「氷雨のカナリア。」~10代から20代に書いた詩
天川裕司
「氷雨のカナリア。」~10代から20代に書いた詩
「氷雨のカナリア。」
水曜日の朝、氷がふっていた。とても冷たい窓には、
嫌な人の名前が。“お代金いくら..”の紙がカナリア
の鳥カゴの下じきにしかれてある。“お代金いくら?”
とカナリアはしゃべる、外は氷が降り続く。…….
ガス・コンロの火はパチパチ音をたてて、燃えさかる。
人は、本を読みながらゆりイスにもたれる。ぎこちない
音楽をききながら、ひょうしをめくる。ひょうしをめくる
音だけが、部屋中にこだます。コーヒーができたので
コーヒーをすすって、味をいただく。その時ふいに
スプーンの“き金属”の音がした。それに反動してカナリア
が、“お代金いくら?”としゃべった。意味はわかって
いないのだろう、と少し安心して、人はテーブルに向かう。
キレイ言はもうやめにしようではないか、と、人は、カナリア
に話しかける。カナリアが次に覚えた言葉は、“キレイ言
はもうやめにしようではないか”である、人は笑った。
鳥は人の夢、空をとぶことが
できる、一生のテーマだ。
「弛み。」
人間が何を書いても、人間なのである。その範囲は越えることはできない。
聖書にもある。“人間は空しい…”と。そこだけを抜すいしたのも、この私
である。限界がある。それを極める、と、限界があるのが人間ならば、
それは、それまでのこと。神の力は越せないであろう。ただ、人間は言う、
“書かれた文章で、人間(ひと)が救えるのなら…”と。
「あの時。」
ボランティアで災害地に行った人が言った。“もう少し僕らのことも気づかってくれ.”。苦しい時の相手の立場だ。キリストはこの時、どうするだろうか。人間の我慢の限界を越えている。
「フォト。」
写真をとろうということになって、私はとてもキンチョウした。
光ものの服を着ていたから。私は黒が好きだったんで、家に帰って取ってこようか、なんて思ったけど、“そこまでは..”とやめて、写真を撮った。夕方だったので、フラッシュはたかずに。
写真がつきるまで、嫌だなぁ、なんて思っていたが、でき上がった写真を見ると、服は黒っぽく写っていた。
光具合で、銀色は黒に変化していたのだ。
「勘違いは災(わざわい)いのもと。」
彼は密室で犯罪を成した。動機はよくあることである。
金めあて、か、邪魔者抹消か。ただ彼はあせっていた。もう少しで完全犯罪になるからである。その完全犯罪への手順も、よくある経緯(いきさつ)である。あともう少しで、完全犯罪になるその時に、犬の鳴き声がした。彼にはそれがアセリのせいで何の音かわからなかった。
一瞬のことだったので、余計にアセっていった。
そして、その一瞬のせいで、その音が遠くか、近くかさえもわからなかった。ただドアの方から聴こえただけで、それ以上のことはわからないのである。その彼には“人の気配か”との妄想が走った。そうなってからは、彼の行動はとたんにギクシャクした。
音が近いか遠いかが目に見えないため、不安を生んだ。そのことを考えている内に、時間が過ぎてゆくのに気づかなかった。人の気配か、と思っていた犬の気配が本当に人の気配になってしまったのだ。
完全犯罪のためドアの鍵がかかっていなかったため、カンタンに人にドアをあけられ、気づかれてしまった。勘違いが災いを呼んだのである。
「あの頃。」
その昔、“エクソシスト”という映画を観て、随分悩まされた。初めて観た時は、丁度3歳くらいの頃で、ところどころその様子を覚えていた。天井が遠ざかったり、近づいてきたりしたのを覚えている。その怖さをまぎらわすために、小さかったのでトイレにいっしょに行ってもらっていた。そうして、その頃の夜――――..
「回想」
―――少女は、いつものように布団に入り、眠ろうとした。その時突然、あの映画のことを思い出してしまったのだ。その時はもう、昔とは違い、少し大きく成長していたので、親にすがることもできず、ただ恐怖がつのるばかりだった。そして、妄想がとびかう中、想像が始まった。
その頃は、社宅に住んでいて、その社宅に入るところに小さな棒が立っていた。それも2本。そこが、頭の中をよぎった。そしてその頃行ってた教会の人達の中から1人を選び出し、その人に白目をむかせてその2本の棒の間を通って入ってくるように想像した。その人はとても優しい人で、よくお母さんが電話で話す人でもあった。
そう想像している内についに我慢できなくなり、お母さんを呼び、“眠れない…”と一言、言った。“そう.”とお母さんは何げなく言い、少女は母親の横に立っていた。テレビの上に置いてあるデジタルの時計はPM10:00をまわった頃だった。少女はただじっとその模様を見ていた。
「正義。」
“あの人が助かりますように。”
「教師。」
今、P.M6:53、もうすぐ家庭教師にならなくてはいけない。はじめはほんのお遊びの気持ち、いつものこと。ああ、ヤだなぁ、私が教えてほしい.“哲学”を。
「氷雨のカナリア。」~10代から20代に書いた詩 天川裕司 @tenkawayuji
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