第6話 二人と一匹の頼み事

「おお、ユアン! すまなかったな。あの時はああするしかなかったんだ。でないとお前が殺されてしまうから。それで、もうどこも痛くはないか?」


 床にぺたりと伏せていたアルガルベは、俺の姿を見ると嬉しそうに頭を上げた。ピンと立ったしっぽが、ぱたぱたとゆっくり左右に揺れている。機嫌は良いようだ。


「ええ、大丈夫です。助けて頂きありがとうございました、アルガルベ様」

「良いんだ。しかし近頃は随分よそよそしいな。前のようにアルガルベと呼んでくれればいいのに。なんならアルでもいい」


 俺がアルガルベと呼んだのはこいつを殺そうとしたそのときだけだ。もう三年も前の話だ。それ以来呼んでいないから、近頃というわけでもないのだけれど、竜の感覚は分からない。


「そうは参りません。私はあなた様の奴隷ですから」


 俺がそう答えると、アルガルベのしっぽがしゅんと床に下りた。どうやら気に入らなかったらしい。とはいえ、怒っているわけではなさそうだ。


「それにしても執政官殿はうるさいなあ。私はお前なら必ず勝つと知っていたから賭けたのに」


 アルガルベは執政官の去った方に目をやりながら、やれやれとため息をついた。


「執政官のお立場なら、仕方の無いことと存じます。あの方はこの国のことを第一に考えておいでですから」

「ユアンは優しいな」

「……優しいのはアルガルベの方だ。さっきの男、竜に意見してなぜ殺されなかった?」


 パルミラが反射的にトライアンフ語で呟いた。トライアンフ語、といってもフォステリアナ語とほぼ同じだから、俺にも分かる。


「何か言ったか?」

「アルガルベ様が執政官の苦言をちゃんとお聞きになっておられて寛大だ、と」


 人間の言葉はアルガルベには分からないから、俺は通訳した。まあ、竜の語彙にない言葉は人間のを使うわけだし、アルガルベも分かっているのかもしれない。だが少なくとも積極的に人間の言葉は使わないし、聞いたことにもしないのだった。


「ヒュミリスなら殺しかねない、か? あれは短気すぎるんだ。いつでも殺せるんだ、今殺すことはなかろうよ」


 こいつが言うと洒落にならないな、と思う。冗談や強がりではなしに、本当にそうなのだから。

 だけどアルガルベがいつでもそうやって見逃すかといえば、そうではない。歴代の執政官や将軍や官僚や警備兵、とにかくこの城の住人の中には殺された人間もいるのだ。執政官や俺と彼らとの違いが何かは分からない。まあ逆鱗に触れたということなのだろう。

 そんな事を考えていたら、パルミラに小突かれた。そうだった。機嫌が悪くならないうちに頼み事をしてしまわなければ。


「ところで、アルガルベ様。僭越ながら一つ、お願い申し上げたきことがございます」

「お前が私に頼み事とは珍しいな。聞こう」


 頼み事をされるのが嬉しかったのか、またぴょこりとアルガルベのしっぽが跳ねた。


「パルミラの家族に結婚の許可を貰いたく、二人でトライアンフに行かせて頂けないでしょうか?」


 両親は亡くなったと言っていたけれど、まあ誰か家族相当の人はいるだろう、多分。


「家族の許可? そんなものが必要なのか? その女も良いと言ったぞ。当人同士の合意だけでは足りないのか?」


 アルガルベが首を捻る。俺は合意していないのだが、今はそこはどうでもいい。重要なのは家族で、従ってトライアンフに行くことが不可欠なのだと訴えなければ。


「ええ。何の報告もなく異国、しかも緊張状態にある国で結婚となれば彼女の家族も心配しましょう。私としても……ええと……やはり彼女の家族には認めてもらいたいのです。と……とにかく結婚するなら、親戚関係を含めて円満な家庭を築きたいのです」

「ふぅむ? 人間はそういうものなのか。難儀なことだな。まあ、お前が望むのならよかろう」


 アルガルベは分かったような分からないような様子だったが、ひとまず言質は取った。


「ありがとうございます、アルガルベ様」


 俺が頭を下げると、アルガルベはついと頭を俺に近づけ、俺と同じ深緑色の瞳で俺をじいっと覗き込む。その視線に、俺は思わず一歩後ずさった。


「だがユアン、お前が私ともう一度会った時に、一つ私の頼みも聞いてもらうぞ」

「頼みですって? 一体何ですか? 何かおありでしたら、今仰って頂きたく」

「いや、今は良いんだ。その時が来れば言おう」


 アルガルベはそう言うと、それ以上は何も言わなかった。


「承知致しました」


 仕方なく、俺は引き下がる。


「すぐに通行証を発行させよう。帰ってくるまで休暇にしておいてやる。気を付けて行くんだぞ。ああ、土産には『聖竜まんじゅう』を持っていくといい」


 聖竜まんじゅう、というのは恐れを知らない菓子職人が作った、上面にアルガルベの姿が刻印されたクルミ餡入りの饅頭だ。クルミのコクがもっちりした皮とマッチして非常に旨い。だけど本人が存在を知っていたとはな。

 まあ、今回は本当に挨拶に行くわけではないから土産はいらないだろう。


「ありがとうございます、アルガルベ様」


 俺はもう一度頭を下げて、アルガルベの下を辞した。

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