第19話 ゴンドラ・デート

 冬の間、俺は仕事に没頭ぼっとうすることにした。

 国王陛下から勲章とは別に報奨ほうしょうも与えられたので、我が家の財政的には困ることはないのだが、失ってしまった宝石や魔石は替えがない。


 幸いなことに『通信石』は用意があるので、この際これを世に広めることにした。父上にお願いして、まず国王陛下に献上してもらった。それから交流のある貴族のお歴々れきれきに献上すると、あとはもう向こうからやって来る。


 ある日、この国でも指折りの貿易商がやって来て、大量に作って欲しいと言う。うちは手作りで宝飾品を一個一個丁寧に製作するのが本業なので、大量生産は無理だと言うと、それなら使用料を払うから製法を教えて欲しいと言う。


 いずれそういう話は来るだろうと想定していたので、正式な公証人を立てて、特許パテント契約にすることにした。

 その際、特許パテント料の50パーセントはデュモン卿に入るようにした。元々、ジェイドが思いついてくれなかったら完成していなかったのだから。

 最初デュモン卿は辞退したが、『ジェイドの未来のために』と言うと納得してくれた。正式書類に署名してもらう時、卿は

「まさかこんな大ごとになるとはな…。礼を言わねばなるまいな」

 と俺の手をがっしり握った。

「礼なら、妹に言ってください。妹の思いつきで実現したので」

 そう返すと、笑っていた。


 この際、ジェイドのことを工房の皆にも打ち明けることにした。

 いつまでも黙っているのは心苦しい。


 工房の皆は大抵の魔石は見慣れているので、そうそう驚くことは無いのだが、流石にジェイドが、白いブラウスに若草色のスカート姿で現れた時は、度肝を抜かれていた。


「ひ、ひわぁ〜っ!ジェイドさん!女の子だったんですかぁ〜!」

 ネルが変な声を上げる。クロムも

「前からちょっとそんな気がしてたっす。だってオリィ様の目が…」

(え、俺のせいでバレてた?)

「ふぅ〜ん…オリィ、後悔しないか〜い?」

 リアねえが意味深な目線を向けて来る。

「彼女キレイだからな〜。盗られないように気をつけな」

 耳元でそっと囁かれた。

「そうか、そうか、女の子じゃったか。それににしても面白い魔石じゃのぅ…“性別転換”とは…」

 ボラ爺も案外すんなりと受け入れて、ジェイドの頭を撫でていた。

 研磨師見習いのビリオムは真っ赤な顔をして、時々こちらをチラチラ見ている。こいつは近づけないようにしよう…


 特許パテント契約も成立してちょっと一息ついたので、ジェイドに何かお礼がしたくて来てもらったのだ。

 ジェイドは

「お礼なんて、そんな…らないです」

 と言っていたのだが、『せめてユング家うちで食事だけでも』と言って承諾オーケーしてもらった。

 工房で女の子のジェイドを皆にお披露目ひろめし、冷やかされながら、裏の水路に係留してあるゴンドラに案内する。

 ジェイドの手を取って、揺れるゴンドラに移る。

 水の上は寒いかと思い、毛皮を敷き、掛ける毛布も用意した。

 ジェイドを毛皮の上に座らせて、膝の上に毛布を掛けてやる。

 俺はゆっくりと舟先を上流に向けた。商人街を抜けて、石造りの橋をくぐる。

 両側から街の喧騒けんそうが聞こえて来る。


「わぁ、こうして見るといつもと違う街みたい」

 ジェイドも気に入ってくれたようだ。

「もう少し行くと、すごいものが見れるよ」


 人の姿も少ない場所になって来たので、オールを漕ぐのをやめて、『水の上を渡る石』の自動操縦にまかせた。

 俺もジェイドの隣に滑り込んで、毛布を共有する。

 ジェイドの温もりが伝わって来て、ふわふわした気持ちになる。

「自動操縦なの?」

「うん、あの時の石。ブラックジャック洞穴で最初に見つけた魔石」

「へぇ、あの時の!」

 上流に行くにつれ、人家が少なくなり、木々がだんだんと増えて来る。遠くに何か黄色い塊が近付いて来た。ゴンドラは、ゆっくりゆっくり進んでいく。


 オリィが後ろから、なにか大きな木箱のようなものを取り出して来た。装飾がほどこされたその箱には、両開きの蝶番ちょうつがいの付いた扉があり、それを開けるとティーポットとカップが2脚入っていた。

「我が家の携帯用の茶器セット。水入れてきたから、後はこれで沸かして…と」

 オリィはポットに沸騰石を入れた。

 ぐつぐつとお湯が沸くと、茶葉をポットに入れる。膝の上に二人分のソーサーを置いて、カップにお茶を注いだ。

「はい、どうぞ。熱いから気をつけて」

 と手渡される。


(こんなことしてくれたひと、初めて…)

 ジェイドは嬉しくて、感激してしまった。

 気がつくとさっきまで遠くに見えていた黄色い塊がすぐそばに来ていて、それが花であることに気が付いた。

 春を告げるミモザの花だ。いつの間にか季節は春になっていた。

「なんて綺麗きれい…!」

 ジェイドはうっとりとミモザのトンネルを見上げていた。


 オリィはそこでゴンドラを止めて、しばらくくお茶を楽しむことにした。

 正確には、『うっとりと花のトンネルを眺めるジェイドを、お茶を飲みながら楽しむ』と言うことだが…

 お茶を飲み終えて、日差しの快さに気持ちが良くなって、そのままゴロンと横になる。春の日差しが眠気を誘う。俺はいつの間にかウトウトしていた。


 * * *


 のんびり水路沿いの景色を眺めて、ミモザのトンネルの下でオリィがれてくれたお茶を楽しむ。

 水路の上を伝う風はまだ冷たいけど、毛皮の上に腰掛けて、こうしてオリィと一緒に毛布にくるまれていると、伝わって来るその体温が心地よくて、幸せな気持ちになる。

 ふと横を見ると、さっきまで目をしばたたかせていたオリィが目を閉じている。


(寝てる?)

 ティーカップを後ろに置いて、覗き込む。

 整った顔に長い睫毛まつげが影を作っている。

(なんて美形…)

 もう少し近くで見ようと姿勢を変えた。

「あっ…」

 思わずバランスを崩してしまい、オリィの胸に手をついてしまった。

 私が彼の上に半分のし掛かるような形になってしまい、彼の目がパチリと開いた。目と目が合った瞬間、彼の腕が私を抱き締めた。


 ぎゅっと、強くなく弱くなく。私は顔を彼の胸に沈めている。

 彼の鼓動が伝わって来る。温かくて穏やかな鼓動。

 満開の春の花のトンネルの下で、川面みなもに揺られながら、温かな胸にいだかれている。


 * * *


(あれ、俺寝てた?)

 目を開けると、俺の胸の上にジェイドがいた。

 思わず抱き締めてしまって、その体の重みが夢じゃないって気がついた。

 しかも不安定なゴンドラの上…。

 ーーーそれにしても、ああ。…女の子ってなんて軟らかいんだろう!

 それにとてもいい匂いがする…目線を下げると、見上げているジェイドと目があった。綺麗なみどりの瞳に吸い寄せられる。

 ………マズイ、いけない、これは。これ以上は…

 そう思った時、ジェイドが口を開いた。


 * * *


「ごめんなさい。あんまり気持ちよさそうで、本当に寝てるのかって思って確かめようとしたら、バランスを崩しちゃって…」

「そ、そうか。ごめん、俺こそ。夢かって思って…」

 俺は体を起こして、そっとジェイドを離した。俺もジェイドも顔が赤い…と思う。オールに付いた魔石を発動させる。

「もうすぐユング家うちに着くから。」

 俺はゴンドラのスピードを上げた。

 芽吹き始めた木々の若葉が目にも鮮やかだ。枯れた葦の間にひっそりとした船着場が見えた。

 先に降りた俺は、しっかりとゴンドラを結んで、ジェイドに手を差し出す。

 ジェイドはその手を取って、岸辺に降り立った。

 裏庭に通ずる小道をジェイドの手を引いて登っていく。植栽の間に裏庭の門がある。そこをくぐるとユング家うちだ。

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