第13話 黒豹

 ヴァンデンブラン公爵家で行われたオークションが、黒い獣の乱入によって中止になったことは、ほぼ知られていない。

おそらくヴァンデンブラン侯爵家が固く口止めしているのだろう。オークションが中止されるまでに落札された数々の品々は、秘密裏に引き渡しと代金の回収が行われるに違いない。


 父上は今回、何も落札しなかったようで、工房はいつもと変わらず営業をしている。帰りの馬車で話しそびれてしまったことは、何となく機会を逸してしまって言わずじまいになった。


 人気の『アンサンブル・ピエレ・プレシャス』の公演コンサートは、翌日から王立ホールで行われて、初日には国王夫妻もご清聴されたと話題になっていた。王妃のヘリオドール様が大層お気に召して、王宮にも彼らを招いたそうだ。

 なるほどね、王家の二人の王女様方のご婚約の発表も、近いのではないだろうか。この秘密は、誰にも話せないんだけど……


 父上は来月、ヴァンデンブラン侯爵が率いる『黒騎士騎兵隊』と共に北方高地に遠征に出かける。

今回のオークションへの出席は、そのための顔つなぎ(ご機嫌伺い)だったのかも知れない。

あれ以来、父上は遠征の準備で大忙しだ。


 オークションの日から数日後、ゴルン王国の商人ホラン殿から文が届いた。


 内容は例のヒマール山脈の『赤水晶』が手に入ったのでお持ちしたい、と書かれていた。

その翌日、ホラン殿が工房を訪ねて来た。


「先日はご挨拶もせず、お先に会場を後にしてしまい、大変失礼いたしました」

先日のオークションの時とは打って変わった普通の商人風の服装で、コートを脱ぎながらホラン殿が言った。俺は彼が先に帰ったことを知らなかった。

だってその時、俺は寝てたし…。預かったコートを掛けながら

「いえ、いえ、私こそ、うっかり迷い込んだ部屋で寝込んでしまいまして。ご挨拶もできず申し訳ありません」

と返事する。

「おや、そうだったのですか。それでは、あの事件のことは何もご存知ないので?」

「お恥ずかしい…。目が覚めて会場に戻ったら皆に心配されていた、と言うわけです…」

「そうでございましたか。しかし、ご無事でよろしかったではないですか」

「そう言って頂けると、少し気が楽になります。どうぞ、奥へ参りましょう」


 ネルに紅茶を持って来てくれるよう頼むと、俺は二階の奥の応接室へホラン殿を案内して行った。

革張りのソファに掛けると、ホラン殿は持って来た医者が持つような黒い鞄を開けて、茶色がかった紙に包まれた物を取り出した。


「ヒマール山脈の氷の下の鉱脈から掘り出された『赤水晶』です」

それは見事な結晶だった。手の平いっぱいに丁度乗り切れるほどの大きさで、白っぽい母岩の上に、子指くらいの太さの赤い六角柱状の結晶が、びっしりと生えている。

「これは、見事ですね〜!見せていただいても、よろしいですか?」

俺の左目はもう金色に反応している。

「むろんです、どうぞ」

石の中が赤い光でキラキラ眩しい。いろいろな話し声が聞こえて来る。どこか外国の言葉だろうか?…最後に何か大きな黒い獣が映った。


「え?」

…今の何だろう、ってかやたら既視感デジャヴなんだけど。

先日ヴァンデンブラン邸の中庭で見た、黒豹?いやいや、そんな…

「何か、見えましたか?」

そう聞かれて、言葉に詰まる。

「いや、赤く光って、何か外国語のような言葉が聞こえました」

取り敢えずそう伝えて、その場をスルーした。『石の中に黒豹が見えました』とは、さすがに言えない。


「ほぅ、本当に見えるのですね。いや、失礼しました。疑っていたわけではないのですが…」

「いいんです!お気になさらず。大抵の方は怪しまれますので!」


ネルがお茶を持って来てくれたので、俺はその石を一旦テーブルの上に置く。

「こちらの石はどんなルートで手に入れられたのですか?」

「我が国はヒマール山脈のお膝元ですから、近辺で産出された物は手に入りやすいのです」

「そうですか。あの辺りは地質も古いですから、色々珍しい鉱物が取れますよね。私も一度は行ってみたいです!」

「ところで、最初ポラス様からお話を伺った時は、『山珊瑚やまさんご』をご所望されていたようですが?」

そうか、そう言えば俺、そう言ったんだった。


「そうなんです、ちょっと『珊瑚さんごの化石』に興味があって、お聞きしました」

「そうですか、『山珊瑚』ではなくて『珊瑚の化石』だったのですね?」

「え、『山珊瑚』は珊瑚の化石ではないんですか?」

「はい。誤解されている方も多く『山珊瑚』という通称名が一人歩きをしてしまっている状況です」


知らなかった…!でも、変だとは思っていた。『山珊瑚』と言う名で出て来る物は、変に赤い色をしている。見た感じ深海の『宝石珊瑚』のようにツヤツヤとして硬いわけでもなく、印象がどこかおかしかったのだ。


「密教の儀式で使われている数珠じゅずは、それではないのですか?」

そこで、ホラン殿の動きが止まった。飲みかけたお茶のカップを置くと、

「…あれらは、われらアジュラ教信者にとっては、とても大事な物なのです。祭具として代々受け継がれて来たもので、どのような物で作られているとしても、『祭具として貴重きちょう』と言うことなのです」


雄弁ゆうべんに語るホラン殿に、俺はどうゆう顔をすればいいのか困ってしまった。


「失礼しました。無知なところをさらしてしまいました。すみません、若輩者ですので、お許しください」

「いえ、大陸の片隅の国のことなど、大抵の方は知りません。『珊瑚の化石』が高い山から取れるなどということをご存知なのですから、ユング様はお詳しい方ですよ」

ホラン殿はそう言って俺の無知をなぐさめてくれた。

「そう言って頂けると、助かります」


 そうしてホラン殿が実直に話を進めてくださったお陰で、値段交渉もそれほど高価にもならず合意することができた。俺はようやくホッと一息ついた。


 ホラン殿が帰った後、俺はまじまじとヒマール山脈の『赤水晶』を手に取った。


ーーー高い山の上に木造の寺院が立っている。

 強い風に赤い沢山の旗がはためき、読経が聴こえてくる。首に『山珊瑚』の数珠をかけたホラン殿が祈りを捧げている。

 寺院の中には沢山の僧侶たちが祈りを捧げている。

その祈りが止むと、僧侶たちが平伏ひれふした。

すると、ホラン殿の姿が黒いおぼろかすんで、次の瞬間、黒豹に変わっていたーーー

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