幼少編・1『ルルクという五歳児』
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>『数秘術7:
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世界には、数えきれないほどの昔話がある。
名だたる神話を始めとして古くから伝えられてきた寓話、民話、御伽噺。
内容に虚実はあれど、どんな国でもそこに人の歴史がある限り伝承や物語は存在する。内容に流行り廃りがあったとしても人々が何かを語り継いでいくということ自体は普遍的なものだ。
かつて孤立していたそれぞれの世界は、今ではネットでつながっている。おかげでそんな物語たちは生み出されたころには想像もしてなかった遠い大地にまで染み渡っている。
文化や言語を超えて、物語は広がることができる。
俺はひとつひとつの物語が生まれた背景を知りたかった。
どんな風に語り継がれてきたのか。政治や宗教との関係は? 経済的価値がどれほどあったのか? 原点はどこにあるのか。ひとつの文化圏だけじゃなく、複雑に絡み合った神話たちの繋がりは?
好奇心は留まることを知らなかった。
だから大学に入って思う存分研究できる。
そう思ってたところだったのに。
ヘリコプターに押し潰されて死ぬという、奇想天外な結末がその未来を塗りつぶした――はずだった。
「……生きてる?」
俺は目が覚めて、自分の意識があることに驚いていた。
ついさっきの出来事だったから鮮明に憶えている。太陽に重なって降ってきたのは、ゲームで見たことのあるような軍事用のヘリコプターだった。どこから落ちてきたのか、なぜ落ちてきたのかはもちろんわからない。
しかしそんなもの潰されて、よくもまあ命を取り留めたものだな。
呑気に感心していた俺だったが、そこでようやく自分が寝ている場所に気づく。
……どこだ、ここ?
薄暗くて狭い部屋だった。
四畳半くらいの部屋にはベッドと机、クローゼットがひとつ。壁にへばりついたような小さな窓は木製の雨戸が閉じられていて、その隙間から漏れてくる明かりだけが部屋の光源だった。それでも十分なくらいこの部屋には何もない。
病院……ではないな。
とりあえずベッドから起き上がって五体満足か確認して、それから――
「え?」
強烈な違和感を覚えて、俺は自分の体を見下ろした。
小さい。
手のひらが小さかった。
いや、それだけじゃない。簡素すぎる無地のシャツとズボンはひとまず置いておいて、自分自身の体がどう見ても小さい……子どものサイズだった。
ぷにぷにの手のひら、弾力のある幼い肌。
これはひょっとしてかの有名なフレーズ『目が覚めたら体が縮んでいた』だと?
と、いうことは!
「まさかここもっ!?」
慌ててズボンを捲ろうとしたが、ズボンの腰に巻いた紐がしっかりと結ばれていた。
小さな指じゃ結び目ひとつ難敵だぜ……っ!
こんな時に忘れていた記憶が蘇る。
そう、あれは小学校に入る前のことだった。海外で仕事をする両親が久々に帰ってきたとき、ワガママを言って遊園地に連れて行ってもらった。たくさん遊んでたくさん食べた俺は便意を催したが、成長したことをアピールするために『ひとりでトイレにいけるもん』を実行。大人に混ざってトイレの列に並び、無事個室を確保しいざズボンをずらそうとしたとき、その日に限ってゴムではなくオシャレな紐のズボンだった。母親に締めてもらったちょうちょ結びのほどき方がわからず、焦った幼き俺は便意との激しい戦いのすえ――……
「あ、取れた」
そんな思い出に浸っていると意外と素直にほどけた。
ズボンはかなり腰回りがゆるく、紐を解いたとたんにストンと落ちた。
なぜかパンツは履いてなかった。
そこには、なんと。
「うおおおお! つ、つるつるだ……っ!」
我が不毛の大地には、赤ん坊のゾウさんがぽつんと一匹いるだけだった。
ち、ちっちゃくてかわいい!
というか物心ついたころから一緒に育ってきた自慢の息子が見る影もない。ああ、おまえはどこへ行ってしまったんだ相棒……。
軽いめまいを感じてしまった。
そういえば声もソプラノボイスだな。
いわゆるショタ声だ。
うーん、もしかして本当に体が幼少期に戻っている……?
下半身まるだしの俺は、まじまじと自分の体を観察した。
しかし幼少期に戻ったにしてはどこか違和感がある。俺の体ってこんな感じだったっけ? いったん鏡でも見て確認したいところだけど、この部屋にはなさそう。
ほんと何が起こっているのかぜんぜん理解できない……けど、とりあえず体に痛むところがないことは僥倖だろう。
ひとまず部屋から脱出して、俺の置かれた境遇を把握しなければならない。
体が幼児になったことは確実だろうからな。
「さてさて、俺をこんな風にしたのはお酒大好きな黒い組織か、あるいは人を攫ってサイボーグにする幽霊船か、はたまた壊れた猫型機械の暗躍か……」
おっとその前にズボンを履かねば――
ガチャ。
とその時、いきなり扉があいた。
廊下にいたのはメイド服を着た少女だった。
たぶん、十五歳くらいだろう。化粧気はなく質素ながら可愛らしい見た目のメイドさんだった。コスプレにしては手に抱えた木桶とタオルが似合いすぎている。まさか本物か? 俺はこれから本物のメイドに世話を焼かれるのか!?
ってそんなことはいい。
重要なのは、俺の格好だ。
現在絶賛モロだし中。これが相撲なら反則負けだよ。
驚愕して目を見開くメイドの視線が熱いぜ。
とりあえず、アレだ。
肉体的にはともかく精神的には俺ももう大人だ。うら若き少女にてぃんてぃんを凝視されたら、やることはひとつ。
ホーム〇ローンの子役みたいに両手を頬に当て大きく息を吸って、
「うわああああああ!」
「いやぁぁぁぁぁああああ!」
ムンクの叫びが二つ完成した。
いや、ちょっとまって。
いくらなんでも酷くない?
ゾウさん見られた俺が叫ぶならまだしも、見たほうが絶叫するってナニ?
もしかして俺のちん〇ん、呪いのち〇ことかなの? 見てしまったら他のひとにも見せないと死んでしまう系のアレなの? え、じゃあ俺はこれから呪いのち〇こと付き合っていくってことかな。毎日誰かに下半身見せないといけないの? さすがにそんなことしてたら俺の性癖が歪んじゃうよ。あ、もしかして世にいる露出狂ってみんなそういう呪いを抱えている……?
「だ、だ、だ……」
メイド少女は、絶叫とともに木桶の水をぶちまけて腰を抜かしてしまった。俺のピュアでキュートなゾウさんを凝視したまま声を震わせる。
「だ、だ、旦那様! た、たたた大変ですぅ!」
大変なのは水をぶちまけられて全身びしょびしょな俺だと思うんだ。
でも水は悪しきものを清めるっていうから、呪いの下半身はこれで清められたかもしれないな。結果オーライか。
……って冗談言ってる場合じゃないな。
俺は目の前のへっぴり腰のメイド少女が敵か味方かもわからないんだ。冗談もほどほどにして、真面目にどう対応するか考えないとな。
他の人が駆けつけてくる足音も聞こえるから、ここは逃げるのも手か――
「旦那様! ルルク坊ちゃんが、生き返りましたっ!」
「……え?」
俺の冷静な頭脳が状況を察する。
メイド少女の絶叫。
旦那様に、ルルク坊ちゃんというワード。
そして俺を見て生き返ったという。
……ああ、なるほど。
どうやらこのメイド少女が驚いたのは、俺のち〇こに対してじゃなかったらしい。文脈から判断するなら、俺――七色楽の意識は、ルルク坊ちゃんという幼児の体に憑依?しているのか。
どうりで自分の体じゃなさそうな違和感を憶えたんだな。
ってことはこのパターンはアレだな。ヘリコプター事故から生き残ったあとに薬で小さくなったわけでも、改造されたわけでも、不思議道具で体を変えられたわけでもなく。
「転移……いや、転生かな?」
一度死んで、意識や精神だけが別の人間になってしまった。
にわかに信じられないが、状況からそう鑑みて間違いなさそうだ。
神話や伝承などの物語オタクの俺としては、もちろんティーンエイジ向けのモノも嗜んでいる。憑依系の物語は世界中で古来から存在するけど、いまだパターン化されたと言えるほど活気のあるジャンルじゃない。物語の基軸として登場人物の体がふたつ以上存在するものでは、世界的主流になっているのはアバター操作系だろう。それに比べて他人の死んだ体に憑依する、なんていうのはまだまだマイナージャンルだ。
もちろん前例がないわけじゃない。むしろ情報過多の時代、生まれてないパターンの物語を探す方が難しい。転生系の物語にももちろん名作はあるし、マンガやライトノベルにはむしろありふれている。俺も商業誌やネット小説でいくつか読んだことはあるので、似たパターンを列挙することは容易い。
ああそれと、さっきからこのメイド少女が喋っている言葉は日本語じゃないな。
もちろん英語でも中国語でもなく、俺の知らない言語体系の言葉だ。
世界中の神話や伝承を追っかけている趣味のおかげで、世界中の主要な言語は一度くらいは目や耳にしている。そんな俺でもまったく聞き覚えのない構成の言語だった。この体に蓄えられた知識のおかげで自然と理解できるが、言葉そのものとしては初めて知るものだ。もしこの体が憶えてなければ宇宙人と会話しているような気分になるだろう。
どどのつまりここは、俺の知らない土地だということ。
あとはこのびしょ濡れの幼児の体が風邪をひく前に、別の情報源が来てくれればいいんだけど。
そう思っていると、バタバタと足音が近づいてきた。
廊下でへたり込んだメイド少女に駆け寄ったのは、帯剣した軽装の兵士……というか中世の騎士っぽい恰好をした20歳くらいの青年と、背広姿で恰幅のいい35歳くらいの短髪の男だった。背広男のほうも帯剣している。
帯剣か。
二人とも、見たところ銃は持ってなさそうだ。
「何があった!」
「だ、旦那様……ルルク坊ちゃんが……」
「っ!?」
短髪の男は旦那様だったか。メイド少女の口ぶりからルルクの父親だろう。
彼は部屋のなかにいる俺を見て一瞬絶句したが、次の瞬間メイド少女を抱えて後ろに跳んだ。しかも三メートルほどを一歩で、だ。
なんという身体能力だろう。騎士ならまだしも、背広姿の男がそんな反応を見せるとは。
その旦那様と入れ替わるように、騎士風の青年が剣を構えて俺と旦那様の間に立った。
騎士は俺をじっと見据えて、問いかけてくる。
「あなたはルルク坊ちゃんですか? ……それとも
「え? あんでっど?」
ゲームとかでは聞いた覚えはあるけど現実では一度も聞いたことのないその単語を真顔で訪ねられたら、反射的に聞き返すのはしょうがないと思う。
騎士は俺の言葉には答えず、じっと俺の体を見つめている。妙に熱の籠った視線だ。もしかしてこの剥き出しの下半身を……ハッ!? やっぱり俺は呪いのちん――
「どうだカーフェイ」
「……おそらくルルク坊ちゃんは死霊化していません。ご覧の通り会話も成り立つようです」
「そうか。にわかには信じられんが、単に生き返ったということか?」
「そのようです。しかし警戒するに越したことはないでしょう。監視のもと、医師に見せたほうがよろしいかと」
「うむ」
よくわからんけど、話は纏まったようだ。
騎士はそのまま俺に一礼して、
「失礼しましたルルク坊ちゃん。では、私どもについてきて下さい。くれぐれも、勝手な行動は慎むように」
「あ、はい」
丁寧な口調だったが、俺を見る目がやたら冷たかった。
よくわからないけど、いろいろと事情がありそうだし大人しく従っておくべきだな。
俺はそう判断して、黙って騎士の後ろについて歩いていくのだった。
□ □ □ □ □
本来のこの体の持ち主は、ルルク=ムーテルという名前だった。
生まれたときから難病を抱えており、五歳になったばかりの今日、いきなり病状が悪化して息を引き取ったらしい。遺体は自室に運ばれて、そこで一度身を清めてから正式に弔うことになっていたようだ。
俺は触診する医者に大人しく従ったまま、彼らの話からそう状況を分析した。
医者のうしろで腕を組んで眉間にしわを寄せている短髪の男は、やはりルルクの父親のようだ。しかし息子が生き返ったというのにあまり嬉しそうじゃないな。
父親の隣には、さっきの若い騎士と白いチョビ髭の執事のような男が控えている。彼が執事じゃなかったらこの世界に執事はいないだろうというくらい、執事らしい風貌をしている初老の男性だ。
医師は俺の体から手を離して、冷や汗をぬぐいながら言う。
「いやはや……怖いくらいの健康体です。死霊化どころか生命力に満ち溢れています」
「健康体、だと?」
「はい。ご子息の体は十全に機能していらっしゃいます。以前よりも、です」
「そんなバカな。魔素欠乏症は不治の病じゃなかったのか?」
「一般的な病状ではそのはずなのですが……」
魔素欠乏症。
それがこのルルクの体を死に至らしめた病名らしいが、そんな病名は聞いたこともない。それが一般的だということと、未知の言語やさっきの死霊化という言葉からも察するに。
「……異世界か」
いまだ外を見ることはできていないけど、これが夢や壮大なドッキリじゃなければそういうことなんだろう。死んだこのルルクという子どもの体に、日本で死んだ俺の魂が転生したって仮説が一番妥当だ。
うーんファンタジー。
どちらにせよ、俺が転生したせいか、あるいは別の事情があるのかこのルルクの体が生き返った理由は不明なのだが……。
父親に詰め寄られていた医者は、さぞ困りましたと言わんばかりの様子で話す。
「と、とにかく旦那様。ご子息にはまだしばらく安静にしていただければと。いまは病状も見られませんがいつ再発するかもわかりません。薬は前回同様に処方しておきますので、そちらで対処して頂ければと」
「……そうか。なら、続きは応接室で」
「はい」
父親は医者と騎士と執事を連れて部屋を出ていく。
扉を閉める前に、椅子に座る俺を振り返った。
「ルルク、お前は自分の部屋に戻っていろ。屋敷からの外出はいつもどおり禁じる」
そう言って、扉を閉めてしまった。
……ふむ。
どう接したものかとこちらからは声をかけなかったが、どうやらそれで不自然じゃなかったらしい。
最後の冷たい視線と言葉を考えると、あまり仲のいい親子じゃないようだ。むしろ険悪といってもいいかもしれない。
「ルルク=ムーテルか」
俺がこの体に
前者だとしたら俺も被害者だが、逆だとしたら俺は加害者だ。かなり真実が気になるけど、いま考えてもわかりそうもなかった。
大人しく状況に流されておこう。
それにしても異世界だとは。
流行りのライトノベルにあるように、最初からすごい力や能力を持っているなんてことはないと思うけど……どうだろう。
試しに手を閉じたり開いたりしてみた。うん、これはふつうに動く。近くにある陶器のカップを持ってみると見た目より重く感じた。うん、頼りないパワー。思い切ってジャンプしてみるも数十センチ浮き上がるのが精一杯。うん、死ぬ前よりも明らかに落ちた瞬発力。
こりゃなかなかの貧弱ボディだま。幼児だということを差し引いても運動不足は否めないだろう。
健康ではあるけど強くはないらしい。チートとは程遠い状況だ。
「そんじゃ、行ってみますか」
考えていても仕方がない。
見知らぬ世界で、見知らぬ子どもの体だ。どうすればいいのかわからないけど、このままじっとしてるなんてのは愚の骨頂だろうな。
ルルクの体に慣れるためにも、これからどうするか考えるためにも、ひとまず情報収集をしないと。
情報は足で稼げってのは新聞記者だった爺ちゃんの口癖だったしな。
俺はしっかりとズボンの紐を結んでから、部屋を抜け出した。
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