第2話

「あのね、ユーリック。信じられないでしょうが、本当に私は男爵令嬢を虐めていないの。それに卒業式の前日だって、私は階段から落ちそうになっていた彼女を助けただけで、突き落とそうとなんてしていないのよ」


 ミニョンはそう言ってから、切り分けられたほうれん草を先程、米を研ぐのに使ったボウルに入れ、黄色い蓋を被せると再び、蓋の上に手を置いて魔力を流し、《ほうれん草を茹でてアク抜き後、固く絞って水切りして》と唱えた。


 ユーリックはミニョンを熱い視線で見つめたまま、彼女に尋ねたかった本題を口にした。


「君が無実だということを僕は一番良く知っている。君が誰かを虐めるだなんて、髪の毛一本分だって疑ったことは今まで一度もないよ。それに僕は君が学院に入ったときからの三年間、他国に魔法留学していたけど君を忘れたことなんて一日だってなかった。ねぇ、どうして婚約破棄されて実家を追い出された時に僕を頼ってくれなかったの?あの時に君が頼ってくれたのなら、僕は即座に君の無実を証明して王子との婚約破棄を撤回させてあげられたのに……。会えなかった三年間で僕のことをすっかり忘れてしまっていた?」


 ミニョンは黄色の蓋のついたボウルから、茹でてアク抜きされた後に固く絞って水切りされたほうれん草を取り出した。


 それを食器棚から出した蓋付きの容器に入れて冷蔵庫の中にしまいながら、ミニョンはユーリックに返事をした。


「いいえ。私もあなたを忘れたことなんて一日だってなかったわ。あなたが留学してしまって私はどれだけ寂しかったか……」


 ミニョンはユーリックから視線を外し、ほうれん草を茹でるのに使った黄色の蓋付きボウルと魔動まな板を魔動洗い桶に入れ、水を入れた後に魔力を流しながら、《洗浄後、乾燥》と唱えた。


 洗い上がると再び黄色の蓋付きボウルと魔動まな板を作業台に乗せ、ボウルに水を張り、今度は5センチ程の長さの乾燥昆布と鰹節を一掴みした分を水の中に沈めて、《出汁を抽出して》と唱えて、そのまま置いておいた。


「私ね、ユーリック。あなたに話さなきゃいけないことがあるの。ほら、私は昔からヘンテコリンな夢を見てはあなたに頼んで夢に出てきたものを作ってもらったり探してもらったりしていたでしょう?どうして自分が、そんな夢を見るのか、ずっとわからなかったのだけど、学院の卒業式の前日に階段から落ちそうになっていた男爵令嬢を助けようとして、彼女の頭と私の頭がぶつかっちゃったときに、その理由がわかったの」


 ミニョンは冷蔵庫から豚肩ロースのブロック肉を取り出しながら言った。


「実はね、私……。そのときに自分の前世を思い出したの。そこは魔法のない世界でね。どうやら私は自分の前世の暮らしを夢で見ていたようなの。……ねぇ、ユーリック。あなた何枚ぐらいトンカツを食べる?私は三枚揚げて、一枚を夕食用に、二枚目は朝食のカツ丼に使って、三枚目は昼のお弁当のカツサンドにしようと思っているのだけど」


「なるほど。君の夢に出てくるものは君の前世の世界の物だったんだね。話してくれてありがとう。……そうだな、僕は君の作るトンカツを夕食に二枚食べたいし、出来たら君の作る朝食のカツ丼もお弁当も食べてみたいと凄く思っているよ」


「あなたにそんなふうに言ってもらえると私、とても嬉しいわ。朝食もお昼のお弁当も一緒に食べましょうね。それならあなたは毎食二枚ずつは食べるだろうから……ん〜、念の為に10枚は作っておこうかな」


 ミニョンは肉を魔動まな板の上に乗せて魔力を流し、《豚肩ロース肉を3センチ厚さ毎に、10枚分だけ切り分けて》と唱え、残ったブロック肉は塩を揉み込み、油紙で包んでから深皿に入れて冷蔵庫に戻した。


「独り暮らしのはずなのに、やけに大きなブロック肉を買っていたんだね。家には他に人がいるようには見えなかったけど、もしかして……恋人がいるの?君は昔から見た目も性格も良い魅力的な人だったから、きっと前世でも恋人や夫がいたんだろうね……」


 尋ねるユーリックの顔は青ざめ強張っていて、とても緊張しているように見える。


 確固たる証拠もハッキリと真実だと言える根拠もない、自分でも荒唐無稽な話だと思えるミニョンの前世の話を少しも疑うことなく、それどころか現世だけでなく前世の恋人や夫の有無まで問うてきた彼に、ミニョンは目を二度ほどパチクリとさせた。


 どうして私の話を信じてくれるのか?どうして、そんなにも切なそうな顔で恋人の有無を尋ねるのか?


 ミニョンは問い返したい気持ちに駆られたが、彼のお腹がまた鳴るのが聞こえたので、今は先にすべきことがあると思い直した。


 切り分けられた肉に視線を戻したミニョンは、再び魔力を魔動まな板に流し、《肉の両面を筋切りして》と唱えた。


 筋切りを終えると肉が重ならないようにトレイに移し並べ、両面に上から塩コショウを均等にふりかけながらユーリックの先程の質問に答えた。


「いいえ、恋人なんて今まで出来たことがないわ。それに前世の私は何かしらの理由で早くに儚くなったようで、前世でも恋人や夫は一人もいなかったみたい。男の人を家の中に入れたのは、あなたが初めてよ、ユーリック。この豚肉はね、塩漬け肉にしようと思って今日の仕事帰りに買ってきたものなの。あなた、とても運が良かったのよ。昨日ここに来てたら冷蔵庫の残り物しか出せなかったもの」


 ミニョンは魔動まな板を洗い桶に入れて水に浸けておき、何も置かれていない作業台に緑色の蓋のついたボウルと紫色の蓋のついたボウルと計量カップを取り出し置いてから、卵と小麦粉と食パンを取りに向かった。


 必要な食材と調理用具を並べ置いたミニョンは、緑色の蓋のついたボウルを手元に寄せ、蓋を開けてボウルの中に卵を割り入れた。


 その後に小麦粉を計量カップで計って入れて、少し塩コショウも足した後、緑色の蓋を被せ、手を置いて魔力を流し、《バッター液になるよう、撹拌して》と唱えた。


 緑色の蓋がついたボウルがバッター液を作っている横で、ミニョンは紫色の蓋がついたボウルの中に食パンを入れ、さっきと同じように蓋をして魔力を流し、《食パンを削って、揚げ物用のパン粉にして》と唱えてパン粉を作った。


「前世の私はね、貴族でもなければお金持ちでも美人でもない、普通の庶民の女の子だったの。だけど、そんな庶民の生活を過ごす自分に満足していて、お姫様と王子様が結婚するという結末のお話を読んでも、王子様と結婚するのは色々と大変そうだし、面倒くさいことは嫌う質だから、自分は絶対に王子様と結婚するのは嫌だなと思っていたようなの。そんな前世の自分を思い出したから私は直ぐに婚約破棄を受け入れたし、家も喜んで追い出されたのよ」


 ミニョンは切り分けた10枚の豚肉を緑色の蓋のついたボウルに一度に全部入れて蓋を閉めると魔力を流し、《豚肉にバッター液を絡ませて》と唱え、豚肉にバッター液が付着させた。


 まんべんなくバッター液がついたのを確かめてから紫色の蓋がついたボウルに豚肉を全部入れ魔力を流して、《豚肉から衣が剥がれないように、しっかりパン粉を押しつけて》と唱えた。


「君は王子を愛してたのではないのか?学院に入学する前、僕に王子妃教育を頑張ってくるねと言っていたじゃないか」


 10枚の豚肉に衣をつけ終わると、ミニョンはトレイに豚肉を並べていった。


「王子様との婚約は私が物心つく前から決まっていて、学院に入ったら王子妃教育にも励むように親にも王家にも命じられていたから頑張るしかなかっただけで、王子様を愛してなんかいなかったわ」


 並べ終えるとミニョンは余ったバッター液の入ったボウルに同じように余っていたパン粉を入れ、砂糖を加え、木べらで混ぜ合わせながら言った。


「王子様と初めてお会いしたのは、学院の入学式だったわ。その日の午後に学院の食堂で一度お茶を飲んで話をしたのだけど、王子様と私は初対面の時から話が全く合わなかったの。王子様は狩りやポーカーや夜会が好きらしくて、その話ばかりをされて、私にも今後は付き合うようにと誘われたのだけれど、私は数を競うためだけに生き物の命を奪う遊びは嫌いだし、賭け事は性に合わないし、夜会は成人してから行くところだと考えていたから、王子様の話に一つもついていけなかったし、一緒に同行したいとも思わなかったの」


 ミニョンは混ぜ合わせたものを4つの小さな団子状に丸め、これはオマケのパン粉ドーナッツにするのよと言って衣をつけた肉の横に並べた。


「幸いと言って良いのかはわからないのだけど、ちょうど私は学院入学と同時に王子妃教育を受けることが予め決められていて、放課後も休日も返上して勉強しないといけないくらいに勉強の予定が詰め込まれていたから、それを理由にして王子様のお誘いを全て断ったの」


 衣付けが終わったミニョンは、中身が無くなった二つのボウルとトレーを魔動まな板を浸けておいた魔動洗い桶の中に一緒に突っ込んだ後に魔力を流し、《調理用具を高温洗浄後、除菌し、乾燥させて》と唱えた。


「それに私はやらなきゃいけないことは先にやってから、自分の好きなことをゆっくりと楽しみたいたちなのだけど、王子様は先に全力で遊び楽しんだ後にゴネ倒して、周りの誰かに丸投げして逃げる質だったのよ。入学後直ぐに王子様は一年生で生徒会長になられたのだけど、学院の生徒会活動や公務を放り出して遊んでらしたから、婚約者の私が王子様の代わりにそれらを請け負う羽目になってしまってね。王子様は私に責められると思われたのか、私と会うのを徹底して避けてらっしゃったから、私が王子様と会ったのは入学式と卒業式の日の二回だけだったわ」


 ユーリックはミニョンが王子と二度しか顔を合わせていないと聞いて、目を丸くさせて驚いた。

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