第22話 ラビカン石ー2
ユング家に帰った俺は、もう一度変身させられることになる。マイカが『全体の感じが見たい』と言うのだ。
戻る時のあの痛みを思うと腰が引けるのだが、やると決めてしまったことなので仕方がない。
マイカの部屋で変身した俺は、なすすべも無くマイカにされるまま、アルマンディン公爵家から送られてきたドレスを身につける。しかし、ドレスを着る前に下着やコルセットなど、こんなにたくさん面倒なものを着けなければならないんだと驚いた。
マイカが用意してくれた
「…きれい。とっても綺麗だわ…お兄様と思えないくらい」
本当に鏡の中の自分は、綺麗だった。自分とは思えないくらいに。
その支度のまま、『貴族令嬢のマナー』をマイカに叩き込まれる。流れるような動作で
「う〜ん、姿勢は良いんだけど、ちょっと前のめりになっているわね。もっと胸を張って、顎を引いて!」
いつものように歩こうとすると、ドレスの裾を踏んでしまう。歩幅も調整せねば…他にも、笑う時は口元に手を添えるとか、細かいことがてんこ盛りで、つくづく女性は大変だなと思う。
「…ちょっと用意した靴が大きすぎたので、明日別のものを持って参りますわ」
マイカはそう言って、俺は真夜中過ぎにやっと解放された。
それから三日ほど、俺とマイカは昼間は普通に過ごし、夕食後にマイカの部屋で“淑女教育”を続けた。三日目に、流石に父上が俺たちの行動に不審感を抱いているのに気付き、どう言い訳したものかと思ったが、俺は本当のことを話すことにした。
どんな上手い言い訳も嘘も、バレてしまえば取り返しがつかないものだ。
父上は俺の話をじっくり聞いてくれて、最後に『それは、本当にやる意味があることなのか』と尋ねた。俺は『やる意味があるかどうかはわからないが、どうしてもやってみたいのだ』と答えた。
父上は『仕方がないねぇ』と言って、条件付きで承諾してくれた。
俺が『通信石』で毎日必ず連絡をすること、身に危険が迫ったら迷わず逃げること、この二つを約束して俺は潜入を許された。
ハックが事前に娼館側に、“ワケありの遠縁の令嬢を
娼館の近くに宿を取り、ハックと待ち合わせる。ハックの妹のライナ嬢がどうしても俺の姿が見たいと言うので、チェック係として来てもらった。
俺は部屋でジェイドから借りたペンダントを首から下げた。
変身して着替えると、ハックとライナ嬢を呼ぶ。ハックが俺を見て動きを止めた。
「あら〜、とっても素敵ですわ、オリヴィア様。ねえ、お兄様?」
“オリヴィア”と言う名前が、女装した時の俺の名前らしい。
ハックは俺の顔をまじまじと見て、
「おまえ、ずっとそのままでいない?」と言った。
「変なことを仰らないでください。ハーキマー様」と俺が返すと、
「このままなら、嫁にしたいぜ」
と嬉しそうにする。
「はいはい、お兄様。お
ライナ嬢が制すと、ハックは少し残念そうな顔で俺を見る。
「お化粧はご自分でできますわよね?特訓の成果を見せてくださいませ」
ライナ嬢に促されて、俺はマイカに教わったやり方で、
最後に
「おまえ、本当に女だな…」
とハックが呟く。
ライナ嬢が、顔が隠れるようにと黒い
ライナ嬢は宿屋に待たせて後でハックが連れ帰ることとし、俺ことオリヴィア嬢とハックは娼館に向かった。
俺は『水晶占いができる』という触れ込みなので、工房の厳重管理のコレクションルームから、水晶玉を持ち出してバッグに入れて来た。
何故、水晶玉が厳重管理の方に入れてあったかと言うと、父上と俺が見ると、いつも
他には少しの着替えと化粧道具、『真実の石』だ。
* * *
『
営業前の娼館は、まだ女たちものんびりしている。ゆっくり休息を取る者、食事をする者、常連客に文を書く者、
帽子を
大きな机が置いてあり、丁度昨晩の売り上げのチェックをしていたらしい。
ハックについて部屋に入っていくと、マダムが顔を上げた。
(あれ、なんかこの前と様子が違う?)
先日の凄まじいまでの迫力と
なるほど、今はラビカン石を着けていないのだ。
「マダム、すまないねぇ、こんなことをお願いして。この
俺は促されて前に出た。マダムは俺を上から下まで品定めするように見ると、
「あら。う〜ん、それ取ってもらって良いかしら?」
と、ヴェールを指差す。俺はゆっくりとヴェールを取った。
「まあ、上玉じゃないの。あら、失礼、遠縁のお嬢様だったわね」
どうもハックの話を信じていないようだ。
「マダム、頼むから客は取らせないでくれよ。俺の大事な
「わかっておりますわ、アルマンディン様。お
俺はこのやりとりを聞いて、どんなふうに話が通っているのか察した。俺の立場は、ハックが気に入って隠しておきたい没落貴族の娘、ってとこか?
「この
「そうですの?私も占っていただこうかしら」
こちらにお鉢が回って来た。
「あ、あの、占っても良いのですが、良い結果とは限りません。それでもよろしいですか?」
この娘、何を言っているのかしら、と言う顔で見られたが、あの水晶玉は本当に怖いのだ。
「いいわ、やって
「そこのティーテーブルをお借りしても?」
「どうぞ」
俺は、持っていた鞄から、黒い布に包まれた水晶玉を持ち出した。
ティーテーブルの上に、包んでいた黒い布で支えるように水晶玉を据える。
マダムから左目が見えないように顔の位置に気をつけながら、久しぶりに水晶玉を覗き込んだ。
「それでは見させて戴きます」
俺は、頭の中にマダムを想像して集中する。
水晶玉の中にゆらりと
左目の中に赤毛の少女が映った。荒れた屋敷の中で少女が泣いている。
誰か人影が現れ、少女を連れ去る。次に暗い部屋が映る。暗い部屋の中に小さな机と椅子があり、少女が一人で質素な食事をしている。
「何か見えるの?」と声を掛けられ、はっと現実に戻る。
「あ、赤い髪の小さな女の子が見えました…」
マダムの表情が変わる。
「それで、…その子は何をしているの?」
「暗い部屋で、一人で食事をしてました」
「わかった、もういいわ。タルノウィッツ!この娘を部屋に案内して」
俺は水晶玉を、布に包み直して鞄に戻す。
「アルマンディン様、確かにお預かり致しますわ。毎日のようにご様子を見に来てくださいませね」
俺はハックと共に部屋から出てタルノウィッツという男に付いていく。
別れ際にハックが俺を引き寄せると、頬に“チュッ”とキスをした。
(なぁにするんだオマエは!後で覚えてろぉ〜!)
と思ったが『頑張れよ』と囁かれて、悪戯っぽい目を向けられた。
狭いが個室を与えられて、少しホッとする。しばらくすると“コンコン”とドアがノックされ、返事をすると若い女が入って来た。
「あなたハーキマー様の彼女なんですって?いいな、
「いえ、彼女と言うわけでは…」
「私ね、アナターゼ。アナって呼んで」
「私、オリヴィアと申します」
「ここは
アナはそう言ってにっこりした。
「ありがとう、アナ」
「今のうちに、食事しましょう。皆んなにも紹介するわ」
一番広い客席のところに3〜4人の女が座って食事をしていた。
アナが紹介してくれる。
「新入りよ。オリヴィアっていうの」
「オリヴィアです。よろしくお願いいたします」
思わず
「いいのよ、そんな丁寧なお辞儀しなくても…。私はエメリーよ。よろしくね」
一番
「私、サーラよ。こっちの子はカオリ。無口なのよ」
アナが皿に盛った惣菜とパンを持って来てくれ、食べ始める。
「急がないと、早いお客が来ちゃうわ」
皆急いで食事を済ますと、
今はまだ明るいので、窓に掛かった分厚いカーテンも開かれているが、夜となると別の表情になる。
カーテンが
先ほどタルノウィッツと呼ばれていた男が、小さな丸いテーブルを持ってやって来た。フロアの奥に小さな舞台のようなものがある。そこにそのテーブルと小さな腰掛けを持って来て置いた。タルノウィッツは、
「オリヴィア、ここがあなたの席です。水晶玉を持って来てください」
と言った。俺は部屋に水晶玉を取りに行った。
部屋に戻って俺も支度をすることにした。スカートを
仕事の前に万が一の時のため、いろいろ確認をしておきたい。
俺が水晶玉を持って、ウロウロしているとアナが出て来て案内してくれる。
「そうそう、案内していなかったわね。まずそこの奥がお手洗いよ。奥はマダムの部屋、これは知ってるわね。手前がクロークで、階段を登ったら個室。金額によって広さが違うわ。奥に向かって広い部屋になっているの。階段を降りると、厨房があるわ。その下は倉庫。お酒が置いてあるの」
「裏口はあるのですか?」
「厨房から裏に続く階段があるけど、どうして?」
「前に火事あったことがあるので、必ず確認するようにしています」
「そうなの。大変だったのね…」
「アナーッ!お客様よ。ご指名」
「はぁい!今行きます!」
アナは元気よく戻って行った。
階段を降りて厨房を覗くと、40代くらいの女が二人と、もう少し年上らしい男が料理の仕込みをしていた。
「あんた、新入りかい?」太って貫禄のある方の女に呼び止められる。
「はい、オリヴィアと申します。今日からです。よろしくお願いいたします」
「そうかい。あんた育ちが良さそうだねえ。訳ありかい?」
「聞かないでやんなよ。ここに来るのはみんな訳ありさ」
と、太った方の女に言った。
不意に『オリヴィア』と後ろから呼ばれる。タルノウィッツが立っていた。
「占いをご希望のお客様だ。用意して」
「ハイッ」緊張して思わず声が大きくなる。
初めてのお客は、裕福そうな商人だった。傍にカオリが付いていることから、彼女の客なのだろう。
俺は
“カラン、カラン”と鐘が鳴っている。白いドレスを着た女の手を取って、商人が笑っている。
俺は初めてこの水晶で、幸せそうに映る人間を見た。
「おめでとうございます。何か良いことがあるようですよ」
そう言って商人の顔を見ると、それは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「そうかそうか。では、これはもう打ち明けなければなるまいな」
そう言うと商人は、俺にチップを弾んでくれて、カオリの手を取ると二階の部屋に消えて行った。
「私も見てくだされ!」「いや、次は私だ!」と俺は大人気になった。
そんな感じで一夜が過ぎ、夜明けを告げる一番鶏の声が遠くに聞こえる。
(ふぁ〜、眠い。夜通し起きてるのも大変だな)
軽く残り物で腹ごしらえして、部屋に戻ろうとすると呼び止められた。
マダムが部屋の向こうで呼んでいる。
部屋に呼ばれて、椅子を
「今日、あなたに最初に占ってもらったお客様がね、カオリを身請けしたいって言って来たのよ。あなた、カオリに何か聞いていたの?」
「いいえ、カオリさんには何も聞いてません。そんな話とは、知りませんでした。私はただ水晶玉に映ったことをお話ししただけです」
「水晶玉?そんなものに何が映ったって言うの?」
「あの商人が、幸せそうに誰かと結婚する姿、でしょうか…」
「本当にそんなものが見えたって言うの?信じられないわ」
「本当に見えるし、聞こえるんです。あなたのことも見えました。お小さい頃に孤児になられたのではありませんか?」
「何故私のことを知っているの?あなた、何者なの⁉︎」
「いえ、落ち着いてください。本当に水晶に映ったことをお話ししただけなんです」
「嘘おっしゃい!そんなことを信じられるとでも⁉︎」
椅子を蹴ってマダムが立ち上がる。こうなったら仕方がない…
「マダム!私の目は魔眼なのです」
マダムの動きが止まった。
「ま・が・ん?」
「もし、信じられないならお試しください。あなたのラビカン石のネックレスを見れば、私の左目が金色に輝くのが見えますよ」
「何故ネックレスのことを知っているの⁉︎」
マダムは奥の金庫から、箱を出して持って来た。箱を開けると、あのラビカン石のネックレスがあった。俺はすかさずそれを手に取った。
左目が金の輪に光る。そして石が俺に、どうやってここまで辿り着いたかを
見せてくれた。まず、デュモン卿の顔が浮かび、そして俺の顔、ボラ爺、あの審問官、それからここへ。間違いなく俺がデュモン卿から買ったラビカン石だった。
ネックレスを見つめるマダムの顔が紅潮して来た。これはマズイ、慌てて箱にしまう。
俺は机の上にあった水差しからコップに水を注いで、マダムの口元に持っていく。ハァ〜っとマダムが息を吐き出したところで、俺は追い討ちを掛ける。
「この石は、盗品です。この店に来ている
「確かに、私はその方から石を買ったわ。でもまさか、盗品だなんて…」
「ご存知なかったのですね」
「我が家はあの男にあらぬ疑いをかけられ、財産を没収されたのです。
俺はちょっと、
「そう…だったのですか…」
と呟いた。俺はさらに畳み掛けた。
「家や家族を失った女がどうやって生きていくか、あなたが一番ご存じなのでは?」
マダムは
「あなたは、あの男の悪事を暴くためにここへ来たのね。わかりました、協力しましょう」
「ありがとうございます!」
俺は最大の味方を手に入れた。
部屋に戻って『ハァ〜ッ』と息を吐き出した。初日にしては上出来なのではないだろうか?
時間は早いが今日の報告をするため、『通信リング』のベゼルを合わせた。
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