第14話 言語の壁

「コンニュチワ?」

「こんにちは」

「キョンニチワ?」

「こんにちは」

「キョンニュチュワ」

『それはわざとだろ』

『バレたか』


 リベルはとりあえず現代語のイロハとしてフィーニスに挨拶を教えていたのだが、最初に躓いたのは発音だった。フィーニスにとって聞き慣れない言葉を、俺の発音を必死に聞いて繰り返して覚える。地味で盛り上がりのない反復練習だ。

 しかし、それもほんの最初だけだった。フィーニスは驚異的な学習能力を見せ、今では数回練習しただけで鈍りもほとんど感じられないくらいには上手に発音ができるようになった。


『この調子なら単語は適当で良さそうだな』

『この程度、わたしには造作もない』

『ならステップアップしていくか』

『いくらでもかかってくるといい』


 リベルは単語から文法を教え始める。だが、古代語とは全く異なる現代語の文法にフィーニスは目を白黒させながら悪戦苦闘し、次第にフラストレーションが溜まり、最後に爆発した。


『なんだこの文法は!? 滅茶苦茶だ!?』

『古代語は法則を覚えたら楽だからなぁ』

『主語は!?』

『無くても可』

『述語は!?』

『無くても可』

『修飾語は!?』

『無くても可』

『なぜそれで言葉として成立している!?』

『なんでだろうなぁ』


 現代語は実に不思議だ。主語が無かろうが、語順が滅茶苦茶だろうが、何となく伝わってしまう。世界共通語として今の現代語が存在しており、多くの事象が共通認識として省略可能だからこその荒業だ。幾つもの言語があった古代語では齟齬が生じないようにしっかりとした文法が使われていたのだ、とリベルは推測している。


『現代語はセンスが必要なのかもな』

『リベルはなぜそこまで現代語を操れるのだ?』

『俺のセンスが輝いているからさ』

『わたしのセンスがリベル未満だというのか?』

『よう、ナンセンス寝坊助』

『……このセンス未満だと? 認められぬ』


 フィーニスの目にメラメラと炎が宿る。その目覚ましい集中力は人間離れしたものだった。空が赤く染まる頃には現代語でカタコトの会話ができるほどになったのだ。しかし、その代償は大きかったようだ。


『あぁ……、足が痛い……』

『休憩しないで歩くから』

『マズいと思ったのなら休憩させろ』

『止めたら怒るだろ』

『もちろん』

『理不尽過ぎる』


 地面に敷かれた毛皮の上で自身の足を擦りながらフィーニスは悪態をつく。その様子をリベルは鍋をかき混ぜながら眺め、フィーニスは感情が“無い”のではなく理解して“ない”だけなのだと感じていた。何が喜怒哀楽の感情かを理解すれば、フィーニスは驚くほど感情豊かに違いない。


『明日に響くからマッサージでもしておけ』


 そう言ってリベルはフィーニスに簡単なマッサージを教えた。これをやるとやらないでは雲泥の差が出る。特に普段動かさない筋肉を使った時は必ずするくらいだ。

 そうして一夜を明かし、案の定、フィーニスは足が筋肉痛に襲われてしまった。


『あ~、脚が痛い』

『若い証拠だな』

『リベルと違ってな』

『俺はまだ翌日にきますぅ』

『まだ?』

『おっと、それ以上は言わないお約束だろ?』


 リベルは口に指をあてる仕草をする。イケメンを自称するだけあって無駄に様になっている点がフィーニス的に気になるが、憎たらしいので絶対に言わないことにした。

 野営の片づけをし、リベルは出発するため筋肉痛のフィーニスを今日一日背負って進もうと背を向けてしゃがむと、それをフィーニスは制した。


『必要ない』

『担がれる方が好みか?』

『優しく抱えられるのが好みだ』


 リベルは振り返りフィーニスを見る。「必要ない」と言い切れるだけの“何か”を今か今かと待ちわびているためか、目が爛々と輝いていた。どうみても地面に座る少女に目を輝かせるヤバい変態である。

 地べたに座っていたフィーニスは自分の足先に触れた。そのまま指先を滑らせるように脚全体を撫でる。たったそれだけだ。たったそれだけでフィーニスは苦も無く立ち上がり、軽く屈伸やジャンプしてのけた。まるで、今さっきまでの筋肉痛が無かったかのようにだ。


『どうだ、すごいだろう? 錬金術で己の足を再生錬金したのだ。わたしの予想通り、完璧な結果だ。これはリベル、お前でも出来まい』


 サラッとフィーニスが言ったが、再生錬金はそんな簡単なものではない。対象の構造、特性を完璧に理解していなければ不可逆的な失敗が発生する、極めて高度な錬金術である。しかし悲しきかな、ここには錬金術を“理解”しているのはフィーニス一人で、リベルから見れば「へー、そうなんだー」くらいにしか感じないことだろう。


『……つまんな』

『何!? いったい貴様は何を想像していたのだ?』

『俺の想像外の出来事を想像していた』

『それは何も考えていないのと同義ではないか?』

『そうとも言う』


 リベルは失望したと言わんばかりに、あからさまに肩を落として進行方向を向く。その変わり様にフィーニスが慌てた。


『いいか、リベル! これがどれだけ高度で繊細な錬金術か教えてやろう!』

『いや、いらん。俺使えないし』

『いや、教えてやろう。現代語を教えてくれたお返しだ』

『それなら錬金術の概要でも教えてくれよ』

『ほう? やはり興味があるのか。それならそうと早く言えばよいものを』

『はいはい、それは後で教えてもらうから、フィーニスは現代語から学びましょうねー』


 騒がしい朝が始まった。


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