「シンドラーのリスト。」~10代から20代に書いた詩

天川裕司

「シンドラーのリスト。」~10代から20代に書いた詩

「シンドラーのリスト。」

 1/10(金)    

戦争、ひとつひとつを見れば痛々しく、見られない。金と欲、理解できない。今のわずらわしさなど消える。言葉はすでに消えている。人間とは苦痛を感じる、会社の経営者は“失格だ”と言う。ある人は痛みのないように死なせる、と言う。神はどのように聞かれているのか、沈黙はまだ続いていた。これだけの数に命があるとは思えない、人は他人の中に入れない。

だが、経営者は言う、“ようこそプリンリッツ(永眠地)へ”と。信じることは、人に対してできるものなのか。寒い地方だ、信じる集中力に欠ける。男は、天を見上げ続ける、女は、欲を忘れることはできない。安楽地と思って着いてみれば、そこは地獄の果てだった。

人は、この世に自ら地獄を創り上げた。“なければ寂しい”と言うのだ。それを言わせたのは、神か、悪か。私はそれをも信じるしかない。今の世の中、幸福のまっただ中。戦争に終わりがあるように、平和にも終わりがあるのか。死ぬのに、リストがある。それを作ったのは誰か、わずかな平和の余韻に、善者と悪者に分かれた。この平和の世の中は、どういう時なのだ、これがわからないとは悲しすぎることだ。紙一重で、人の命は決まる。殺人鬼がこの殺される衆の中のどこにいるかわからない。冷たい人間の命の出所はどこなのか、考えれば怖くなる。人の心理を考えれば、その数は果てしない。

人が頭の中で考えられる数の限界は?男と女の力の差がはっきり出ている。天国と地獄がこの世にあるように思える、人の世界はもう嫌になる。頭がいい、というのは得てして、神に喜ばれるとは限らない。誰が救世主なのか、考える前に人は天に生きたい。

ある人は紙に毎晩書きつづける、“光あるところに悪がある.”と、女は仕事はしない。男の仕事はできないのだ。戦争時に、安息日とは?イェス・キリストは戦争中に来られた。信じる者は信じ、不安がる者は不安を抱いた。イェスを動かしたのは神、あの頃を私は知らない。ただ、教会で神様の話を聞く時だけ、その頃を想像する。

でも、私には欲があり、命がある。この世で、死以上の不幸はないという。人を救うのは、人ではない、神だ、と。私は苦痛を忘れたい。そして、神に祈って、この欲を取りのぞいて欲しい。人は金で、人に人を救うように頼んだ。ユダヤの人達はその苦しみを知っている。私はそれなのに、神を幾度か呪った。そのつけは回ってくるのか、私はただ、神に創られた人間として、素直に欲を嫌っただけだ。どこに行っても聖地外国には十字架がある。これほどに、キリストには人を救おうとするものがあるのか。

一時(いっとき)に600万もの生命が、人に奪われた。その命の行き先は天か地か、今はこの地球には、石としてでしか残っていない。通り過ぎた人の多さと、時間の多さは、神の手の中にあると信じたい。あれからどれくらいの時が過ぎたか、わずかかも知れない。私は、この世の中で神を見失いかけている。殺される時を見れば孤独に狂う程なのに、この平和の間(ま)が私の持って生まれた欲を引き出す。

人である以上、生きるために欲はある。それは、本来どういう姿のものなのか。私にはわからない。ただ、殺されかけた大勢の中の一人の人を救う人を見た時、私は感動したのだ。“シンドラーのリスト”を見ながら文字を書く私の姿が、テレビのブラウンかんに映るのが見える。


「シリアス。」

 物語など、生きてる内に書くものだ。我の生の永遠のテーマは、死にある。ざんげのばんかで何が描ける。死と生とはほんの紙一重。我と我の友人は、ほんの紙一重なのだ。ドラマで聞いたセリフを一度現実で言ってみた。簡単になかったことにされるのは我のみ?サイアクだ(笑)。サイアクだ、

笑うしかないこの私と現実の二人は、また明日のかけ引きにふける。いつになれば、物語が描けるのか、早く描きたい。テーマを思いつきたい。でなければ、どうして生きていけばいいのだ。私はもう20歳、おどけた様ではいけないらしい。楽しいこと、生きてゆくのは別のこの人生。今、神のもとへたどり着きたい。自信がないのだ。

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「シンドラーのリスト。」~10代から20代に書いた詩 天川裕司 @tenkawayuji

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