第4話 慣れているから
今日、獣人の村はいつもよりにぎやかな雰囲気に包まれていた。
というのも、今日はいつもよりも特別に狩りの成果がよかったので、前のようにまた祝いのパーティーでも開こうという話があがっていたのだ。
「そういえばエルは?」
「寝てるよ。 あっちの小屋だったかな」
「もうすぐ夜なのにね。 なんというか、ほんとに吸血鬼っぽくないというか」
村は色とりどりの飾りで彩られ、村の真ん中には今日狩ってきた獣や大量の木の実を使った料理がずらっと並び、中には楽器の手入れをしている者もいた。 皆が夜の宴に向けそれぞれのできるだけの準備をし、その時を今か今かと待ち望んでいた。
また、せっかくの宴なのにエルをほったらかしにするのはかわいそうだということで、ロボは彼女を起こしに小屋へと向かっていった。
村の皆は明るく楽しげなお祭り気分。 だが、その空気は突如として破壊されるのだった。
彼ら獣人は獣の肉体を部分的にだが持っている。 そのため、聴覚や嗅覚など、感覚器官が普通の人間の数10から数100倍ほど優れているものも多くいるのだ。
そう、彼らはその優れた感覚によって感じ取ったのだ。 その重々しい足音、木々を力いっぱいなぎ倒した時の異音、脳内物質が過剰分泌されることによる「怒り」の匂い。
つまり、ここに誰かがやってくる。 それも、常軌を逸した怒りの感情とともに。
「だ、だれ……? なんか怖いよ……」
「どうしてこんな森の奥まで……」
皆は恐怖した。
それも当然だろう。 この村にいる獣人らは、皆一度は人間たちからの差別、迫害、攻撃を受けたか、その恐ろしさを親や村の皆から聞いている。 人間が、自分たちにとっていかに危険な存在であるかを、皆は十分に知っていたのだ。
体は震え、顔は青ざめ、その場から動けなくなっている者、せめて一矢報いようと、近くにある狩りのための武器を手に取る者、いつでも逃げ出せるよう身構える者、皆とった姿勢は違えども、来訪者に対する警戒だけは誰一人として怠らなかった。
もちろんここから離れたところに位置するロボも、エルジェベドを起こす手を止め、小屋の中から人間のやってくる方向をじっと睨みつけていた。
数分ののち、その気配の正体、怒れる人間がこの場に姿を現した。
その者は、非常に体の大きな男であった。 大きなスーツに身を包み、背中に掲げた銀色に光る巨大な戦斧が特に目を引く。
そして、その男はこちらを——この村を見渡すなり、口を開く。
「こんなところにいたのか、獣人どもめ……」
「ど、どうして、こんなところまで――」
誰かが、村の誰かがそう小さな声でつぶやくように言った。
あの大男は、それを聞き逃さなかった。 目の前全てを叩き潰すような大声で、それらをかき消すように怒鳴り散らす。
「寝ぼけたことを言ってんじゃねえ! お前らか、あの村を襲った盗賊団ってのは!」
盗賊団――この村にいる誰もが、知らないことだった。
皆は恐怖で青ざめたまま首を傾げたり、互いに顔を見合わせたり、小声で話し合ったりしたが、そのような者がいるなど誰も知らなかった。
そもそも、ここはかなり深い森の中だ。 どこか遠くへ旅に出て、そこで盗賊行為を行い、またここへ帰ってくるなどあまりにも非効率的、普通に考えてそんなことやるわけがなかった。
だが大男は頭に血が上ってしまっているからか、そのことに気が付かない。 目の前にいる大量の獣人を見て、正常な思考ができていないようで、またも耳が割れるほどの大声で叫ぶ。
「とぼけやがって……! お前らがあの村を……何もかも盗んで、こんなとこでぬくぬくと暮らしやがって、獣人どものくせに……よくも、よくも……」
その声は次第に小さく薄れていき、やがて、蚊の鳴くような音へと変わっていった。
男は俯き、粗い呼吸をし、血走った眼をさっきからずっとこちらへ向けていた。
次の瞬間、鈍い音が聞こえた。 それと同時に、真っ赤な水しぶきがあたりに飛び散った。
「……え、あ、あぁ?」
「っ! そ、そんな……!」
男は怒りのままに、目の前の自分に最も近い所に位置する獣人を、その戦斧で叩き切った。
ものの一撃で、真っ二つ。 切られた者ははじめ、自分の下半身の感覚が一瞬にして無くなったことを受け入れられず、完全に思考が止まっていた。
だがそれも、耐え難い激痛、不快なんてものではない感覚、目の前の景色によって、否が応でも自覚させられる。
「あ、あぁ、え?…………痛っ、い……あ、う、嘘、だ。 そんな……」
声にもならない恐怖、自身の死を前に、彼は何も言葉にすることもできず息絶えた。
「なっ……! てめぇ、何しやがる!」
「よくも俺らの仲間を!」
苦楽を共にしてきた仲間の死、そして目の前にいる元凶を見て、武器を手にしていた者たちはたまらず飛び出し、その男に振りかかった。 こちらも怒りのまま、なんとしてでも仇をとろうと全力をもって襲い掛かった。
しかし、彼らの抵抗は無駄に終わった。 その男は、皆が思うよりも強かったのだ。
男に立ち向かった者は、次々に殺された。 武器は砕かれ、手足は折られ、その手に持つ大斧でばらばらに裂かれていった。
自らに楯突く者らを片っ端から死体に変えていったその大男は、怒りも冷めやらぬ様子で近くに転がる獣人だったものの頭を踏み潰す。 ごりっ、ぐちゃあっと、不快感を催す異音が鳴り響いた。
そして、あたりにいる恐怖で指一本も動かない獣人らを前に、大声で宣言した。
「こうなったら……皆殺しだぁーっ! ここにいる獣人どもは、このバンバ様の手で全員殺してやるっ!」
もう、だれにも止められなかった。 奴はその宣言通り、この村にいる獣人たちを目についた者らから殺して回った。
腰を抜かし、その場から動けぬ者、物陰に身を隠し祈る者、死というあまりの恐怖に泣き出す者、男は一切の容赦なく、それらをみな殺して回った。
当然、逃げ出す者もいた。 だが男がそんな者らを逃すわけがないのも、また当然のことであった。 奴は自らが生み出した小屋や木の瓦礫をそのような者らに投げつけ、モズのはやにえのように木々に磔にした。 そして、ほかの者らと同じように斧で頭をたたき割った。
一通り暴れた後、男は多少は落ち着いたのか一息ついてあたりを見渡す。
すでにここには生きている獣人は誰もおらず、あたりにはバラバラになった手や足、体の一部、大量の血、そして粉々になった木片や引き裂かれた布などが散乱していた。
「もう残っちゃいねぇか……いや、まだいた!」
奴は顔を上げ、一点を睨む。 そこはこの村の奥の、より深くなっている森の入り口だ。
「あっちの方に一匹、逃げやがったのを俺は見逃してねぇ!」
男の体が、再び怒りによって高温と化した。
奴は手に持つ斧を構えなおすと、すさまじい勢いのままにその森へと入っていった。
真っ暗な夜、真っ黒な森の中。
ロボは、全速力で走っていた。
その肩にはエルジェベドを抱え、彼は必死になってできる限りあの村から遠いところへ逃げようと全力だった。
彼は、あの村の中で最も耳がよかった。 だから、もうすでに村の皆が殺されたことは分かっていた。 皆の悲鳴、断末魔の叫びを、彼はひとかけらも聞き逃さなかったのだ。
そしてその耳は——何者かがこちらへと接近してきていることさえも、彼に伝えてきた。 あの大男だ。 おそらく追いつかれれば、命はないだろう。
「ん、うぅ……だいぶ寝てしまったな」
このタイミングで、ようやくエルジェベドが目を覚ました。 緊急時だというのに、ずいぶんとのんきな声をあげる彼女に対して、ロボはわずかに苛立ちを覚えた。
「だいぶじゃねぇ! お前今どういう状況か分かって——」
「分かるぞ。 あの村が人間にでも壊されたんだろう」
「——え?」
「皆は、もう……残るは私とお前だけってところか?」
その苛立ちは、すべて困惑へと変わった。
さっきまで気持ちよさそうに寝ていたというのにこの状況を的確に言い当て、かつその状況を理解しているにもかかわらずあまりにも冷静すぎる。 声のトーンも普段の彼女のダウナーなそれと一切変化がない。
「……っ! ああ! みんな殺された!」
「そうか。 それで、その村を襲ってきた人間は?」
「こっちを追いかけてきてる!」
この間、ロボは一切速度を落とすことなく、また後ろを振り返ることすらしなかった。 彼の優れた聴覚で後方を確かめることもできる、彼女の抱え方から今エルジェベドは後ろを向いているため様子を聞くこともできる、だがロボはそれをしなかった。 怖かったのだ。
どうすればこの場を切り抜けられるのかもわからない、恐怖でメンタルがおかしくなりそうなロボの背後から、いつものような彼女の声が聞こえる。
「ロボ、このちかくに大きな川があったよな?」
「それが、どうか、したのか!」
「そっちまで行ってほしい。 私にいい考えがある」
多分、彼女は今まで幾度となくこういう状況を切り抜けてきているのだろう。 おそらくは奴を退けるか、逃げ延びる方法があるに違いない。
ロボはエルジェベドの言うとおり、わずかに進路を傾け川の方へと向かった。 そして、次の彼女の指示通り川の上流を目指して走る。
彼女は川を目にするや否や、私が『今だ』と言ったら川を飛び越え向こう岸まで行け、と言ってきた。
その指示の意図はわからない。 考える余裕もない。 今はただ、がむしゃらに上流をめがけて逃げるのみだった。
川の流れは上流へ行くほどにその勢いを増す。 ロボの耳に激しい流れの音が無理やり飛び込んでくる。
地面の傾斜も奥へ奥へと進んでいくほどに急になっていき、体力の限界も近くなってきた。
「エル! まだか!」
「もう少し」
「こっちはもう――これ以上は……」
「——今だ!」
その声とほぼ同じタイミングに、ロボは持てる力を尽くして対岸へと飛び上がった。 ぎりぎりではあったが、彼は何とかたどり着くことができた。
対岸へ着くとエルジェベドはすぐさま彼の肩から降り、あたりを見渡して近くにあった大岩の陰に隠れた。 すでにへとへとになったロボも、彼女に倣ってその大岩のもとへと向かう。
大男がこの場に来るまでのわずかな間、二人は小さな声で話し合っていた。 とはいっても、それはエルジェベドからロボへの、最後の支持であった。
「——いけるか?」
「それぐらいなら、まだいける」
大男の姿が見えた。
奴はエルジェベドらがどこに隠れてたかも見ていたようで、ただならぬ殺気を帯びたまま勢い良く川に飛び込み、こちら側へと向かってきた。
ばざんばざんと激しい水しぶきをあげながら、激しい流れを力いっぱいかき分け、一歩一歩確実に進んでき―—
「もう、もうお前らの命も――おぁっ!?」
足を滑らせ、川のど真ん中で勢いよく転んだ。 巨体が、川に大穴を開けながら底へと沈んでいく。
その時、それと同時にロボが立ち上がった。
彼は身を隠していた大岩を持ち上げると、そのまま川の方へと向かって駆け寄り、手にした岩を、川底へ——大男の頭上めがけて投げ下した。
手ごたえはあった。 岩は確実に、バランスを崩した男の脳天に激突した。
数秒後、川底に沈んだ大岩の下から、一筋の太く赤い筋が伸びていった……
ロボは、その光景を呆然と眺めていた。 両の目は大きく見開かれ、全身の支えを失ったように膝から崩れ落ちた。
エルジェベドは一言も発さず、そこにいるロボの隣に近寄る。
「……大丈夫か?」
返事は返ってこない。 予想していたことではあるが。
エルジェベドは、彼のすぐ隣まで来た。 横にいる彼の顔は見ず、そっとしゃがみ込んで顔の高さを合わせる。
「村を襲ってきたあいつは、死んだ。 もう何も心配することは——」
突然、ロボが動き出した。
すぐ隣にいるエルジェベドにつかみかかり、その勢いのまま地面に押し倒し馬乗りになった。
そのまま押しつぶしてしまいそうなほどに、彼の手に力がこもる。 だが、その手は震えを抑えられずにもいた。
「どうして……っ! どうしてお前は! そんなにも冷静でいられるんだよ!」
「……」
「村の皆が死んだ! あいつに殺されたんだぞ! 何もかもめちゃくちゃにされて、俺らも殺されそうになって! なのに、なのになんでお前は……っ!」
ごすっ、という音が響いた。 怒りのあまり、無意識に手が出てしまっていたのだ。
彼女は一切の抵抗を見せなかった。 表情を歪めることもなく、まっすぐ彼の方を見つめながら、すべての暴力を受け入れた。
次第に彼の目には涙が浮かび、彼女を拘束する手も、彼女を殴る手も弱々しくなっていく。 エルジェベドはそんな手をそっとおさえ、できる限り優しく告げた。
「——慣れているから、かな」
「え……?」
「つらい目に遭うのも、優しくしてくれた者が殺されるのも、何もかも壊され、奪われるのも……もう、慣れてるんだ。 慣れてしまったんだ」
ロボは、それ以上彼女に何も言えなかった。
冷たくぼんやりと輝く月が、彼女らをずっと照らしていた……
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