第12話 仮面オークション


 毎年この時期に、決まって開かれるオークションがある。

とある貴族の屋敷で、招待された者しか参加することができないそのオークションは、一風変わった物が取り引きされる。


『魔石』もその例外ではないので、我が家にも毎年招待状が届く。変わっているのは、その招待状と共に数字の刻まれた石が届くことだ。


 石には魔力が込められているらしく、偽造や成りすましができないようになっている。当日は仮面着用が必須で、招待客同士の顔が知れないよう配慮されている。


 今年は父上と俺が出席する。真っ白な封筒に、ヴァンデンブラン侯爵家の封蝋ふうろうされた招待状の他に、リボンで結ばれた小さな箱が添えられている。

中に入っていた小石には『23』のナンバーが刻まれていた。


 1週間後の午後、父上と俺は正装で、黒いヴェルベットに宝石をあしらった仮面を着け、馬車でヴァンデンブラン侯爵家に向かっていた。

ヴァンデンブラン家の領地は比較的王都との距離が近いため、馬車で数時間の距離だ。20〜30人ほどの招待客なら、王都の別宅でもパーティが行われることが多いが、今回のような大規模なものは、流石に広さが足りないため、本宅での開催となっている。


 所領を示す門をくぐり、真っ直ぐ続く馬車道を続々と列を成した馬車が走って行く。

 夕闇が迫る中、何台もの馬車が次々と玄関前のアプローチに寄せられては、また去っていく。


入り口には暗い表情の目つきの鋭い男が、ボディーガードを従えて招待客のチェックをしている。

「石を拝見」

父上がポケットから取り出した石を見せ、男が手に持ったリストを見比べると、

「ようこそ、いらっしゃいました。ごゆるりとどうぞ」

と中へ通された。


 エントランスを抜けて奥の広間に進むと、一気に会場の熱気が押し寄せて来る。

すでに200人は超えているであろう仮面をつけた招待客が、様々な思惑でここに集っている。


「オリィ、私はヴァンデンブラン侯爵にご挨拶をして来るよ」

 父上はそう言って、人混みの中に行ってしまった。

俺は周りをぐるりと見渡して知り合いを探すことにした。


 中でも、ひときわ目立っている人だかりがある。金髪口髭の大男と黒髪の美女の組み合わせだ。

隠しようもない長い黒髪がさらりと揺れて、目が釘付けになる。

 間違いない、ジェイドだ。


 胸から腰まで体のラインにピッタリと沿った真っ赤なドレスが、腰から下へふわっと広がり、まるで花のようだ。

 見惚みとれていると、いきなり横から小突かれた。

「ほ〜らほら、オリィ。よだれが垂れてるよ〜」

聞き慣れた声にはっとして、思わず口元を拭う。


「っ!…ヨダレなんて垂れてないですっ」

 白い仮面の下で、黒いドレスの女がクスクスと笑った。うちの工房のボラ爺に次ぐ凄腕の彫金師リアねえだ。

普段は作業エプロン姿しか見ていないので、胸元がぐっと開いた黒のドレス姿にちょっとドキッとした。


「あの娘、やっぱり女の子だったんだね。そうじゃないかと思ってた」

「えっ!あの娘がジェイドってわかるんですか?」

「そりゃ、わかるだろう?デュモン卿の横にいるし」

「そ、そうですね……。ってか、何でリア姐がここに来ているんですか⁉︎」

「なんでって、そりゃあ…アタシにも、いろんなコネがあるのさ」

リア姐はそう言うと、人混みの中に消えてしまった。


「もしかして、いや、お人違いだったら失礼!…オリヴィン・ユング様ですかな?」

そう話しかけられて振り向くと、…こちらもおそらくだが、夏に行ったブラックジャック洞穴探索で知り会った、タルク国のポラス殿が立っていた。


中東風の衣装に、派手な羽根飾りのついた仮面姿で親しげに話しかけてくる。

「これはポラス殿、お久しぶりでございます」

おれが慇懃いんぎんに礼を返すと、そっと耳元に口を寄せて小さな声で、

「それにしても驚きましたな。デュモン殿の弟子アシスタントが、実はご令嬢だったとは…」

と、驚きが隠せないと言った顔でささやいた。

「…そうですね。私も驚きました」


「ところで、知っておられましたか?あの招待状と共に届いた数字の刻まれた石ですが、あれは『なりすまし防止』の魔石だそうですね」

「私も聞きました。招待客でない者がそれを持って来たらどうなるのか、一度見て見たいものです」

「わたくし、先ほど見てしまいました!…入り口でとある人物が、懐から石を取り出して差し出した途端に、石が真っ赤に光りましてな!あっという間に警備の手の者に引きられて行きましたぞ!」

「そうなんですか⁉︎それはすごいですね。見たかったなぁ〜」


今宵こよい、ユング様は何か特別な物をお探しでございますか?」

「これといった当てはないのですが、実は『山珊瑚やまさんご』を探しております」

「ほぅ、『山珊瑚』といえば大陸の高山地帯で取れる“珊瑚の化石”と言うことですかな?」

「よくご存知で。ここのオークションで競売されるような貴重な物でなくて良いのですが、なにがしかの伝手ツテは得られるかと思いまして」


「ユング殿、わたくしお力になれるやもしれません。

本日ここで、山岳王国ゴルンの商人仲間と会う約束をしておりましてな。

その者でしたら、ユング殿のお眼鏡に叶う『山珊瑚やまさんご』をご用意できるやもしれませんぞ!」


「それは、助かります!ぜひ私にご紹介いただけないでしょうか?」

「かしこまりました!さっそくかの者を探してまいりましょう」

ポラス殿は、その人物を探すために人混みの中に紛れていった。


 俺はまた、デュモン殿とジェイドの方を振り向いてそちらに向かおうと思ったが、喉が渇いていたので何か飲み物をもらおうと、給仕係のいる方に歩いて行った。


「おっと、これは失礼。おや、オリィじゃないか?」


シャンパングラスを二つ手に持った、背の高い姿勢の良い男が振り向きざまに声をかけて来た。

「…ステファン殿!来ていらしたのですか?」

白い衣装に白い仮面を着けてはいるが、弟君と同じそのサラサラの銀髪の紳士は、王立騎士団の『白の騎士』と呼ばれる、アルマンディン公爵家嫡男ちゃくなんステファン・アルマンディン公だった。


「我が家にも招待状が届いたからね。行かないのも礼儀を欠くだろう?」

先日、弟君のハック殿から相談されたことがチラリと頭をかすめたが、こんな場所では何も聞くことができない。


「先ほどお父君にはお会いしたが、君も元気そうで何よりだ。君の兄君には毎日のように会っているがね」


「ステファン殿もお元気そうで何よりです。兄は騎士団の宿舎住まいですので、最近は私たち家族もほとんど会っていないのですよ」


兄のアレクサンドは、ステファン殿と同じ騎士団に所属している。

「そうか、それではアレク殿に、たまには家に帰るように言っておこう」


すると、俺の後ろから優しい女性の声がした。

「ステフ、お話中だったかしら?」

「リティ、今行くところだったのだが、弟の親友に会ってしまってね」


 髪の色も変えている上、シックな紺色のドレスに、同じ紺色の仮面を着けたその女性は、まぎれもなく現国王ディヤマンド陛下の第一王女リチア様だった。


 俺はハッとして、身を屈めてご挨拶をしようとしたが、リチア様に止められた。

「ごめんなさい、今日ここへ来ていることは内緒なの。気づかないふりをしてくださると助かるわ」

リチア様にそう言われて、俺はぎこちなく会釈だけして、お二人を見送った。


 落ち着くためにシャンパンを1杯飲み干して、一息ついていると楽団が音楽の演奏を始めた。

今日はダンスパーティではないので、おそらくこれは、次に何かが始まる前振りだろう。

 始まりの曲が終わると、カン、カン、カンとクリスタルグラスを叩く音がして、皆がそちらに注目する。


「ようこそ、紳士淑女の皆様。今宵は我がヴァンデンブランのやかたへようこそ!

私、イオニス・ヴァンデンブランと申す者。以後お見知り置きを!」


大きくかぶりりを振って黒い衣装に身を包んだ、背の高い紳士が挨拶した。

の方がヴァンデンブラン侯爵家嫡男のイオニス様だよ」

いつの間にか隣に来ていた父上がそっと俺に耳打ちする。


「それでは、オークションの前に、本日の目玉となる品々をお目にかけましょう!」

楽団が再び、勢いのある音楽を奏で始め、同時に奥の観音開きの扉が大きく開かれると、滑車付きのテーブルに乗せられた品々がしずしずと進んできた。


「ご覧ください。今はもう絶滅したと言われているサーベルタイガーの毛皮です。この美しい縞模様をご堪能たんのうください!」

「次に参りますのは、10世紀初頭、山岳王国で発展した密教、アジュラ教の司祭が祈祷きとうの時に身につけたと言う山珊瑚の数珠じゅず。保存状態もよく、アジュラ教信者なら垂涎すいぜんのお品です!」


———次々とヴァンデンブラン侯爵の口から、世界中の珍品、名品が紹介される。会場からはどよめき、溜息、囁き合う声、様々な反応が上がっている。

その他、呪いの魔石がめ込まれた短剣、持ち主が次々と変死したという大粒のサファイアのペンダントなど、宝石、魔石類も紹介されていく。そして、いよいよ最後、一際大きくヴァンデンブラン侯爵の声が響く。


「さて皆様、本日の目玉品の登場です。東の大陸のそのまた東の、海を超えた神秘の国より、代々その皇帝によって継承された『翡翠ひすい玉璽ぎょくじ』です。この玉璽を持つ者こそ、かの国をべるという伝説のお品物です!」

 音楽がいよいよクライマックスという雰囲気を盛り上げ、人々の熱気も最高潮になっている。これらの品々がこの後、すべてオークションに掛けられるのだ。

 品々は一旦控えの間に戻っていく。


 そこで演奏が切り替わり、冷めやらぬ熱気の中、皆手に手に飲み物を持ち直し、興奮を鎮める。

「父上、何か少し食べましょう」


 俺も腹が減ったので、何か食べようと思い、料理の置かれたテーブルの方に向かう。一口サイズにきれいに飾り付けられたオードブルが、所狭しと並べられている。

 どれもこれも美味しそうだ。小海老が乗ったものにしようと手を出すと、左から同じ盆に、黒いレース地の手袋をめた細い手が伸びて来て、俺は思わず手を止める。真っ赤な花のようなドレスを身にまとったジェイドと目が合った。


「…お先に、どうぞ」と俺。

「ありがとう…」ジェイドが少し恥ずかしそうにうなずく。

「あの…」「オリィ…」

二人共、同時に話しかけてしまい、お互いの目線が交錯こうさくする。


「…お先にどうぞ」今度はジェイドが譲ってくれる。

「ありがとう。…いらしていたんですね。きっと来られるとは思っていたんですが」


「ここでは何ですから、あちらに行きませんか」

ジェイドがバルコニーの方を向いて、俺を誘った。

「あ、はい…」


 俺とジェイドは、片手に飲み物が入ったグラス、片手に食べ物を持って窓の開いたバルコニーに向かった。

バルコニーに出て、手摺りに背を預けながらジェイドがこちらを見る。

「…風が気持ちいい!」


日が落ちたばかりでまだ西の空が薄い黄金色こがねいろで明るい。ジェイドの長い髪が風に揺れて、とても綺麗きれいだ。

「…とても、綺麗です…」

思わず口にしてしまって、自分の言った言葉に赤面する。


 ジェイドも仮面の下で少し照れているように感じた。そんな心の動揺を覆い隠すように、

「あの…『通信石』はどうなりました?」

うつむいたままで問いかけて来た。


「っ、あの…。考えているものはあります!あ、あるんだけど、うまくいくかはまだ試してなくて…」

「そうなんですか…。私もあれから考えてみたんです。それで…こんな石はどうかと思ったんです…」


そう言うとジェイドは、自分の胸の谷間に手を突っ込んで、小さな赤い石を取り出した。

———え、え、えーっっ!彼女のその胸の谷間に…入っていた石…!———

「はい」

何気なくその赤い石を差し出されたが、俺は顔が真っ赤になって(たぶん)その場で固まった。

そんな俺の表情に気づいた彼女も、同じく真っ赤になって、しどろもどろになった。


「あ、えっと、こ、これは…その、とても珍しい…赤い水晶、なのです…」

「あ、…は、はい」


ジェイドは俺の手にそれを握らせると、『試してみてくださいね』と言って、もの凄い速さで会場の中に戻って行ってしまった。

 手にしたその石のほんのり温かなぬくもりを感じ、心臓がドクドクと脈打つのを感じた。その時、俺の左目にこんな情景が映し出された。


高山のような険しい山並み、石をハンマーで叩く音。少年のジェイドの顔、

澄んだ空気に輝く太陽。そして声が聞こえた。

「これ、オリィなら喜んでくれるかな?」


 俺の心の中で、ジェイドの存在が、春の嵐を呼ぶ風のように吹き荒れて翻弄ほんろうする。

しばし、自分が一体どこにいるのかわからなくなって、手摺てすりにもたれかかっていた。


「ユング殿、探しましたぞ!」

ポラス殿が、後ろにもう一人、東洋の民族衣装を纏った黒髪のガッチリした体躯の男を伴ってやって来た。こちらの紳士は、シンプルな黒いシルクのアイバンドだけを着けている。


「先ほどお話しいたしました、ゴルン王国の商人、ホラン殿です」


俺はやっと我に返って、この新しいご友人にご挨拶をする。

「お初にお目にかかります。私、オリヴィン・ユングと申します」

「お目にかかれて光栄です。ユング殿は、あの『聖剣アルカンディア』のユング殿とか?」

「あ、はい。とは言え、それは私の父上のことですが」

「そうでございますか、是非父君にもお目に掛かりたいものです」

「父上もこちらに参っておりますので、後ほどご紹介致しましょう」


「それはありがとうございます。ところで、ホラス殿からお聞きしたのですが、『山珊瑚』をお探しとか?」

「その件なのですが、実は気が変わりまして…。今は、この石を探しております」

そう言って俺は、先ほどジェイドから受け取った “赤い水晶”を見せた。


「ほう、これは…手に取って見てもよろしいですか?」

俺は、あのジェイドの温もりが頭をかすめて一瞬ためらったが、

「どうぞ、見ていただかなくては同じ物を探すことも難しいでしょう」

後ろ髪を引かれながら、石を差し出した。


「ふぅむ…。磨かれてはおりますが、ヒマール山脈の赤水晶ではないでしょうか。…これなら、すぐご用意できます。掘り出された原石の形ですが」

「そうですか!それは助かります!是非お譲りください!」


石を返してもらって、俺が大事そうに胸ポケットへしまうと、ホラン殿が

「大事な石なのですね。ユング殿は、その石に何かが見えるのですか?

ユング殿には魔石が見える、とお聞きしたのですが」

と問いかけて来た。

「は、はい。この石は、その…大事な人から貰った物なので…」

思い出して顔が赤くなったらしい。微笑ほほえましいものを見る顔をされた。


 会場の方でまた音楽が鳴り響き、ヴァンデンブラン侯爵の声が響いた。

「何か始まるようですぞ。我々も参りましょう」

ポラス殿に促されて、俺たちはまた賑やかな会場へ戻った。


「紳士淑女の皆様に、今宵ご紹介させていただく栄誉を賜りました。

音楽の都ヴィーナから『アンサンブル・ピエレ・プレシャスと歌の貴公子フェビアス・ジェロール』の登場です。

明日より、王立ホールでの公演コンサートが始まります。その前に一足早く皆様にお届けいたします!」


 24弦の大ぶりなギターの甘美な音がつまびかれ、会場は静かになった。

そこへ背の高い細身の歌い手が登場する。すっと顔を上げ、その美しい男が歌い出す。


 その声に誰もが動きを止めた。

生まれて初めて聞くその声は、艶やかで滑らかで、ずっと聴いていたいと言う衝動が湧き起こる。

 ヴィオラとヴァイオリン、独創的な形の縦笛、弦だけのピアノのような楽器と、人数は少ない構成ながら素晴らしいアンサンブルだ。美しいカウンター・テナーの声と相まって、叙情を掻き立てる。


 3曲ほど披露して、歌い手の男が頭を下げると、ワッと会場から歓声が上がった。アンコールを望む声に、もう1曲オペラの一篇を歌うと、アンサンブルは静々しずしずと下がって行った。


「いやはや、素晴らしい歌声でしたな!」

興奮さめやらぬ声で、ポラス殿が言う。

「あれが先日、オクスタリアから来たという噂の楽団ですね」

「おや、ユング殿はご存知でしたか。明日からの公演は大盛況でしょうな!」

俺は人混みの中に父上を発見し、お二人を案内してゆく。


「父上、申し訳ありません。勝手にいなくなってしまって」

「かまわんよ。おや、そちらの方々は?」


父上にお二人を紹介していると、そこへデュモン卿もやってきた。

「ユング様、お久しゅうございます。ポラス殿、ホラン殿、ごきげんよう」

時候の挨拶などを交わして一息つくと、

「デュモン殿の今夜のお目当ては、あれ、でございますな」

と、ポラス殿がデュモン卿に耳打ちした。その途端、卿の目付きが鋭くなった。


「ご存知か…。あれにはちと、因縁がありましてな」

「もし、万が一の時は合図してくだされ。ご融通させていただきましょうぞ」

ポラス殿と、デュモン卿は何やら話込んでいた。


俺は先ほどの話の続きをしようと、ホラン殿に話しかける。

「ホラン殿は、どちらにご滞在されているのですか?

当家は、王都に店舗兼工房を構えておりますので、そちらにお来しいただければ、お支払いもさせていただきますので」

「そうでございますか。それでは石の用意ができましたら、改めて使いを出しましょう」


そうこう話していると、いよいよオークションが始まるらしい。

 楽団がまた一段と景気の良い曲を演奏し、ヴァンデンブラン侯爵の声が高らかに響く。


「お待たせ致しました!只今より、オークションを開催いたします。

まず、ルールのご説明をさせていただきます。皆様のお手元に、招待状と共にお届けした石がございますでしょうか?

オークションにご入札いただけるのは、その石をお持ちの方のみです。

入札される際は、石を高く掲げてご提示ください。石が光りましたら入札となります。

どうぞお手元にご用意ください。それでは、石をお持ちの方のみ、お隣の会場へご移動ください」


「それでは、行ってくるよ」

父上は、デュモン卿、ポラス殿、ホラン殿と連れ立って移動して行った。会場の約3分の1ほどの人数が移動しただろうか。俺は自然とジェイドを探していた。


 真っ赤なドレスが目に入り、吸い寄せられるように近づく。

 でも何と言って声をかければ良いのだろう?

 悩みながら近付いて行く。すると横から背の高い細身の男が彼女に近づき、彼女の手を取って部屋を出て行くではないか⁉︎

 だ、誰だろう?デュモン卿のいない今、彼女を守れるのは俺しかいない。俺はそっと二人の後をけた。皆がオークションで盛り上がっているので、誰も他人の行動など気にしていない。


 二人はいったん広間から出て、中庭を横切り低い別棟の部屋に向かっている。

大丈夫だろうか?まさか、誘拐?…そんな、まさか。


 二人が入って行った部屋の外に、先ほどの『アンサンブル・ピエレ・プレシャス』の楽器が置かれている。俺はそっと楽器に隠れて、部屋の中を覗き込んだ。


そこは楽団のメンバーの控え室らしく、くつろいで談笑している。

 その中に、ジェイド以外の知っている顔を見つけ、思わず『あれっ?』と思った。先ほどお会いした『白の騎士』ステファン・アルマンディン公と王女リチア様、そして今仮面を外した赤いドレスの女性は、リチア王女の妹君メラニア王女だった。


「そこで何をしている⁉︎」

突然後ろで声がして、驚いて振り向くと、なんと久しぶりだが見慣れた顔の兄アレクサンドだった。


「兄上〜、どうしてここに?」

「お前こそ。…そうか、父上とオークションか」


声が聞こえたのだろう、中からステファン公が出て来た。


「アレク、それにオリィも。なるべく秘密裏に運びたかったのだが…仕方がない、中に入ってくれ」


ステファン公に招かれて中に入ると、アンサンブルのメンバーに囲まれた二人の王女様方、そしてその隣に、口髭にダークヘアのイケメン貴公子が座っている。


「王太子殿下、お騒がせして申し訳ありません。ご安心ください、こちらのユング兄弟は味方です。

兄の方のアレクサンドは私の幼馴染で、私と同じく王立騎士団に所属しています。

今回は彼に王都内での殿下の護衛を頼みました。

アレクサンド、こちらがオクスタリア国のルドヴィヒ・フォン・ヒューブル殿下だ」


「王太子殿下、お目に掛かりまして光栄に存じます。この度の護衛、誠心誠意尽くさせていただきます」


兄はひざまずいて、深々と頭を下げた。俺もつられて頭を下げた。


「すまぬな、今回は非公式の訪問なので、なるべく秘密裏に行動したい。よろしく頼む」

「はっ」

兄君が短く返事をした。


「ところで、そちらの弟君はどうしてここへ?」

王太子殿下の隣に座っていたメラニア王女様が、口を開いた。

俺は血の気が引いて、何と答えたら良いか、どうしよう…と真っ青になった。

見かねたステファン公が助け舟を出す。


「彼は我が弟の親友ですので、大方何か、弟に頼まれたのでしょう。お許しください、メラニア様」

「そうですか、ハーキマー殿に?知らないうちにご心配をお掛けしていたのかも知れませんね」

メラニア様はそう言って、ふふふとお笑いになった。


「明日、王都でお父様にお会いするまで、何としても秘密でお願い致しますわ」

リチア様もそう仰れて、にっこりとされた。


俺はそこで解放されて、会場に戻って良いと言われた。でも頭の中は、今見てしまった秘密で一杯になってしまって、うっかり戻る方向を間違えてしまった。


あれ、ここはどこだ?

中庭に面した回廊に出てしまい周りを見渡していると、中庭でガサガサと音がしている。何か木の影にいる。その瞬間、黒い影が飛び出して来た!


 大きな黒い犬?いや、犬にしては大きい!

 く・ろ・ヒョ・ウ……?


 自分の目がどうかしたのか?驚きで声も出ない…。

黒豹は黄色い目でじっと俺の方を見ると、さっと庭の奥へ身を隠してしまった。


 ……今の、俺の見間違いかなぁ…見間違いだよな…

誰か!見間違いだと言って!


 俺はただでさえ、抱えきれない秘密を知ってしまったところなのに、これ以上は…頭が飽和状態になり、ちょっとどこかで休みたいと思った。

近くの部屋のドアを開けると長椅子があったので、そこに横になった。

ちょっと、ちょっとだけ休ませてください……


 ふと、気がつくと、どうやら少し寝込んでしまったようだ。

外が何やら騒がしい。もしかして、先ほどの…⁉︎

 俺は起き上がって、ゆっくりドアを開けた。人々が右往左往している。


「どうしたんですか⁉︎」

俺はあたふたしていた客の一人を捕まえて、聞いた。

「く、黒豹くろひょうが出て、オークションの品物をくわえて逃げたんだよ!」

「黒豹?」

あれは現実だったようだ…。


会場へ戻ると、父上も、デュモン卿もジェイドも、ポラス殿までもが俺を探していた。

「父上!」

「オリィ!」

「一体どこへ行ってたんだい⁉︎皆、心配して探していたんだよ」

「オリィ、無事ですか⁉︎」

ジェイドが心配そうな顔で近づいて来る。


「オリィ!全くもうこの子はっ、心配かけてっ!」

いきなり横からリア姐に抱きすくめられた。

ジェイドが目を泳がせて、作り笑いしてこっちを見てる…


「ちょっと、リア姐。離してくださいよ、もう子供じゃないんだから」

「子供だから迷子になったんだろ?…で、何してた?」

 と言われて俺はぎくっとしたが、今日あったことは言うわけにいかないので、しどろもどろに

『え…と、なんか眠くなちゃって、空いてる部屋に入って寝てました…』

と言って誤魔化した。


 皆『信じらんない、この騒動の中寝てたって』という顔をしていたが、

『オリィだから仕方ないね…』という生温い感じで納得してくれた。どゆこと⁉︎


「それで、何があったんですか?」

 改めて聞くことにした。ポラス殿曰く、オークションの後半で “アジュラ教の司祭が着けていたという山珊瑚やまさんご数珠じゅず” が入札される場面になった時、突然、大きな黒豹が乱入して来てその数珠を咥えて逃げた、と言うことらしい。


 突然の出来事にオークションはそこで中止になり、高貴な方々も多数ご参加されていたため、ヴァンデンブラン家の私兵が館の中を探索して、安全確認している間、ここに足止めされていたのだそうだ。

なるほど、心配されたわけですね。


 オークションは、本来落札された物と代金が引き換えとなるのだが、賊?野獣?が侵入したため、後日支払いと引き換えが行われることになった。


 遠方からの賓客は、そのままヴァンデンブラン侯爵邸に賓客として宿泊し、我々のように比較的近隣の者は、それぞれ待たせていた馬車で帰ることになった。


 父上と俺は我が家の馬車で帰ることになった。父上がリア姐にも一緒に乗って行くよう言ったので、帰りは賑やかだった。

俺は、口止めされたことを父上には話したかったが、いかんせんリア姐が一緒だ。


 リア姐はオークションのアシスタントとして、ヴァンデンブラン侯爵に雇われて会場にいたらしい。そうか、見たかったな、リア姐のアシスタント姿。

 リア姐いわく、ヴァンデンブラン侯爵は王立騎士団の『伝説の黒騎士』なのだそうだ。つまり、エリート中のエリートという訳だ。リア姐、どんなきっかけでヴァンデンブラン殿と知り合ったのだろう、今度聞いてみよう。


 王都にたどり着いた時、もう外壁の門は閉まっていたが、父が見張の衛兵に二言三言話をすると、門を開けてくれた。事前に話がしてあったらしい。

 もう真夜中を過ぎていたため、まずリア姐を家に送り届けて、それから俺たちも静かに屋敷に向かった。


 まったく、何という一日だったのだろう……

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