第3話 迫る足音

ここは、とある小さな村。 あまり人も住んでおらず、またそれほど豊かというわけでもないが、皆が元気に幸せそうに暮らしている温かな村。

 今日は村の真ん中にある広場に子供たちがみんな集まり、紙芝居の読み聞かせがそこで行われていた。

 大人の女性が子供たちの前に立ち、みんながここにいること、お話が始まるのを今か今かと待っていることを確認すると、さっそく読み聞かせを始めた。


 その話の内容はというと——今よりもずっと昔に起きた、ある出来事の話。 とある吸血鬼一人によって、この世界全てが支配されていたころの話である。

 その吸血鬼は自らの名をディスゴルピオと名乗り、この世にその姿を明らかにしたのち、その圧倒的な力と魔法、狡猾な知恵や吸血鬼としての身体的優位性を用いて瞬く間にほぼすべての国や村を攻め落とし、自らの手中に収めたのだ。

 中でも恐れられていたのは、他者を強制的に自らの眷属に変える力と、その他に類を見ないほどの不死性であった。

 奴に血を吸われたものは、奴の眷属となり完全なる操り人形と化す。 ディスゴルピオは高い身体能力と魔法を使い生み出していった眷属を自らの兵としてではなく、人質としても利用した。 大切な者を傷つけられたくない心に付け込み、次から次へと自らの奴隷を増やしていった。

 また、たとえどれだけの攻撃を受けたとしてもディスゴルピオは死ななかった。 剣を刺そうが、炎で全身を焼かれようが、その体に着いた傷は瞬く間に治っていく。

 絶望しかなかった。 その時を生きた者達は皆、このまま終わりなき支配に苦しめられるものだと諦めていた。

 だが、ある日そんな世界に一つの光が差し込んだのだ。 それは、自図からをエルフ族と称する者達の出現であった。 エルフ族の者達もまた、高い魔法の才と豊富な知恵を備えていた。

 彼らはディスゴルピオがまだ攻めていない村や土地に、同じような薬草が生えていることに気が付いた。 これが、おそらく奴の弱点なのだろうと。

 エルフ族と人間の皆はその薬草をいたるところに植えてまわった。 すると奴の眷属は目に見えて弱っていき、ディスゴルピオが人間の町に降りてきた時も明らかに苦しむ様子を見せたのだ。

 これは、奴を倒す機会は、今しかない! そう思った皆は、次々に武器を手に取りディスゴルピオに攻めかかった。 たとえその傷がいくら治ろうとも、人間らの怒りのこもったおびただしい攻撃の嵐はさすがに堪えたようだ。

 最後には、皆を立った一代で数十、数百年にわたり苦しめてきた最悪の吸血鬼、ディスゴルピオはエルフ族らの魔法によって完全に葬り去られた。 つまり、長きの時を経てこの世に再び平和が戻ってきたのだった。


 その話を終えると、さっきまで静かに話に聞き入っていた子供たちは一斉に紙芝居の女性に質問を投げかける。


 「そのはなしって、ほんとうにあったことなの?」

 「ええ。 でももうずっと昔のことだから、詳しいことは先生もわかんないなぁ」

 「わるいやつ、ちゃんとしんだんだよね?」

 「……ええっと」

 「えー? でも、きゅうけつきがわるさをしてるって、きいたことあるよ?」


 自らを先生と呼ぶその女性は、何と答えればいいか迷った。 下手に子供を怖がらせるようなことはしたくないが、かといって嘘を言うのも子供らのこれからのためによくない……と悩んだ末に、彼女は意を決してきちんと正しいことを伝えると決めた。


 「うん、この話に出てくる一番悪い吸血鬼は、ちゃんと倒されたんだけど……実は、この吸血鬼がまだ悪さをしてた時に……」


 子供たちは紙芝居を見ていた時と同じように、先生の話に集中している。

 先生はとても言いづらそうな顔で、言葉を続けた。


 「……いろんな人に、無理やり自分の子供を産ませてた、らしいの。 その子供たちが、今の吸血鬼の先祖だって言われてるの」


 それを聞いた子供たちは、みな驚きや疑問の声をあげる。


 「えー! そいつ、ひどい!」

 「きゅうけつき、まだいるってことなの? だいじょうぶなの?」

 「せんぞってどういうこと?」


 鳥のひなのように騒ぎ出す子供たちをなだめ安心させようと、先生は優しく、はっきりとした声で皆に呼び掛けた。


 「だ、大丈夫だよ、みんな! 吸血鬼はいるけど、吸血鬼の苦手な薬草だってあるし、今は昔とは違って吸血鬼を倒してくれる強い人だっているの、あそこ!」


 先生は、とある建物の柱のすぐそばを指さした。

 そこにいたのは、一人の大柄な男性。 白黒のオーバーサイズのスーツをまとい、背には巨大な銀色の戦斧を背負っている。

 男はさっきまで何か考え事をしていたようだが、先生が自分を呼んでいることに気が付くと笑顔でそちらへ向かっていった。


 「あの人が、吸血鬼とか、悪いやつを倒してくれるの! だから安心しても大丈夫よ!」


 先生の元気な声に合わせ、その男も少しポーズをとってみせる。

 その様子を見て子供たちも安心したのか、声も表情もさっきまでのそれより明るいものとなっていた。


 「きゅうけつきたおせるんだ! すげー」

 「じゃああのおじさんがいたらもうあんしんじゃん!」


 皆はワイワイと騒ぎ立て、しばらくすると熱量はそのままに追いかけっこやかくれんぼなどをしにこの場を去っていった。

 ここには先生と男のみが残る。 二人は子供たちの様子を眺めたあと改めて顔を見合わせ、話し出した。


 「えっと、バンバさん、この度は本当にありがとうございます」

 「いいってことよ。 これが俺らの仕事、だからな」


 男は、陽気な雰囲気も感じられるような明るい声でそういった後、満面の笑みを見せた。 さっきの会話から察するに、その男がバンバなのだろう。

 バンバと呼ばれた男は先生に手に今も持たれている紙芝居に目をやると、一つ問いかけた。


 「それ、ちょっと気になったんだけどよ」

 「え?」

 「いつもそうやって、子供たちに教えてんのか?」

 「ああ、はい。 そうですね。 ちゃんと吸血鬼は怖い存在なんだよって教えとかないと、いつかあの子たちがこの村を離れることになっても困らないように……」

 「はっはっは! それはいいこったな」


 二人は、もう一度子供たちの遊んでいるさまをじっと眺める。

 皆、とても楽しそうに声をあげたり、笑いあったりしている。 そこには悩みや不安、何かを恐れたり新派死したりする様子もない。 まさに健全で理想的な子供たちの姿が、そこにはあった。

 ただ……その中には、怪我をしたのだろうか、手足に布や包帯を巻いてるものもいた。


 「なんだかんだ、みんな元気そうだな……」

 「そうですね……数日前のことは、まだ忘れたわけではないんでしょうけど……」

 「ああ、あれか……まあ、俺は子供らの命まで奪われてないだけマシだと思ってるぜ? ここよりもひどいことになってる所は、職業柄今までいくつも見てきたからな……」

 「そ、そうなんですね」


 男は一度大きく息を吸い込み、精一杯優しく、かつ気合のこもった声で先生に宣言するように告げる。


 「ま、この俺に任せておけってことだ。 絶対みんなに、本当の幸せを持って来てやるからな」

 「ありがとうございます! それで、何か分かったんですか……?」

 「いや、それがな――どうも手掛かりになるようなものは見当たらなかった。 だが、俺の勘がこう告げてるんだ……あっちだ!ってな」


 男はある一方を力強く指さした。

 そこは地平線を埋め尽くすように広がる、広大な森。 どこから始まってどこで終わるのかもわからない、まるで行くてを阻む壁かと思えるほどに、その森は村の真正面にそびえたっていた。


 「こんな広い森だ。 悪いやつらが身をひそめるのにはうってつけだろうな……多分だが、奴らはこっちに逃げたんだと思う」

 「奴ら……」

 「ああ。 たしか、獣人らの盗賊団だっけか?」


 男が問いかける。 

 そう、この村はつい数日前に、突如現れた盗賊団に襲われ、食料や金目のものなど、様々なものが盗まれていった。 村の建物のいくつかも奴らに破壊され、大切なものは根こそぎ盗られていったのだ。

 その言葉を聞いて、先生はさっと表情が硬くなった。 顔色も悪く、辛そうな目もしている。 さっき話していた、数日前に何かあったのだろうか? 男はそれ以上聞く気はなかった。


 「というわけで、今から行ってくるわ、俺。 いい知らせってのは、早けりゃ早いほどいいだろ?」

 「今から、ですか——き、気を付けてくださいね!」

 「心配すんな! ドーンと大船に乗ったつもりで待っててくれよな!」


 豪快な大声でそう言い、戦斧をへに担ぎなおした後、男は大きく力強い足並みで森へと歩き出した。 先生は、そのたくましい背に向かって深く礼をして見送った。


 男は、森の目の前までやってきた。 まだ太陽が天高くにあるというのに、外からのぞいただけでその先は真っ暗な影の中になっているということが分かった。 普通なら、とても恐ろしくとうていここへ入っていく気にはならない――だが、今の彼はそんな感情など一切抱いていなかった。 己の使命と、正義感に燃える心持ちでいた。

 彼は、森へ入る前に一度、後ろを振り返った。 少し気になって、村の様子を見たのだ。

 そこにはそれほど広くもない、普通の村があった。 ただ、至ることろに崩れた建物の瓦礫や、何者かに火を放たれたような焼け跡があるぐらいの……


 「待ってろよ……絶対、俺がこんなひでぇことした奴らの首、持って帰ってきてあるからな……」


 男の瞳に、怒りの炎が灯った。 こうなってしまえば、もう彼は何者にも止めることができないだろう。

 行くてを阻む木や蔦は切り払い、邪魔な岩などは打ち砕き、彼はこの森を隅から隅へとくまなく捜索した。 おそらくこの森の中のどこかに必ず、獣人の盗賊団がいると信じて。


 その森の、ずっとずっと深いところでは——


 「ん? どうかしたか、エル?」

 「いや、何でもない――」


 いつの間にか、エル、とニックネームで呼ばれるほどに、エルジェベドは獣人らと仲良くなったようだ。

 彼女は今日、また新たに任せられた、保管している木の実を傷んでいるものとそうでないものに仕分ける仕事をやっていた。 これならたいして力もいらないから、彼女でもできるだろうとのことらしい。


 「いや、さっきから時々手が止まってたが」

 「ああ、そういうことか——私の、杞憂で終わればいいのだが」

 「どうかしたのか?」


 エルジェベドの様子が、どうにもおかしい。 今まで見せたことのない顔色に、声色。 何かを隠しているとも少し違うような気がする。

 もしかしたら具合が悪いのかも――そう思ったロボは、彼女に接近して顔色をうかがったり額に手を当ててみたりする。


 「病気じゃない! ただ、近いうちに何か、よくないことが起こりそうな気がして――」

 「よくないこと、か」

 「まあ、でも多分、大丈夫だ」


 ここは、深い深い森の中。 こんなところに人間なんて、くるわけがないだろう――と、彼女はさっきまでの不安を振り払い、仕事を再開するのだった。

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