第6話 母の指輪

「もう、お兄様ったら~!ひどいわ。私との約束なんてすっかりお忘れになって!」

「ごめん、ごめん。忘れてたわけじゃないんだけど。昨夜は急にハーキマー殿が来てさ…」

翌朝、妹のマイカが俺を見つけるとさっそく詰め寄ってきた。


「えっ? まあ、ハック様が…!」

妹はハーキマー殿が気に入っている。とても、とても気に入っている…

「ハック様、北方高地に遠征されていたのですよね!…それで、どんなご様子でした?」

妹は母似の薄紫の瞳をキラキラさせて、俺ににじり寄ってくる。

「どうって…元気そうだったけど…」妹の顔に僅かにイラッとした表情が浮かぶ。

「私はそんなことを聞いてるんじゃございません!…ご健勝なのは当然として、お帰りになったのはライナ様からうかがっておりますわ。北方ではどのような任務をこなされたのでしょう?」

ライナ様というのは、ハックの妹君でマイカの幼馴染みだ。同じ学院に通っているのだから、ハックが帰って来たのはとっくにご存知、と言うわけだ。


「に、任務の内容なんて、部外者の俺に話すはずないだろっ」

マイカは少し不満そうな顔で、俺を横目で見据えた。

「…まあ、それもそうですわね。そんな大事なことを、お兄様にお話になるはず無いですわね」

「…っ!」

なんだよ、その言い方は!と言いかけたが口にはしない。

母上が亡くなってから、俺にとっても兄君にとっても、ましてや父上にとっても、妹のマイカは我が家の太陽なのだ。逆らえるはずがない…。


「お嬢様、馬車のお支度ができました」

メイド頭が呼びに来る。

「ほら、行っておいで。ライナ様によろしく」

「今日は学院が終わりましたら、工房へ参りますわ、お兄様。いて下さいましね!」

今日こそは逃さない…!って感じの圧力だな、と心の中で思いながら、顔はにっこりと妹を見送る。


 俺もこの春まで、妹と同じ王立学院に通っていたのだが、今は卒業して父の家業を手伝っている。父と同じで手仕事が好きな俺は、小さい頃から工房に入り浸っては職人にまとわりついて、手解てほどきを受けていた。色々な石が磨かれて美しく変わっていく様や、金や銀の金属が溶ける様が嬉しくて楽しくて、授業が終わるや否や勝手に工房へ駆け出していた。


 なかでも、最も心が躍る瞬間がある。

装飾が巧妙に組み上がったジュエリーや、道具に石を据える瞬間だ。それが剣であろうと、豪華なネックレスであろうと、中心となる魔石を留める瞬間が最もワクワクする。

 それはその場所に初めからそこに在るべく、存在を示す。


 父上の右目、俺の左目がその瞬間に釘付けになる。

 それはまるで魔道具に命が宿る瞬間だ。金や銀、プラチナで石座にセッティングされた魔石はその瞬間、光り輝く。石と俺たちの波動がピッタリ合う、という感じだろうか。

 そして、俺たちの目に様々な光景を見せ、耳に語りかける。まるで静かな歌を歌っているように感じる時もあり、囁くような声だったり、底知れぬ祈りの声のようだったりもする。

 俺と父の目と耳にはそれが見え、聞こえるのだ。その瞬間が何ものにも代えがたい。


 母上はそんな俺の目を、『授かり物』と言って愛してくれた。お陰で周りが遠巻きに気味悪がるのも、それほど気にならなかった。

 だが、そんな優しい母上もこの世を去ってしまう。本来なら、妹を産んで幸福の絶頂であったはずなのに…女性にとって子を産むということは、想像以上に大変なことだったのだ。目に入れても痛くない、いとしい愛しい妹が生まれたその日、母上は亡くなった。


 母上がずっと大事にしていた指輪があった。

それは、父と母が出会った日に父が母にあげた薄紫の石を、父が自ら石を磨いて金の指輪に仕立てたものだった。

 それはとても優しい色に輝き、俺は母上の膝の上でそれをじっと眺めるのが好きだった。暖かく穏やかなその光を見ていると、暖かな陽だまりの中でトロトロと微睡まどろんでいるようで、ずっとずっとそのままでいたい心地よさだった。


 その母上が亡くなって、俺は絶望した。

優しかった母上のお顔が二度と俺に向かって笑んでくれないことに傷つき、怒り、暴れた。泣いて暴れる俺を、父上が一晩中抱きしめてくれた。涙も声も涸れて、力なく眠りに落ちていく俺を抱きしめてあやしてくれた。

 本当は父上の方がずっとずっと悲しかったんだろうな、そう思えるようになったのは何年も後のことだ。


 父上はその指輪を自分のサイズに作り直して、今も肌身離さず身に付けている。時々、何かその指輪に話しかけているようだ。父上のお気持ちは計り知れないが、何だかわかるような気がする。


 母上が亡くなった時、兄上は10歳、俺はまだ5歳だった。まだ悪戯盛いたずらざかりの男児2人に、生まれたばかりの赤ん坊を抱えて、父上の苦労は想像に余り在る。

 その時父上の力になって下さったのが、かのアルマンディン公爵家だ。

 ちょうど公爵家でも3ヶ月ほど前にライナ様が生まれたばかりで、乳母うばの紹介やら、子供たちの面倒を見てくれる者などを探して下さるなど、沢山のお力をお借りした。

 子供だった俺たちは、広い公爵家の庭園でかくれんぼしたり、厨房に忍び込んでお八つをくすねて食べたり、馬小屋で馬に悪戯したり、共に長い時間を過ごした。そんなわけで、俺たち兄弟妹きょうだいとアルマンディン公爵家のご兄弟妹とは、本当の兄弟妹か、ってくらい仲が良い。


 俺は、昨日ハックに頼まれたことについて考えていた。

 手元にラビカン石はある。頼まれたジュエリーを作ることは可能だ。しかし、それを使うとなると話は別だ。ましてや、それが自分にとって兄のような存在の人物なのだから。


「オリヴィン様、おはようございます。ご朝食の準備ができております」

執事がうやうやしく頭を垂れる。

「おはよう。父上はご一緒かな?」

「ご主人様は先約がございまして、先ほどお出掛けになられました」


 そうだった、昨夜『明日は一番で商談がある』と言っておられたな。では、工房には昼くらいにお戻りか…思い出して食卓につく。それなら、早く工房に行こう…


 朝食を軽めに済ませ、裏庭を抜けて水路へ。昨日工房からの帰りに乗って来たゴンドラが、簡素な丸太で組まれた船着場に横付けされている。背の高い葦とまばらに生えた落葉樹に隠れて、こんな場所に船着場があるとは誰も思うまい。


 ゴンドラに乗り込んで座るとオリヴィンはオールに手を翳す。彼の左目の中に金の輪が浮かび上がる。するとオールが身震いするように動き出す。ゴンドラはスルスルと水の上を進み出した。オールの中に魔石を埋め込んであるのだ。

『水の上を渡る』魔石。夏に探索に行ったブラックジャック洞穴で見つけた石をカットして、銀で石座を作りオールの中に埋め込んだ。

 ちらほら遠くに他の舟も見えて来たので、彼は立ち上がってオールを握った。魔法のゴンドラ、などと気づかれないようにしなくてはならない。

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