第5話幼馴染み

 もともと手仕事の好きな父上は、爵位や領地を与えられても彫金師ちょうきんしとしての仕事を続け、王都にこの工房兼店舗こうぼうけんてんぽを構えている。

王都の目抜通めぬきどおりから一本奥に入った場所だが、ここには様々な目的を持った上流階級の面々がお忍びで訪れる。


 日没が迫り、空が藍色あいいろに染まるなか、店のノッカーがコン、コン、コンと鳴らされる。

 一日の仕事を終えて片付けをしていた職人頭のボラックスが、ドアに付けられたのぞき窓越しに対応している。二言ふたこと三言みこと、言葉を交わした後、

「お待ちください」と言って下がる。

 コツコツと地下のコレクションルームに繋がる階段を降りてきたボラックスが、ドアをノックする。

「旦那様、オリヴィン様、お客様がお見えです」

「どちらのお方だい?」父上が応える。

「アルマンディン侯爵様のお使いの方です」

「わかったよ。二階の応接室にお通ししてくれるかな」

「かしこまりました」


 通常、一般の客は店舗兼ギャラリーの奥の応接で商談がなされる。

だが、時折人目を忍んで訪れる身分の高い方々は、二階の奥にある特別な応接室に通される。先ほどのデュモン卿との取引もこちらの部屋だ。ここは、置かれている家具も調度品も一級品ばかりだ。出される飲み物も王室御用達おうしつごようたし逸品いっぴんだ。

 目深にフードを被った客人の、長いマントの袖口から覗いている上着は、上等のシルクだ。手袋といい、身のこなしといい、あきらかに上級階級の所作だ。

 奥のった作りの革張りのソファに腰掛けた背の高いマントの男は、店の主人と続けて部屋に入ってきたオリヴィンを見て、フードを外した。


「フゥー。久しぶりだねオリィ、元気だったかい?」


 アルマンディン公爵家の使い、と名乗っていたが、その顔はまぎれもなくアルマンディン公爵家第二子、ハーキマー・アルマンディン本人だった。俺が応えるより前に、父が口火を切った。

「これは、ハーキマー様、お久しぶりでございます」

「ユング殿、お久しゅうございます」

彼は、騎士らしくうやうやしく礼をした。

 アルマンディン公爵家といえば、現王の王族とも繋がりのある由緒ある家柄で、貴族の中でも最も発言力のある家系だ。彼ハーキマー・アルマンディンには、3つ年上の兄、そして年の離れた妹が一人いる。

 奇遇なことに兄君のステファン・アルマンディン公と俺の兄、アレクサンド・ユングは同い年で同じ騎士団に所属している。それだけならまだしも、俺の妹マイカ・ユングと彼の妹君のライナ様は同い年の幼馴染おさななじみだ。


「ハック、いやハーキマー殿、最近まで遠征に出てたって聞いてたけど、いつ戻ったんだい?」

俺は、久しぶりの元気そうな銀髪のイケメンに駆け寄って、腕ごと握手した。

「お前にハーキマー殿なんて言われると、気味が悪いぜ。ハックにしてくれ」

ハックも破顔はがんして、俺の肩をバシバシと叩く。

2才違いの俺たちだが、とある事情で一緒にいることが多かったため、兄弟のように育った。兄たちには体力的に全くかなわなかったため、よくこのハックが俺の面倒を見てくれた。

 兄と同じ騎士団に所属する彼は、最近、北方高地の山岳地帯でくすぶり出した不穏ふおんな動きを調査するため、遠征に行っていたのだ。

「ハーキマー殿、それでは息子とゆっくりお話があるでしょうから、私はお茶でも淹れてまいりましょう」

「それはかたじけない。ユング殿、少しオリィをお借りします。」

 ハックは姿勢を正すと、父上に向かって一礼をした。父上をドアの向こうに見送ると、俺たちは客用のソファに向かい合ってどっかり腰をおろした。


「で、どうだった?北方高地の様子は?」

同じ国内でも、北方高地は地形も文化も、人も違う。父上の出自は北方の領主クランらしいが、俺は行ったことがない。

「そりゃーもう、山、山、山。他になんにもない!」

「ハハハハハッ!それは王都育ちのお前には、すっげーキツいよなー!」

「笑い事じゃねぇよ!持って行った食料もあっという間に無くなっちまって、現地調達しようにも人里がねえし!マジ、餓死するかと思った!」

「それはそれは、ハーキマー殿、ご苦労なさいましたねぇ」

「何だその言い方!おまえぇ~!ちょっとシメたろかぁ~」


などとたわむれているところにノックの音が。お茶をれて持って来てくれたのだろう。

「お待たせいたしました、ハーキマー様。いろいろ旅の土産話みやげばなしもございますでしょう。お茶より、こちらの方がおくつろぎいただけるかと思い、ワインを持ってまいりました」

そう言って父上はテーブルの上にワイングラスを2つと、小皿に盛ったナッツを置いた。

「ハーキマー様は、ワインは白の方がお好みでございましたね」

2つのグラスにトクトクと白ワインを注ぐと、

「どうぞごゆっくり」と言って父上は部屋を後にした。

「さっすがだなー、お前の父上。心配りが細かいね」

グビリと一口やって、ハックもすっかり寛いでいる。俺も喉が渇いていたせいか、グビグビと1杯目を飲み干した。


「そういや、お前の父上が持たせてくれた、あれ!すっごく役に立ったぜ!」

「あれって?…何だっけ?」

「何だよー、おまえ。覚えてないのかよ!」

そう言ってハックは、両手を合わせて握り、クイクイと持ち上げる振りをした。

「あ、あれ!ホントに役に立ったんだ⁉︎」

「役に立ったなんてもんじゃない!あれがなかったら、俺たち餓死してたかも…」

「そ、そんなに…?」

「正直、渡されたときは『え、マジ…?』って思ったけどな」

「あの釣り竿が、そんなに…?」

「食料も尽きかけて、皆疲れ果ててさ…。それでも、馬に水を飲ませなきゃ、ってなって。小川のそばに馬を連れてったんだよ。そのとき『ああ、そうだ!』って、あの釣り竿のこと思い出して…。それで慌てて釣竿を探して、釣り糸を垂れてみたんだ!」

「へぇ~、それで?」

「こんな、ただの水路みたいな小さい川に魚なんかいるわけない、って思ってたら、いきなりバチャバチャって水音がして、竿が重たくなったんだ!」

ハックが言うには、大きなますが釣り糸を垂れる度にどんどん釣れて、他の騎士たちも大喜びで、みんなその日は『鱒祭ますまつり』で腹一杯になったんだそうだ。


「あんときの鱒はホントにうまかったなぁ~!」そう言いながら、ハックはその鱒の味を思い出して噛み締めるように言った。

「オリィ、さっき言うのを忘れちまってスマンが、お父上に礼を伝えておいてくれ。あの釣り竿は我が家の家宝にするから!」

ハックは3杯目のワインを飲みながら愉快そうに言うと、懐かしむようにはぁ~っと息を吐き出した。

「お父上がすごいことは知っていたけれど、まさか、自分が魔道具の釣り竿に助けられるとはね…。釣り竿に魔石ぃ?そんなの埋め込んでどうすんだ?なんて思ってたのに…」

「うんうん、ハック君、わかってくれて嬉しいよ…」

俺がぽんぽんと揶揄からかうように肩を叩くと、伸びてきたハックの手にパシッと頭を引っ叩かれた。


「それでな……実は話があるんだが」

ハックはさっきまでのおちゃらけた様子とは打って変わり、フッと真顔になった。

「兄上がな、少々お困りなんだ…」

「ステファン殿が?」

ハックの兄君ステファン殿は、我が兄アレクサンドと知己ちきの仲。俺にとっても兄のような存在だ。ステファン殿は現王の第一王女リチア様と恋仲と聞く。確か婚姻の式も間もなく、ということだった気がするが、どういうことだろうか。

「実はな、リチア様に、隣国りんごくから縁談えんだんが持ち上がっている…」


 もともと、王家は政略結婚が多かったのだが、元王になってから、貴族の間でも好きあった者同士の恋愛結婚が徐々に認められるようになっている。その時流じりゅう牽引けんいんするのがステファン・アルマンディン公とリチア王女の結婚なのだ。


「なんで、今更?」思わず俺もらす。

「だろ? 今更なんで、って思うだろ」

「リチア様は、どう思われているんだろう?」

「リチア様だって、内心パニクってると思うぜ」

ハックは、組んだ足の上に頬杖をついて、ため息混じりに言った。


「相手は、大陸の強国オクスタリアの第一王子だそうだ…」


 わが国と海峡を隔てた大陸の強国オクスタリアは、過去に度々戦争をしている。

近年、現王が統一戦争でこの島国を統一してから、しばらく平穏な年月が続いているが、それとて、いつどのようなことがきっかけになり戦禍せんかへと突入してしまうのか、だれにも予測ができない。

まして、近年前王朝の復活を目論もくろやからが北方高地に時々出没して、不穏ふおんな動きを見せている今、諸外国とは穏便おんびんな関係を築いておきたいのだ。


「困ったな…。」

「うむ、困ってる。」

「それでハック、どうしてここに来た…?」

ハックはそこでニンマリして、こう切り出した。

「さっさと既成事実を作っちまえば、いいんじゃないかと思ってな…」

「……!そ、それって…!」

「だがな、兄上は真面目だ。上にバカが付くくらいクソ真面目な奴だ」

「そうだな、知ってる…」

「そこでだ、オリィ。あの石で作って欲しいんだ」

「あ、あの石って。…あの石か…?」


 オリヴィン・ユングは内心驚いた。何故なら、今話している石というのが、おそらく間違いなく、今日魔石ハンターのユーレックス・デュモンから買い受けたその石だったからだ。


真紅のラビカン石。別名『情欲じょうよくの石』だ。

この石には有名な逸話いつわがある。


 28年前、現ディアマンド王が国家統一を果たし、翌年隣の小国モルガニアから、王女ヘリオドールをめとる。しかし、政略結婚で嫁いできた妃はなかなか王に打ち解けず、王は妃が国から連れて来た侍女に手を出してしまう。

 やがて侍女は男の子を出産し、その事実に怒った妃は、かたくなに王をこばむようになってしまったのだ。

 そこで一案を講じたのが、宮廷彫金師ダキアルディ・ユングだった。王はユングが作ったラビカン石のリングを身につけて王妃と接する。

 すると、王妃の心に張り詰めていた氷は溶け、王と和解。その後国王と王妃は円満な関係を築くに至り、二人の王子と二人の王女に恵まれて、今もラブラブなのだとか。

 ことの真相は確かではないが、これがこの国でまことしやかにささかれている、魔石『ラビカン石』の伝承でんしょうなのだ。


「ラビカン石か…。でもそれで?まさか、それで既成事実って…」

「いいじゃないか、仮に一度でも何か二人の間に間違いでもあれば、即結婚!ってなるだろ……」

「いやいやいや、さすがにそれはマズイ、マズイと思うぞ!」


 時代が少し自由になったとはいえ、相手は王族、面目丸潰めんもくまるつぶれになるのではないだろうか…。下手したら兄君は蟄居ちっきょ、リチア様は修道院行きだよ、ハック君。

 それで済めば良いが、最悪オクスタリアと開戦とでもなれば、いったいこの国はどうなってしまうのか……と、のどまで出かかったが、やめた。

「うん、まず、一旦落ち着こう…!」

俺は、ワインと盛り上がった話で少し酔いが回っているハックを椅子に沈めて落ち着かせる。

「ともあれ、もっと状況を良く知らないと、下手な真似はできないだろ。今日は帰って、もう少し状況を整理してみてくれないか」


* * *


 ハーキマー・アルマンディンを店の戸口まで見送った後、俺は大きくため息をついた。

「あの石ねぇ…」思わず独り言を漏らす。


「何だね、オリィ。ハーキマー殿はお帰りになったのかい?」

「父上、まだ、工房におられたのですか?もう先にお帰りになったとばかり思っておりました」

「明日の段取りをしていたんだよ。我々も帰ろうじゃないか。家でマイカが寂しがっているだろう」


 その言葉を聞いて、俺はハッとした。そうだ、今日は妹のマイカと一緒に夕餉の約束をしていたんだ…。ヤバイ、怒ってるだろうな、あいつ。

「そうですね!父上、帰りましょう! 妹のマイカがきっとねてます!」


 俺たちは急いで戸締りをして、上着を羽織り、裏口に回った。店の裏にはちょっとした水路が流れている。小さめの船やゴンドラなどが行き交うことができる広さがある。ゴンドラに荷を積んで運び込むことができるし、火を使う工房にとっては、万が一の時に川の水で火を消すなど、役に立つのだ。

そして我が家は、この水路沿いに少しさかのぼった場所にある。

 裏口を出たところに店のゴンドラが係留けいりゅうしてある。手にランタンを掲げ、二人でそれに乗り込んだ。


 わずかな水音を立てて、ゴンドラは滑るように動き出した。漕ぎ手のいないオールはひとりでに動いている。何か仕掛けがあるのだろう。ランタンの光だけがゆったりと暗い水面を移動しているように見えた。


「そう言えば父上、ハーキマー殿が感謝しておりましたよ」

「何だね?」

「あの釣り竿ですよ。…家宝にするそうです」

俺がそう言うと、父は楽しそうに笑った。

暗い夜の水路に二人の低い笑い声だけが渡って行った。

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