第9話 焚き火を囲んで

 パチッと焚き火が小気味よい音を立てて弾けた。立ち昇る炎は吊り下げられた鍋を熱し、スープをグツグツと煮えたぎらせている。


『……嗅いだことのない匂いだ。早くしろ』

『人使いが荒すぎやしませんかねぇ』


 リベルは呆れ交じりにそう言いつつ、手にした器にスープをよそってフィーニスに渡す。それを受け取ったフィーニスは目を輝かせながら受け取った。口に咥えたスプーンが機嫌良さそうに上下に揺れている。


『熱いから火傷に気をつけろよ』

『わはってふ。あっふ!』

『わかってないようだが?』


 そんな忠告はどこへやら。早速熱々のスープを口に入れたフィーニスは騒がしく、それでもスープを飲むことを諦める様子はない。再び呆れたリベルは自分のスープをよそって月を見上げた。

 遺跡から脱出したリベルは黄金郷についての情報を聞き出そうとしたのだが、それに抗議の声を上げた存在がいたのだ。そう、フィーニスの腹の虫である。キュルキュルと可愛らしい音を立ててリベルに遺憾の意を表明していた。


『これが、腹が減るという感覚か……』

『起きたばかりだろ?』

『何年食べていないと思っている?』

『知るか!』

『わたしも知らん』


 リベルが思うに、十中八九フィーニスは普通の人間ではない。最低でも何百年単位で誰も出入りしていない遺跡の中で眠っていたのだ。普通の人間ならば、あんな場所で眠っていたらあの骸骨と同じく白骨化しているだろう。しかし、フィーニスは御覧の通りピンピンしている。


『そもそもお前、何か食べられるのか?』

『当然だ。人間と変わらず生理現象は存在する』

『マジかよ……』


 どうやらあの骸骨は一つの命を作り上げたらしい。とそこまで考えてリベルは頭を振った。人間は人間であり、おとぎ話に出てくる神様ではない。自分の娘を特別な方法で現代まで“保存”したという説の方が、よほど現実味がある。しかし、それにしては納得のいかないところも多い。

 リベルがフィーニスの正体について考察していると、痺れをきらしたフィーニスは胸を張った。


『というわけで食事を所望する』

『……文句言ったら二度と食べさせねぇからな』


 以上が簡単な回想だ。結果としてフィーニスは美味しそうに三杯目のスープを飲んでいる。まるで初めて食事をした可能ながっつき具合だ。リベルは頭の中に幾つかの可能性を思い描くが、どれも納得しきれない。結論を出すには情報が少なすぎる。


『……どうした。食べないのか? それともリベルでも具合が悪くなるのか?』

『……いや、そのちんちくりんな身体によく入るなと……』

『……』


 フィーニスの目がスッと細められた。しかし、害意などは一切感じない。なのでリベルは一歩も動かずに自分のスープに口をつけた。時間が経ってぬるくなったスープだが、悪くない出来だ。


『……このスープに免じて許してやろう』

『自分のことを棚に上げてよく言う』

『わたしはいいのだよ』

『よくねぇよ』


 フィーニスは自信ありげに、リベルは半目で互いを見つめる。少しの静寂の後、リベルは吹き出した。


『はっはっはっ! 何も知らない、何もわからない、何も持ってない、なーんにもないヤツが威張るなよ』


 フィーニスは見た目とは裏腹に聡い。自分の置かれた状況くらいは理解している。その上で虚勢を張っているのだ。それをわかってしまい、リベルは笑わずにはいられなかった。


『む……、何も知らないわけではない』

『それは生きるのに必要か?』

『……』

『責めてるわけじゃないぞ? それに馬鹿にしているわけでもない』

『なら何故笑う?』

『フィーニス、お前の正体について考えていたのが馬鹿らしくなっただけだ。お前が誰であろうと俺はエルドラドに行く。たったそれだけってこと。実に単純だ』


 フィーニスの正体など正直どうでもいい。リベルにとって大事なのはエルドラドを発見することだ。偉大なる過去の軌跡を知ることの前には、誰が何であるかなどほんの些細な出来事に過ぎない。

 そんなリベルの言葉に目を丸くしたフィーニスはしばらく空の器を見つめてから、リベルを見た。


『流石、わたしの見込んだ男だな』

『おいおい、俺は誰もが見惚れる男だぜ?』

『わたしは見惚れてなどいないが?』

『子供には俺の渋さはわからねぇか』

『さっきの言葉と矛盾しているが?』

『生きるってのは矛盾と折り合いをつけることなのさ』

『……格好つけているようだが、自分の過ちを認められぬ大人は非常にみっともないと思うのだが』

『それもまた人生ってやつさ』

『ダメだな。自分に酔っているらしい』


 そこにはひたすらにポーズまで決めて格好つけているリベルと、その存在を視界から追いやり、四杯目のスープに口をつけるフィーニスの姿があった。

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