第11話 通信ブレスレット
オリヴィン・ユングは
今までずっと魔石に関して図録や書籍を調べ、果ては伝承や人の噂までも聞き漁ってみたが『通信できる石』と言うのが見つからない。魔石コレクターとして、人よりは知識もあるし見る目もあると自負してきたが、どこにも見つからないのだ。
鼻っ柱をポッキリ折られて粉々にされ、踏み潰されて吹き飛ばされた、そんな気分である。
多分顔に出ているであろう憂鬱な気分のまま、三日前に約束した鍛冶屋を訪ねる。コン、コン、コンと扉をノックしたら、出て来たのはいつもの明るい奥方ではなく、野太い声の主人だった。
「いらっしゃい、オリィの旦那。お待ちしてやした」
「珍しいね、今日は奥方は居ないのかい?」
なんか、表情が暗い。
「…いや、ちょっと。実家に帰っちまって…」
「そうなの?何か不幸でもあったのかい?」
「そうじゃねぇんです…ちょっとつまんねえことで喧嘩しちまって…。女房のやつを怒らせちまったんでさ」
「そうかー、大変だね…。まあきっとすぐ帰って来るさ。悪いんだけど、この間頼んだやつ出来てるかな?」
「…でね、女房と市場を買い物してたんでさ。そしたら、黒髪のすっごい綺麗な女に出会っちまって、思わず
「あの…とりあえずできてたら…」
って、俺のの言うこと聞いてないし。
「『実家に帰らせていただきます!』ってすごい剣幕で出てっちまって…」
こりゃあ、話終わるまで先に進めそうもないな…
「で、どんな美人だったの?」
つい聞いてしまう俺。
「それが!この国じゃあ見たこともない真っ黒な長い髪の女で、瞳の色がエメラルドみたいで、肌が白くて、そりゃーいい女だったんすよ。折れそうに細い腰で、でも出るとこ出てて…」
ほほう…、熱弁するね。そりゃ奥さん出てくわ。でも俺も見てみたい、その黒髪の美女。
“黒髪”か。ジェイドはどうしているんだろう…
なぜか浮かんでしまう『
そうだ!デュモン
俺は一旦工房へ帰ると、ボラ爺やネルにデュモン卿がどこの宿屋に泊まっているか、聞き出した。
どうやら、卿とジェイドは工房とは反対側の西地区の高級宿にいるらしい。誰でも出入りできるような東地区の安い宿屋ではなく、セキュリティもしっかりした高級宿は西地区に多い。
国を訪れる裕福な商人や、外国の要人のお付きの文官などは、王宮ではなくそういった宿に泊まるのだ。
俺は襟元にクラバットを巻き、少し上等な上着に着替えて、西地区に向かうことにする。
馬車に乗って、ぼんやりと外の景色を眺めながら、
市場通りを過ぎて目的地が近くなって来た時、俺の目に長い黒髪の人物が飛び込んできた。
腰まである長い黒髪、白い
俺は呆然としてその姿に釘付けになった。
馬車は女を追い越して、少ししたところで止まった。
「旦那様、着きました」
「っ、ああ…」
馬車を降りて振り返ったが、もう女の姿はなかった。
あれが、鍛冶屋の主人が言っていた女のことだろうか?おそらくそうだ。あれほどの黒髪の美人なんて、そうザラにいて
気を取り直して、高級宿に歩み寄ると、ドアマンに止められた。
「恐れ入りますがお客様、こちらにはご宿泊で?」
「いや、ここに滞在している友人を訪ねて来たのだが…」
「失礼ではございますが、ご友人様のお名前をお伺いしても?」
「ユーレックス・デュモン卿という方だが、ご存知か?」
「はい、確かに。
「お、
「はい」
卿にご令嬢がいたとは……ってか、結婚してたのか⁉︎それも子供が…全然知らなかった!
心の動揺を隠して、平静な顔を保ちつつ言う。
「特に約束ではないのだが、卿はおられるかな?」
「失礼ですが、お名前をお聞かせ願えますか」
「私、オリヴィン・ユングと申す者です」
「お取次ぎいたしましょう。どうぞ、中へ」
ドアマンに案内されて中に入ると、そこは天井が吹き抜けのホールになったエントランスだった。
いくつかの低いテーブルと心地よさそうな猫足の長椅子が置かれ、正面奥には堅牢豪華なカウンターがある。
ドアマンが奥の黒い
「どうぞ、お掛けになってお待ちくださいませ」
燕尾服は
ややあって、こま遣いの少年が戻って来て燕尾服に耳打ちする。すると燕尾服がやって来て、こう言った。
「デュモン閣下は只今外出中とのことで、
『
俺は案内の少年に付いて、エントランスホールから広い
「どうぞ…」という女の声が聞こえ、少年はドアを開けた。
ドアの横でかしこまる少年に促されて、俺は中に入って行った。
令嬢は表通りに面したガラスの格子窓を背にして立っていた。
彼女は案内係の少年を呼び止めて、小遣いを握らせ、紅茶を2つ持って来てくれるよう頼んだ。逆光のため顔がよく見えないが、青いドレスを身につけていることから、先ほど見かけた女性だろうと思った。
…が、俺がドアマンと話をしていた時、誰も横を通ったものはいなかった。彼女が横を通れば、嫌でも気ずく筈。不思議に思いながら、挨拶する。
「ごきげんよう、初めてお目にかかります。私、オリヴィン・ユングと申します。お父上のデュモン卿には色々とお世話になっております」
「ごきげんよう、オリヴィン様。…先ほど、私のことを馬車の中から、ご覧になっていらっしゃいましたわね」
「えっ!…お、お気づきだったのですか…」
驚きと、気恥ずかしさで頬が上気する。
「すみません、あまりにお美しいので思わず、
俺は正直に言った。
「あ、あのように女性をじっと見るのは失礼です!」
…そうですね、ごもっともです。面目もありません…俺は顔を上げられず赤面した。俺は頭を下げてひたすら彼女に謝る。
「申し訳ありません!大変、失礼を致しました…!」
顔を上げられずに困っていると、コンコン、とノックの音がして、彼女が『はい』と返事をする。
「お茶をお持ちしました」と返ってくる。俺は少しホッとした。
はあ〜、よかった。誰でもいい、この気まずさから俺を救って〜
「どうぞ」
と彼女が返事すると、給仕がワゴンに茶器を載せて入って来る。
令嬢は小さくため息をつくと、俺に向かって
「もう結構ですので、どうぞ掛けてください」
と言ってくれた。
「は、はい…」
勧められた椅子に腰掛けると、給仕がカップに紅茶を注いで前に置いてくれる。でも俺はまだ、恥ずかしさで彼女の顔が見られない。すると、
「どうぞ、召し上がっていいですよ」
「あ、ありがとうございます」
俺は、恐縮しながらティーカップに手を伸ばした。
すると、意外な言葉が返って来た。
「あんまりじっと見てるので、完全に
え、今なんと言いました?…
そう聞こうとして、顔を上げて彼女の顔を真っ直ぐに見た。その途端、俺の中の呼び覚まされた記憶の
「あっ!…ジェイド…」
目の前に、あのジェイドがいた。しかも、
俺の中の何かがこれはジェイドだと言っている、だがしかし彼女(彼?)は男の筈だ。でも目の前のジェイドは確かに女なのだ。細い首、
「いずれ話さなきゃって、思ってたんだけど…」
ジェイドは紅茶を一口飲むと、ゆっくりと切り出した。
「丁度いいタイミングかな…って」
俺は呆然としてジェイドを見た。
そのあと彼女の口から語られた話は、忘れようと思っても忘れられないほど衝撃的だった。
* * *
今より20年ほど前の話です。
私の母は、東の大陸を渡った、その更に先の海を渡ったところにある小さな島国の
父、ユーレックス・デュモンは、東の島国に伝わる『幻の石』を探して、その国に辿り着きました。辿り着いた時、父は嵐に合い死にかけていました。
そんな父を救ったのが母だったのです。お互いに惹かれあった二人は結婚し、私が生まれました。
私が三歳になった頃、私たち家族は争いに巻き込まれ、母は行方知れずになり、父は命からがら小さかった私を連れて脱出したのです。
* * *
「その時一緒に持って帰って来たのが、この『性別反転の石』です。この石は二つで一つの力を発揮します。どちらか一つでは魔力を発動しません。二つが合わさることで発揮されるのです」
そう言ってジェイドは、その石の付いたペンダントを見せてくれた。
三日月のような形の赤い石と緑の石が、向かい合わせに金の石座に嵌め込まれている。俺は思わずその美しいペンダントを手に取った。
俺の左の目が金の輪に光り、緑と赤の光が交錯する。少しもの悲しい気持ちが伝わって来て、気がつくと俺の手はほっそりとした女の手になっていく。
着ていた服も随分と
慌ててペンダントをテーブルの上に置くと、雷にでも打たれたように
「こ、こんな石が有るなんて!」
驚き過ぎて、一体もう何が何やら…
その時、ガチャッとドアが開く音がして、デュモン卿が帰って来た。驚き過ぎて
「なーんだ、もうバレちゃったのかー」と残念そうにする。
「デュモン卿!バレちゃったのかーじゃないですよ…」
全身の力が抜けてしまって、俺は椅子の背もたれにグッタリと沈み込んだ。
「悪かったとは思っておらんが、用心の為でな。辺境の地で石なんぞ掘っておると、危ない
卿はそう言うと、ジェイドの隣に腰をかけた。
「オリヴィン殿の父君はご存じだから、そのうち知れてしまうだろうとは思っていたが」
「え!父上は知っていたのですか⁉︎」
「見ての通り、その石を据えたのは父君だからな」
確かに、父上らしい美しい装飾のペンダントだった。
「ところで、今日は何用で訪ねて来られたのですかな?」
そう聞かれて俺は、やっとここへ来た理由を思い出した。
「実は『
「ほう…。それは興味深いですな」
「いろいろと文献を探したり、人づての噂まで探ってみたのですが、お手上げで…。この世界で最も高名なデュモン卿であれば、何かご存知ではないかと」
…ううむ、と卿も唸ったきり考え込んでいる。
すると、隣に座っていたジェイドが、ふと何かを思いついたように、顔を上げた。
「『通信する石』とは違うのですが、『共鳴する石』と言うのがあります。この石は、2つに割ってもお互いが共鳴し合うという特性があります」
それを聞いて卿が、おおそうかと言うようにジェイドを見た。
「その石だけでは、共鳴し合うだけであまり意味がありませんが、そこに別の石が組み合わさったらどうでしょう?」
俺は、ハッとした。
そうだ、この目の前にある2つの石が着いたペンダントのように、石を組み合わせることで『通信』ができるかもしれない。
「その『共鳴する石』と言う石はどんな石なのですか?」
俺が尋ねると、卿が答えてくれた。
「サイロメレン石という石でな、それほど珍しい石でもないんだが。すまんがジェイド、持って来てやってくれ」
ジェイドは立ち上がると、隣の続き部屋へ歩いて行った。
長い黒髪が揺れて美しい…って、思わず目で追ってしまった!何考えてるんだオレ!
そんな目線に気付いたのか、卿が俺をジロリと睨む。重い沈黙が流れる。
…だって、めっちゃ美人じゃないですか…仕方ないですよ。
「これです」
ジェイドがコロンとした小さな黒い石を二つ持って来た。
銀黒のストライプが、艶消しの黒色の中を、層になって走っている金属光沢の石だ。
「同じ母岩から取れた石なんです。こうして叩くと…」
ジェイドはテーブルの上に置いてあった、冷めた紅茶の横のスプーンを手に取って、石を“コン”と叩いた。すると叩いていない方の石が“コォン”と反響した。
「へぇ〜!面白いですね!」
俺はその石を貰い受けて、もう少し考えてみることにした。
『この石を、何か他の石と組み合わせることで “通信” できると良いのだけど。
今は他の石が思いつかない。
もう今日は、ジェイドのことで頭がいっぱいで、それどころじゃない。
男だと思っていたけど、女の子だって思って、また男だって思い直したのに、やっぱり女の子だった。女の子だって思ったら、じっと見ていたくなるし、見ていると何だか嬉しいような、苦しいような感情が湧いて来て、頭の中がグチャグチャになる。
帰りはもうすっかり暗くなっていたので、宿に頼んで馬車を手配してもらい家に帰った。妹のマイカがうるさく言って来たが、俺は夕食もそこそこに、倒れ込むようにベッドに入って眠った。
———夢の中で、真っ黒な髪のジェイドが、月の光を浴びて水浴をしていた。
白い肌が月に照らされて、とても
胸がドキドキして、夢から覚めた———
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