれだけ美味しく感じたことか……」


 ユーリックは台所を出るとテーブルの前に立ち、テーブルの足に自分の右足を触れさせて魔力を注ぎ、《テーブルの上を浄化後、除菌して》と唱えた。


 テーブルの上を清潔にしたユーリックは、台所にいるミニョンの元に戻ってきた。


「やっと君の念願のスライサーが出来て、もう君と会えなくなると思ったときの寂しさは、どうやっても僕が家族の愛を得られないと思い知らされたとき以上の寂しさだった。だけど君の夢の中に出てくるものへの欲望は果てしなくてさ。それから毎日、君は僕のところにやってきては、夢の中に出てきたものが欲しいから、一緒に作ってほしいと頼んでくるようになった」


 ユーリックは流し台の蛇口で自分の手を洗うと、食器棚からカトラリーが入った籠を取り出した。


 そしてテーブルに行ってカトラリーを置いて来た後、二つのコップや冷蔵庫から水差しも取り出して、次々とテーブルに並べていくと、また台所にいるミニョンの傍に戻ってきた。


「僕を頼りにしてくれて、僕なら出来ると君が信じてくれることが、どれだけ嬉しかったか。君と一緒に色々作るようになって、いつの間にか民達が僕のことを英雄魔導士と呼んで、僕に感謝してくれるようになって、それに驚く僕に、私以外にもあなたのことをわかってくれる人がいて良かったと喜んでくれる君が、どれだけ有り難くて、愛しかったか。……そんな君を僕が愛さないわけがないだろう?」


 ブザーが鳴り、ミニョンは一度魔力コンロの器具栓ツマミを元の位置まで戻し、黒い両手鍋の蓋を開けて、出来上がったドーナツを小皿に取り出した。


 そして豚肉の揚げ具合をトングを使って確かめた後、蓋を元に戻して器具栓ツマミをもう一度指にかけ、《200度で衣がカリッとするまで揚げて。出来上がったらブザーを鳴らせて知らせて》と唱えて、黒い両手鍋に二度揚げをさせ始めた。


「だけど君は王子の……、弟の婚約者だった。君は王子妃教育を頑張ると言った。君の一番愛しい人は僕じゃない。だから僕は将来、王子と結婚する君の一番頼りになる友人で居続けるために魔導士長になろうと思って他国に留学したんだ。それなのに僕に黙ったまま君が消えてしまったと知って僕がどれだけ落ち込んだか……。君は何もわかっていないんだ」


「そんなふうに思っていてくれたのね。わからなくて、ごめんなさい。……あの、ユーリック。これを食事が出来るまでの虫塞ぎにどうぞ。熱いから気をつけてね」


 ミニョンは小さなドーナツに砂糖をまぶした後、小さなフォークを出して小皿に添え、ユーリックに差し出した。


 そして豚肉が揚がるのを待つ間にすり鉢を出してきて作業台に置くと煎り胡麻を中に入れ、すりこ木を手にしようとしたところで二度目のブザーが鳴り響いた。

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