第2話 森の獣?とともに

吸血鬼エルジェベドが新たな旅を決意したよりも、ほんの少し後のことである——


 彼女を討伐しに城へと赴き、そして惜しくも逃してしまったあの男はとある大きな町の、立派な建物の中へと入っていった。

 今はもう深夜であるが、その建物だけはこんな時間でも明るく、中からは大勢の人たちが談笑する声が聞こえてきた。 まるで昼間のような賑わいだ。

 その建物の中にいた者らは、男がここへ入ってくるのを見るや否や次々に声をかけてくる。


 「おー、最強のクルセイダーさんじゃないですか。 お帰りなさーい」

 「今回の成果はどうだった? 俺らにも聞かせてくれよ!」

 「せっかく仕事を終えて帰ってきたんだ。 君も何か食べるか?」


 その者達もまた、男と同じように白と黒のスーツを身にまとっていた。

 男はそんな彼らの方を向くと、すぐにさっとうつむいた後、小さな、しかしはっきりとした声で告げた。


 「いや……逃げられた」


 その一言を聞いた途端、あたりは一瞬にして静寂へと変わった。


 「逃げられ——お前にしては珍しいな」

 「いや、彼は確かエルジェベドを殺しに向かっていたはずだ。 あいつなら……どんな者が相手をしても、逃げられてもおかしくない」

 「おかしくない、だと……? もしオレがあの時、あいつをきちんと狙えていれば、下手に苦しませずさっさと殺していれば、もっとオレの判断が速ければ……あいつはあの時、俺の手で……」


 明らかに様子がおかしい。

 震える声、どことも焦点のあっていない瞳孔が開ききった眼、引きつる表情筋、力いっぱい握りしめた拳は今にもはちきれそうだった。 いま彼の感じている怒りの総量は誰にも察せないが、少なくとも下手に放っておくといけないことだけはわかった。


 「ね、ねぇ! そんなに怒ることないって!」

 「お前……」

 「逃がしたって言っても、たしかそいつその辺旅してばっかのザコなんでしょ? どうせまた出会うし、その時ボコボコにしてやればいいって!」


 常軌を逸した怒りを彼から感じ取った皆は、何とかしてその怒りをなだめようと、気を落ち着かせようとして語りかける。


 「君には実力が、そして実績がある。 奴を殺すのには十分すぎるほどの。 またすぐにでも奴を見つけ出し、何かをしでかす前に再び駆除におもむくことだってできるはずだ」

 「そうそう! それにお前は俺よりずっと若いんだから、そんなに気負うこともないぜ? もっと頼ってくれても——」

 「いや、もういい……ありがとう、みんな」


 皆の思いが伝わったのか、彼なりに心の整理がついたのか、彼らの言葉を聞くたびに男の中の怒りも少しずつ引いてくるのが分かった。

 さっきまでの自分は、こんなに皆を心配させるほどおかしかったのか……と思い、男は着ている服を脱ぎながらこの建物の奥の方へと去っていった。


 「なんか、疲れてたみたいだ……オレはいったん休むよ」


 その様子を見て、皆も少しは安心した。


 「そう。 それじゃお休み、レン……私たちは次の仕事に向かうからね」


 ——


 そしてさらに時は経過し、およそ二、三日後——

 ここは森の中。 放浪の吸血鬼エルジェベドの新たな旅の出発地……なのだが、


 「広い! どれだけ広いんだ、ここは!」


 彼女はいまだにこの森を抜け出せずにいた。

 城の上からたまに見ていたころはこの森の広さには気付かなかったが、歩いても歩いても同じような木と岩が並ぶこの広大な森を抜けることは彼女にとって相当の苦行であった。


 「終わりも見えんし、何より腹が減った……もうここから一歩も動けん」


 そしてなんと、ついには地面に倒れこんでしまった。 顔を下に、四肢をだらしなく四方に放り投げ、のべっと寝そべるその姿はまるで踏みつぶされたカエルのようにも見えた。


 すると彼女の声を聞いたのか、それともにおいをたどったのか、どこからともなくこの場に獣が一匹やってきた。 まるで数日前の夜のように。

 その獣はあの夜と同じようにゆっくりと彼女のもとへ近づき、あの夜と同じように何度か鼻先で小突いたりした後、あの夜と同じように彼女の体を持ち上げ……この後何が起こるのかは、容易に想像がつくであろう。


 「——ご馳走様」


 これが彼女の得意技、騙し討ちである。

 生まれたころから争いを拒み、鍛錬を避け、誇りや誉れを早々に投げ捨て常に『逃げ』の選択肢をとり続けてきた非力な彼女にとって、騙し討ちで獣を狩るなどお手の物。 この道においては彼女の右に出るものなど誰一人としていないのだ。


 「とてもおいしい血だったよ、ありがとう」


 小物臭い狩りをしておきながら彼女は少し大物ぶるようにして、今日の獲物に対しそう告げた。 自分が弱いと自覚しているからこそ、こういうことはやってみたくなるものなのだ。

 先ほどの食事のおかげでおよそ五日ほどは歩き続けることができるようになっただろうか、彼女は再びこの森から出るために探索を続けた。


 今の時刻は昼、太陽がちょうど空のてっぺんにいるころだ。

 吸血鬼は太陽の光が弱点で、こうした昼間はまともに活動することさえできないと思われているが、実際のところはそうでもない。 というより、彼女がそういう体質なだけなのかもしれない。

 まったく影響がないというわけではないが、強い日差しを浴びても多少肌がピリピリするぐらいでそこまで体に大きな問題もなく、昼は夜に比べて凶暴な肉食獣に襲われることも少ないため、彼女は昼間に旅を続けているのだ。


 「だがしかし……いっこうに外に出られる気配もないな」


 当然のことではあるが、どれだけ進めども木と岩ばかりの景色。

 物珍しいものなどこの森のどこにもなく、はじめのうちは未知の世界に少しはワクワクしていた彼女も次第にこの景色に飽きてきた。 早くこの森を出たいという思いが強くなってきた。

 しかし周囲の様子、外に近づいているという雰囲気は一切感じられない。 いま彼女が進んでいる道が本当に正しいのかさえ分からない。


 「こうなれば……いっそこの森に住むというのもありだな」


 突然何を言い出したかと思えば、彼女はおもむろに近くに生えている立派な大木に近づき、勢いよく拳をぶつける。

 ぱしんという軽い音、木の幹はびくともしない。

 彼女はもう一度、二度、さらに何度か殴ったのち、血の刃物で切りかかりもした。 しかしやはりびくともしない。

 それならばと、次に彼女はちょうど目の前にあって行くてを邪魔している岩に目をやった。 そして少し屈み、持ち上げでそれをどかそうとする。 だがその岩もびくともしない。

 そう、彼女はあまりにも非力なのだ。


 「くっそ、うまくいけば小屋ぐらいは建つと思ってたのに……」


 しょうもない考えは仕方なく忘れてしまい、今はこの森から抜け出そう。

 そう思いなおした彼女はさっき痛めた両手の甲をさすりながらも先へ歩いていく。


 とはいえ、ただやみくもに歩いてもこの森から出られるとは思えない。

 彼女は考えた。

 まず、下手に蛇行すると一度来たところに何度も訪れてしまう可能性があるので、可能な限り一直線に進んでいくこと。

 次に、川を見つけられるよう動くこと。 普通は上流へ行って周囲の様子を確認するのが定石だが、今はとりあえず森を抜けることさえできればいいのでもし見つかったら下流へと進んでいくことにした。


 「どっちに行けばいいか……向こうの方に行けばいいような、そんな気がする」


 自分の命がかかっているというのに勘で行動はしてもらいたくないものだが、彼女は今までの経験からおそらく川がある方へと進んでいった。

 できるだけまっすぐ、岩を乗り越え、木の枝のトンネルをくぐり、もはや無心で突き進む。


 結果として、想像よりもずっと早く川にたどり着くことができた。


 「おお、いきなりか」


 彼女はその川のほとりへと歩み寄る。 川岸に敷き詰められた砂利を踏みしめた時のじりじりという小さな音が、この静かな森の中に鳴り響いた。

 その川についてだが、川底の様子が常に拝めるほどに澄んだ冷たい水が、一切波紋をだすことなく流れている。

 川幅はそれなりには広く、試しにその中へと入ってみると深さも川の中心の部分では彼女の腰までに達し、相当なものであることが分かった。


 「それと、流れも案外速いな。 早くここから出ないと溺れそうな気がする……」


 じゃぼじゃぼと流れをかき分け彼女は岸まで上がっていく。

 途中、小さな魚を見かけた。 彼女には捕まえられそうにもない速度で川底付近を楽しそうに走り回っていた。


 「あいつさえ捕まえられるなら、ここに住むのも悪くないのだがな……」


 一度はあきらめた計画なのだが、彼女はまだそんなことを言っている。

 実際、ここは深い森の中。 誰かに襲われる危険もなければ、住みかとして活用できそうな場所もいくつもある。 本来なら脅威となりうる森に潜む猛獣も、彼女にとっては食事を提供してくれるだけの存在にすぎない。


 「やはり、どうにかできないものか……」


 彼女の目的は、だれからも命を狙われることのない場所に移り住むこと、そして、この場所はその条件を満たしているといっていい。

 先ほどは彼女が岩も持ち上げられないほど力がないからという理由で諦めたものの、もう少し考えればうまいやりようこそあるはずだ。

 彼女は川岸に座り、なんとなく足だけを川の中に入れてぴしゃぴしゃと水しぶきを上げる遊びをしながらも、これからどうしようかとぼんやり悩みだした。


 そんなことをしていると、彼女の真後ろの背の高い草が大きく揺れた。

 獣ではない、それよりも何か体格こそ小さいものの、背は高い生き物である。 彼女は今までの経験から、そう感じ取った。

 彼女は、後ろを振り返ってその正体を確認しようとは思わなかった。 それよりも逆に、このまま向こうがこちらに近づいてくるまで気が付いていないふりをしていた方が賢明だと判断した。

 また、その背後からの音を聞いた瞬間、彼女はもう一つのことにも気づくことができた。


 「誰だ」


 声が聞こえた。

 どう考えても獣の鳴き声とは違う、はっきりと意味を持った言葉だ。 声の質的に、おそらく男だろうか。

 彼女はまだ反応しない。 後ろを振り返ることもせず、じっくりと相手がどう出るかをうかがっている。


 「——顔を見せろ」


 そう言われて初めて、彼女はすくっと立ち上がると振り返り、相手の顔を拝んだ。 そして、互いに相手の正体に驚いた。

 彼女に声をかけてきたその者は、彼女より二回りほど背が高くたくましい体付きをしており、軽装な服の下にはストレートの柔らかそうな毛が全身を覆うように生えている。

 そして何より特徴的なのが、頭のてっぺんから生えている大きな耳。 それはまるで狼のそれに近い形をしていた。

 となると目の前の彼は、獣の体と力をその身に宿した「ヒト」で無き人間——獣人と言われる種族の者だろう。


 「妙な水音が聞こえると思ってきてみたら……まさか吸血鬼だとは」


 獣人は明らかに彼女を警戒した様子で隠し持っていた石の槍を握りなおし、彼女の方を向けて構える。

 それに対し、彼女は両手を一度相手に見せるように伸ばした後、そのまま後ろに組んで目の前の彼をじっと見る。 まるで、抵抗する意思はないと伝えているかのようだ。


 「? 何のつもりだ」

 「何って、見ての通りだが……」


 ほんの数十秒の、ただにらみ合うだけの時間が過ぎた。

 彼女の、君を襲う気は一切気がない、という思いが相手に伝わったのかは知らないが、彼は一度槍を地面に突き立てると彼女の方へと近づき——その後ろに組んだ手をしっかりと掴み、地面に押し倒した。


 「どうして吸血鬼が、こんな森の中にいる?」


 彼女の両腕を、何か細いものが締め付けてくるような感覚が走った。 紐か植物の蔦のようなもので縛り付けてるのだろう、と思いつつも、彼女は相手の問いに嘘偽りなく答える。


 「簡単に言うと、元の住みかを失ってな。 数日前に人間に襲われて、家にしていた所を爆破された」

 「——爆破」


 彼の手が、一瞬止まった。


 「それでこの森の中に逃げてきて、どうにか抜け出せないかなぁ、いっそここに住もうかなぁと考えていたところなんだ」

 「そうか……人間に襲われて、抵抗はしなかったのか?」

 「しなかった。 相手は武器を持っていたからな、私では勝てん」

 「ふぅん……なるほど」

 「ああ、一応言っておくが、私はお前の想像する吸血鬼とはかなり違うぞ……ある意味な」


 彼女の腕を押さえていた手が離れ、次は首に布のようなものが巻かれる。


 「なあ、聞きたいんだが一体私をどうする気——ぐえっ」

 「村に連れて帰る。 その後どうするかは、あとで決める」


 それも終わると獣人の彼は彼女の肩をつかんで無理やりに立たせ、そのままリードを付けられた犬のように彼女の首を引っ張り森の中を歩いていく。 おそらく、さっき言っていた「村」という場所に向かっているのだろう。

 彼がひもを引っ張るたび、彼女は思わす前へ倒れそうになった。


 しばらくの間歩いていると、日は夕暮れ時ぐらいまで傾き、あたりは少し暗くなった。

 この時間帯ならば、そろそろ一番星が出くるくらいか――そう考えて彼女がふと上を見ると同時に首にかかっていたひもが思いっきり引っ張られ、彼女はそのまま地面に顎から激突した。

 あまりの痛さに彼女が地面を転げまわりながら悶えていると、いつの間にか彼女の周りは他の獣人らに取り囲まれていた。 皆も彼女が吸血鬼であることには一目で気が付いているようで、戸惑いや疑問の声を次々にぶつけてくる。


 「なあ、ロボ、こいつは一体……?」

 「ザコの吸血鬼だ。 すぐ近くで捕まえてきた」


 まるで虫かトカゲのような紹介のされ方に対する不満をぐっとこらえながらも、彼女は地面に倒れたままその獣人らの奥——彼らの村に目をやった。

 そこは木を切り倒してできた広場の真ん中にある焚火と、それを囲うように並べられた椅子代わりの丸太、さらにその周りを囲うようにして建てられたテントのような小屋がいくつかと、村というよりは広めのキャンプ場のようなところだった。

 それとさっきの獣人らの会話から、さっき自分をとらえた者の名がロボであることも知った。

 彼女は黙ったまま、彼らの話を聞く。


 「吸血鬼か……うわさで聞いた通りの見た目だな……」

 「なんか怖いけど、ザコって一体どういうことなの?」

 「まあ、人間に襲われてここまで逃げてきたらしい。 嘘かどうかはわからんが、少なくともそんな感じはしなかった」


 すると話は当然、この吸血鬼をどうするか、という話題に移っていく。

 彼女はおそらく殺されるか、適当な木にでも縛り付けられて放置されるかだろうと考えていた。

 ところが皆は、こいつがどうしたいかを聞きたい、と言ってきた。 彼女に意思決定の権利を与えようというのだ。 これは予想外だったのか、彼女は小さく驚きの声を上げた。

 皆が彼女の顔を、少し離れたところからのぞき込む。 彼女はあおむけになって皆の顔を見ながら、そのまま自分の思いを伝えた。


 「なら……かくまってほしい、ここで」


 その言葉に、周囲はざわついた。 とはいえそこまで大きなリアクションもなかったため、この答えはある程度彼らも予想していたのだろう。

 どうせ断られるだろうし、その時は次になんて頼もうか——彼女はそう考えていたが、意外にも一番最初に返ってきた言葉は


 「まあ、いいんじゃないか?」


 だった。 彼女は再び、驚きの声を上げる。

 まさかこの頼みが通るとはと思って彼女が思わず胴を上げると、ほかの皆も口々に彼女をここに住まわせてもよいだろう、とそれを認めるような意見を述べていく。


 「よかったな、お前。 住ませてもらえるってよ」


 真後ろからロボの声が聞こえる。

 それに加え、いつの間にか両手首の締め付けられるような感覚もなくなっていた。 ロボが解放してくれたのだろうか?

 彼女は後ろを振り返って彼の顔を確認した。 特に何も考えていないような顔。 しかし、彼女に対する敵意や警戒といったものも、そこには含まれていなかった。

 彼女は立ち上がり、皆の方を向く。 そして、名を名乗った。


 「私の名は——エルジェベド。 これからどれほど長い付き合いになるかは分からないが、よろしく」


 こうして、エルジェベドの新たな住みかでの生活が始まったのであった


――


 それからの彼女の生活というものは——ある意味、予想通りのものだった。

 皆に受け入れられてこの村の一員となった彼女であったが、ここにきてたら初めのうちはほかの皆と話すこともそうだが、顔を合わせることすらめったになかった。 理由としては、ただ単に皆が彼女を避け、彼女もまた皆を避けていたからだ。

 皆からすれば、彼女は吸血鬼の一人。 たとえどんな奴であろうと、何を考え、いつこちらを襲ってくるのかもわからない。 できるだけかかわりを持たない方が吉だろうと、そう考えたのだった。

 また彼女からすれば、皆は自分よりもはるかに力の強い獣人たち。 もし下手な真似をして皆の機嫌を損ねてしまったら、どんな目に遭うか分からない。 今まであまりであったことのない相手であるため、感情を読むのも難しい。 あまり近寄らない方がいいだろうと、そう考えたのだった。

 そういうわけで彼女は一つの小屋を与えられ、そこで布を織る仕事を毎日のように行っては、時折運ばれてくる食事を食べては寝るを繰り返すような仕事をしていたのだった。


 しかし、そんな中でも積極的に彼女と何度も顔を合わせ、関わろうとする者が一人だけいた。 ロボだ。

 はたして彼のその行動は、自分が彼女をここに連れてきたからという責任感ゆえの者なのか、それともまさか彼女に気があるからなのか、まったくわからない。 だが彼は毎日の狩りを終え村に帰ってきた時や、朝、太陽が昇る前に目が覚めた後などに彼女のいる小屋の中を覗き、数分だけ会話をしたり何か欲しいものがないかと聞いたりしていた。 日々の食事を彼女のもとへ持っていっているのも、また彼だった。


 ある日、エルジェベドがいつも通りやっていた布織りの仕事を終えたぐらいの時、これもまたいつも通りロボが小屋の中を覗き込んできた。

 しかし、今回は普段とは違うことが一つだけある。 彼は片手に何かを持って来ていた。 それは、食事とは違う何かではあることは一瞬で理解できた。 布、だろうか?


 「ああ、今日は一体何を——わふっ」


 エルジェベドがその手に持たれているものについて聞こうとした瞬間、ロボはそれを彼女の顔面めがけて投げつけてきた。

 彼がそれを広げてみろというので彼女は顔のそれを手に取ると、それは一つの服であると分かった。 色は薄い麻の色で、大きさもちょうど彼女の体に合うぐらい。 デザインも獣人の彼らが着ているものと同じとても動きやすそうな服だ。


 「これは?」

 「お前、ずっと前に服がぼろぼろだから新しいのが欲しいって言ってただろ。 だから、作ってもらった」


 彼はその服に加え、この村のことについても教えてくれた。

 彼が言うには、この村にいる獣人は皆、昔人間からの差別や迫害を受け、己の住みかを追われたり自身や家族、大切なものを壊されたりして心や体に深い傷を負った者、そしてそれらの子だそうだ。 実際彼自身も人間たちに捕らえられ、悪者退治と称した憂さ晴らしの暴行を毎日のようにうけていた過去があるという。


 「まあ、今となってはオレがこの村のリーダーになってるわけだが……」

 「それで、同じ境遇の者たち同士もっと仲良くしたい、と?」

 「……そうだな。 無理は言いたくないが、お前にはもっとみんなとも仲良くなってほしい」

 「——ありがとう、その気持ちはちゃんと受け取った」


 二人は仲よさそうに笑い合った。


 「ところで、この服のことなんだが……今着ても大丈夫か?」

 「いつでも、好きな時に着ていいぞ」

 「いや、そういうことじゃなくて……ほら、服を着替えるには今着てるものを脱がなければいけないだろう? 別に私はいくら見られても構わんが……」


 数秒ほど、返答までに間があった。

 ロボはその意味を察したとたん、顔を真っ赤にしながら急いでこの小屋を出て行ったのだった。

 彼女はその後姿を見て、何か可笑しいような思いになりながらものそのそと着替えを済ませた。

 その服からは単なる衣類の効能としてのそれとは違う、心の芯から体を温めてくれるような、優しく全身を抱きかかえてくれるような――そんな力を感じ取ることができた。


 次の日から、この村の雰囲気は明確に変わった。

 その一番大きな理由として、エルジェベドが頻繁に小屋から出てきて皆と顔を合わせるようになったのだ。

 村の皆も、ロボからエルジェベドがどういった者かはすでに話を聞いていた。 彼女が想像の吸血鬼よりもずっと優しく、話しやすい相手であることをもう知っていた。 彼女が皆と仲良くなり、打ち解けあうまでにそう時間はかからなかった。

 たまに彼女が皆の手伝いをしようとして、その非力さゆえにかえって迷惑をかけてしまうような結果になってしまったとしても、皆は笑って許してくれた――もちろん、彼女には少し納得のいかない出来事ではあるのだが。


 そして、エルジェベドがこの村に来てからおよそ1年ほどの時が経った。

 今日はいつもより狩りの成果がずいぶんとよかったので、村のみんなでお祝いのパーティーをしようという話になった。 勿論、彼女もその祝いに参加するつもりだ。 もうすっかり、彼女もこの村になじんでいる。

 薪の数を増やして普段するものよりもずっと大きい焚火をあげ、木の実を集めたり酒の用意をしたり村中の小屋を飾り付けるなどして今夜のパーティーに向けた準備をしていた。


 「こういう経験は、エルジェベド?」

 「ない。 ここまでよくしてもらったことなど、ほかにはない」


 彼女もろくに力仕事ができないということで、スープやステーキなどの料理を作る担当を任されている。 これはあの日、彼女がよく小屋から出るようになってから数日後に新たに任せられた仕事の一つでもあった。


 今日は満月の日らしい。 心なしか、いつもよりも大きな黄金色の月が空の真上に浮かんでいる。 あたり一面の星もそれに負けじと輝かしく光を放っており、今日という日にふさわしい。

 皆は食べ、飲み、歌いの大騒ぎ。 中には小石や木の枝を使ったゲームをする者や、地面に描いた大きな円の中で力比べをする者など、いろいろな変わった楽しみ方をする者達も多くいた。

 エルジェベドはというと、次から次へと破竹の勢いで食いつくされていく料理を新たに作るので必死だった。 とはいえそのお祭り騒ぎに参加していないというわけでもなく、たまにこの村でできた友に仕事を任せて皆と談笑したりもしていた。


 「しかし、お前が小屋からよく出てくるようになりたての頃はほんとあれだったよな……失礼なことばっかり言ってきて」

 「そうだったかなぁ、あまり記憶にない……」

 「いやいや、案外野蛮ってわけじゃないんだなーとか、なんだか襲われそうで怖いなーとか、いろいろ言ってきてたじゃん」

 「それを言うならそっちだって、私の血は吸わないでーとか、目が怖いとか、同じぐらい言ってきていたはずだが?」


 ……なんだかあまり穏やかではない内容の話だが、彼女らの表情を見るに、単なるジョークの一環として述べているだけのようだ。 その言葉に深く傷つく者こそおらず、むしろ笑いさえ起こっている。 これも、彼女がこの村の一員として真に認められ、皆と仲良くなったことの証拠だろう。

 今日の夜は、いつもの何倍も長いものとなった――


 この獣人たちの村で彼らとともに暮らすのは、とても楽しく、明るく、幸せなものであった。

 しかし、彼女の胸の内には、そんな幸せとは違う感情が膨らんでいた。

 苦難を乗り越えたどり着いた幸福の絶頂からはいともたやすく叩き落され、やっとの思いで手にした安寧は小さき蝶のようにするりと手のひらから逃げていく。 それが彼女の今までの人生であり、おそらくこれからも変わらないものであるだろうと、彼女は予感していた。

 つまりは、不安――この幸せも、大切な皆も、いつ破壊されるのかと怯えなければいけないような、そんな思い。


 「ただの、杞憂であればいいのだが」


 誰にも聞こえない場所で、大きさで、彼女はそっとそう呟いた。

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