第4話 『俺』



 い、今。なんて言ったんだ?

 主? 誰が? 僕が? なんで?



『ワタクシ、この千年間を、どれほどお待ちしたか……』



 僕の動揺に構わず、フェンリルは喋り続ける。

 その瞳は、哀愁を帯び、思いふけるように空を見上げている。



『あれから、色々なことがありました……いえ、主がいない時間など、何も無いと同じですね』


「あ、あの……」


『はい! 千年ぶりのご命令ですか!?』



 直前までが嘘のように、瞳を爛々と輝かせ、尻尾をブンブンと振るフェンリル。

 こ、これが伝説の霊獣……?



「ぼ、僕のことを、ご、ご存知なのでしょうか?」


『はい? なにを今更――ん?』



 もう一度伏せの体制に入り、僕のことをマジマジと見つめ、ハッとした顔をする。



『なるほど。記憶がまだ戻っていないのですね』


「き、記憶……?」


『失礼します』



 そう言い、僕の頭上にその巨大な右脚をかざす。

 一歩違えば、僕のことなんて肉塊に変えれるそれに、また腰を抜かしそうになるが、少し慣れてきたのか、膝がガクブルするだけで済んでいる。



「くっ!? あ、あががががががが!!!?」



 突如、全身に、煮えたぎったような激痛が走る。

 あまりの痛みに立つどころか座ることもできず、地面をのたうち回る。



――長かったこの戦争も、もう終わりか。


――ん? この後?


――ああ、考えたこともなかったな。


――そうだな、もうこの時代に未練もないし……


――『未来』を、見てみたいな。



「――っ! ハァ! ハァ! ……ハァ……ふぅ」



 激痛が徐々に治まり、荒い呼吸を整え、滝のように流れた汗を拭う。

 流れてきた情報の海を反芻し、やっと、理解が追いつく。



「そうだ……僕は『僕』じゃない――――『俺』だ」


『どうやら、成功したようですね』



 目の前のフェンリルが、ニヤニヤする顔を抑えれないという表情でこちらを見つめ、『俺』の方に頭をやる。

 ああ、撫でて欲しいんだな。



「ああ、待たせたな。『リル』」


『改めて。お久しゅうございます。我が主』



 フェンリル――リルの頭を撫でてやると、惚けたような表情になり、地面に転がり、腹ばいになる。



「よし、千年ぶりの褒美だ。しっかり受け取れ!」


『わふん!!』



 その巨大な腹へと飛び込み、全身を使って撫で回す。

 あいも変わらず、見事な毛並み、見事なもふもふ加減だ。



 さて、情報を整理しよう。


 千年前、ある大戦が終結した後、俺はとある禁術を開発した。

 それが『転生魔術』だ。

 この術は発動したら、名前の通り、自身の魂を転生させる。

 肉体も、魂をも、自分自身を再構築する。


 そして、ルーネス•キャネットと俺は完全に融合した……というか、元々、ルーネス•キャネットとは『俺』だ。

 俺が記憶喪失になっていた。という方が表現が近いか。

 転生魔術の発動になんらかのミスがあったのか、元々のデメリットなのか、この15年間。『俺』の記憶がないまま過ごしていた。


 それが今、リルの魔力に反応し目覚めた、というわけだ。

 まあ、初めて使う魔術、それも千年という期間……なにが起こっても不思議ではないとはいえ、15年も記憶が戻らないとはな。



『わふぅ……わふぅ……』



 む、思考を巡らせているうちに、リルが悶え死にそうになっているな。

 名残惜しいが、ここら辺にしとかないとな。



『くぅ〜ん……』



 そんな顔をするな……俺だって無限にモフっていたいんだぞ。



「それにしても……よく、俺のことがわかったな」


『もちろんです! 主の魔力は前々から感じておりました! 今日は、人間たちの多い場所から離れていたので、近づいてみました!』



 なるほど……たしかに、俺は基本的に王都から出なかった。ひ弱な自分では、出た瞬間に死んでしまうことが明白だったからだ。



「なるほど……リルがいたから、格の低いモンスターたちが、森の表層まで逃げていたのか」


「む? そうなのですか? 気づきませんでした」


「おかげで、死にかけたぞ」



 俺の言葉に反応し、申し訳なさそうに、スリスリと顔を寄せるが、今度は軽く撫でるだけにしておく。

 今はまだ、色々と整理しなくてはいけないことが多い。



「さて、これからどうするか……」



 このまま学院組と合流してもいいが、千と15年ぶりなんだ、どこかで肩慣らしくらいしておきたいものだが……。



「お、この魔力……。近くにちょうど良さそうなのがいるな」



 記憶が戻ってから初めて気付いたが、そう遠くない位置に、他と比べ、少し魔力が多い気配がある。

 まあ、多いと言っても、他の獣に比べ、だ。

 リルの足元にも及ばないレベルだろう。



『ああ、アレですか。なにも主が手を煩わせるまでもありません。ワタクシが行きましょう』


「いや、いい。記憶が戻ったばかりで、まだ魔力が寝ぼけている。肩慣らしにちょうどいい」


『なるほど。出過ぎた発言でした、お許しを』



 そう言い、シュンとなるリル。

 千年ぶりの再会で、せっかくの出番かと思ったんだろう。少し申し訳ないな。



「そう落ち込むな。……そうだ、アレのいる場所まで運んでくれないか?」


『は、はい! もちろんです!』



 尻尾をブンブンと振る様子は、フェンリルというよりも、もはや子犬だな。

 喜ぶリルの背に乗り、ソッと撫でる。



「さあ、千年ぶりの初陣と行こうか!」


『バウっ!!』



 声をあげ、一気に駆け出し、周りの木々を薙ぎ倒し、一直線へと魔力の主の元へと向かう。

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