第28話 ジャック


 遠くから、轟音が響き、大地が少し揺れるのを感じる。あの方向は……。



「今の爆発音と魔力……、アリシアのやつ、勝ったのか」



 意外……とは言わないが、少し驚く。

 アリシアのレベルであれば、悪魔の残滓で魔人化したやつの配下……最低級の魔人であれば、なんとか勝てるとは思っていたが、予想よりもだいぶ早いな。



『よそ見……ですか』


「ん? ああ、すまなかったな」



 演習場へ向けていた視線を、目の前にいる魔人へと向け直す。

 研究室を出て、少し人気のないところへ行った途端、まんまと釣れたな。



「少し、意外だな」


『……何がですか?』


「俺相手に、たった1人しか寄越さないことだよ」



 魔力の気配的に、魔人は4人。

 そして、悪魔の魔力に適合できず、魔人にすらなれず、人間にも戻れない、生きた屍のような存在……魔人のなり損ない――偽魔人デミデビルたちが、ウヨウヨといる。

 なのに、目の前の魔人が、偽魔人デミデビルすら連れず1人でいるのが少し不思議だった。



『貴方を相手にするのに、人数など意味はない……でしょう?』


「ほう、随分と俺のことを買っているんだな」


『……魔人の体になって、ようやく、貴方の魔力の底知れなさがわかりましたよ』



 魔人は、震える腕を、もう片方の手で掴みながら抑える。

 へぇ……魔人化したとはいえ、俺の力の一端を理解できるとは、中々の慧眼けいがんだな。



「なら、自首を勧めるぞ? 今なら、まだ間に合うだろう」


『自首……ですか』



 俺の言葉を聞き、魔人は遠い目をして、フッと苦情を漏らす。

 その表情は、異形と化しているものの、どこか、悲しげなものを感じる。



『残念ですが、お断りします』


「……なぜ、と、聞いておこうか?」


『私たちは、フィルゼ様に忠誠を誓っている。理由はそれで充分です』



 フィルゼに……か。



「やはり、主犯はフィルゼだったんだな」


『おや? 驚かないのですね』


「まあ、察しはついていたよ。……昨日、時計台で遭遇した黒い影は、お前だろ?」



 黒い、悪魔の魔力の中に、薄らと感じた魔力。

 一晩寝て、どこかで感じたことがあると考えているうちに、フィルゼの取り巻きの中に、似た性質の魔力を持っているやつがいたことを思い出したんだ。



『フフ、全部気付いていたんですね……』


「さあ、もう話はいいだろう? フィルゼの元に行かせてもらうぞ」


『そうは、させません』



 俺の発言に、警戒心を露わにする魔人。

 そして、持っていた槍を構え、臨戦体制に入る。



「だろうな。けど、通らせてもらう」


『ここを通りたければ、私を倒してからにしてください』



 槍を握る力が強まり、構えも、1段階深くなる。

 その目には、決して通してなるものか、という覚悟が映る。



「……いい眼だ。名前を聞いておこうか」


『……そういえば、名乗っていませんでしたね。私の名は、ジャックです』


「そうか……。ジャック、お前の覚悟に免じて、相手をしてやろう」



 ……本当は、この男は無視して、さっさとフィルゼのところに行って、この騒動を終わらせようと思ったんだがな……。

 どうも、ああいう、真っ直ぐな目をしたやつには弱いな。



『……貴方の実力なら、私を振り切ることはできたでしょう。……感謝します』


「……さあ、どこからでも来い」


『フィルゼ様の第1の臣下の力……とくとご覧あれ』



 さて、このジャックという男の覚悟。どこまでのものか、見定めさせてもらおう。




           *





「な、なによ、この魔力……」



 演習場を出て、ルーネスたちを探していたら、時計台の方からドス黒い魔力を感じて、ここまで来てしまった。



「これが……魔人の魔力?」



 ライグの時とは、格が違う。

 そのドス黒い魔力は、時計台が魔王の城のように見えるほどの、巨大で、禍々しいものだった。



「たしか、フィルゼから力を分け与えられた、って言ってたわよね……」



 それなら、ライグよりも強いこの魔力は……。



「この上に、フィルゼがいるって言うの……?」



 アタシが、あまりのオーラに恐怖を感じていると、時計台の入り口の扉が音を立てて開く。

 開いた扉からは、フラフラとした様子で、ブラックの制服を着た生徒が出てくる。



「ハァ……ハァ……、そ、外だ……」


「も、もしかして、攫われた人?」


「ひ、人だ……っ! よかった、た、助けてく……」



 助けを求め、手を伸ばしたところで、扉から現れた黒い影に、その生徒は捕まってしまう。



「あぁ……!? ぐっ、ぐぐ……」


『ブ、ブ、ブラックの、せ、生徒ごと、ごトキがぁ……わ、私の手を、煩わせる……ナ!』


「ぁ……ぁぁぁ」



 先程まで、褐色の良かった生徒の肌が、萎れていくようにドンドンと青ざめていく。

 数秒ほど経ち、生徒の体が干からび、声も上げられないくらい衰弱した頃、黒い影は、もういいと言わんばかりに、痩せ細った生徒を放り投げる。



『チッ……や、ヤハリ、平民ごときの、ま、魔力では、た、た、たいシた、足しにはならん、か』


「そ、その声……。も、もしかして、フィルゼ、なの?」



 プレッシャーに気圧されながらも、恐る恐る黒い影に声をかける。

 すると、黒い影はこちらに気付き、舐めるようにこちらを凝視する。



『あ、あ、ああ……、あ、アーガネット、君、か』



 辿々しいながらも、言葉を紡ぐ姿は、もはや魔人というよりも、人の言葉を真似した、バケモノのそれだった。

 黒い影――フィルゼは、大きく深呼吸をし、少し平成を取り戻したのか、黒い影が収まり、ホワイトの制服に身を包んだ、いつものフィルゼの姿が露わになった。



「ふぅ……、やあ、ごきげんよう。アーガネットくん」


「ッ……!」



 いつもの様子に戻ったはずなのに、寒気がする。

 バケモノが、人間のガワを取り繕ったかのような、違和感のある気色悪さ。



「まあ、なんだね。少し話そうじゃないか」


「わ、悪いけど、遠慮したいところね」


「少し、話そうじゃないか?」



 笑顔は変わらないが、語気が強まる。

 アタシの拒絶を聞き入れる気はない、ということね。

 今すぐにでも逃げ出したいところだけど、この脚の状態だと、すぐ追い付かれて終わる……か。



「……わかったわよ」


「そうか! それは良かった! まあ、こんなところで話すのもなんだ、屋上にでも行こうじゃないか!」



 アタシの返事を聞き、わざとらしいくらいの笑顔になる。

 時計台の中に入るように手招きしているが、正直、入りたくなんてない。

 けど、拒絶すれば、今すぐにでも攻撃される。



「悪いけど、見ての通り脚が痛いのよ。少し時間がかかるわよ」


「ああ、それぐらいいいさ。私は気が長いのだよ」



 どこが……と、出かけた言葉を抑えながら、ゆっくりと歩く。



(逃げ出すのは不可能……なら、ルーネスが来るまでの間、時間を稼がなくちゃ)



 そのためには、まず、屋上に着くまで、少しでもゆっくり歩く。

 脚は痛むけど、そんなこと言ってる場合じゃない。



(ルーネス……早く来なさいよね……)



 入り口をくぐり、重い音を立て、ゆっくりと扉が、閉まる。

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