睦子・16

 まっかな炎がめらめらと燃えている。

 新しいオリはいつもと勝手が違った。

 手足も大きいし、子どもの身体じゃない。とってもヘンな感じだ。

 だけど、いろんな言葉を知っている。まるでたくさんの本が並んでいる部屋に入り込んだみたい。

 うん。これはこれで面白いかも。

「睦子さん」

 仮面をつけた大人が近づいてくる。

 睦子とはオリの名前で、つまりぼくの名前だ。

 無数のオリがぼくをつなげ、無数のぼくがオリのなかに閉じこめられている。オリはぼくであり、ぼくはオリである。

 そういうふうに童子ぼくはできてる。

「睦子さん!」

 うるさいおばさん。

 この人、だれだっけ。

 ええと、守部。そうだ。守部だ。

 古いオリはこいつをママと呼んでた。ママは好きだ。ぼくをたくさんあそばせてくれた。でも、いまは新しいオリだから、もうこいつはママじゃない。

 守部。あるいは黄泉の女王。

 ここは団地で、黄泉の国のお城で、女王が従えるたくさんの兵士がうろついてる。

 ぼくが立つ中庭のまわりは、お城がぐるりとかこんでる。お城にはたくさんの部屋があり、兵隊たちがぼくを見下ろしている。

 にげないと。

 でも、どうして?

 ここには、友だちがたくさんいるから、にげる必要なんてないのに。

 でも、とにかく逃げなくちゃ。

 だって、オリがそう望んでる。ぼくはオリに従わなくちゃいけない。

「ママ?」

 さっちゃんがぼくを見上げてる。

 いつもより、さっちゃんは小さくみえた。いまにも泣きそうな顔でこっちをみてた。なんで泣いてるのかはわかんない。興味もない。

 あっ、思い出した。

 ぼくはさっちゃんと、この城からにげなくちゃいけないんだ。

 だって、さっちゃんはアリスで、ぼくは白うさぎだから。

 ぼくはアリスの親友で、ここまでアリスをつれてきた案内人だから。

 ふしぎだ。いままで、いろんなオリに入ってきたけど、新しいオリは世界をいろんな姿で見られるらしい。いつもの世界がちがって見える。面白い。楽しい。

 いこう、さっちゃん。

 さっちゃんの手をにぎり、ぼくはかけだした。

「待ちなさい!」

 うしろから女王と兵隊がこわい声でさけびながら、おいかけてくる。

 あははははは、オニゴッコだ!

 でも、あんなにたくさん追いかけてこられたら、にげるのは大変だ。

 どうしよう。まずは大人たちをビックリさせてみようか。

 あ! あっちに、みんなが集まってる!

 ゆっきーに、こうちゃんに、まっつん。みゆきちゃんに、おすぎに、まゆちい。

 みんな、ぼくの友だち。多摩ファミリアコーポのお友だちだ。

 おーい。ここでなにしてんの?

「いや、トージが集めたんだろ」

「そうだよ。にげてる人がいるから捕まえに来たのに」

 にげてる人?

 あ、そうだ。さっきは真一をつかまえてたんだった。

 前のオリとにげようとして、みんなをうとうとしたワルいやつ。

 真一はすごくいいやつだったのに、大人になってバカになっちゃった。バカだから、ぼくのじゃまをしようとした。

 そんなやつはキライだ。絶交するしかない。だから、死んじゃうのはしかたのないことなんだ。

「これが新しいオリベさま? 大人なのに、オリベさまなの?」

 そーだよ。いーだろ。

 って、こんな話してるんじゃないんだ。

 相談! 兵隊をやっつけるの、てつだってよ!

「兵隊? あそこにいるの、ママたちだよ?」

 ちがうよ。あそこにはテルアキのママもいるけど、いまは兵隊なんだよ。ぼくのジャマをするから、死なないといけないんだ。

「そうなの? どうしたらいいの?」

 うーん。どうしよう。

 そうだ! テルアキ、ごにょごにょごにょ。

「えー、できるかな」

 だいじょうぶ。テルアキならできる。ガンバって!

 テルアキはまだこまった顔してたけど、最後は「わかった」とうなずいて、走りだした。そのまま、まっかな炎にとびこんだ。

「輝明ちゃん!」

 仮面をつけた大人のひとりがさけんだ。

 あはははは、すっげー! テルアキ、黒コゲになってる!

 大人がさわいでる。さわいでるのが面白かったので、もっといろいろやりたくなった。部屋にいる友だちにも声をかけた。

 もっさん、窓からとびおりて。マミは、電気カミソリいれたお風呂にはいって。たっくんはママを包丁でさしちゃって。サクは部屋をガスでいっぱいにして、マッチに火を点けて。

 お城のあっちから、こっちから、悲鳴があがる。爆発がおこる。おおさわぎになる。

 あわてた大人がケーサツに電話をかけたのでジャマしてやった。いつものお祭りよりもたのしー!

 あははははははははははははははは!

「ママ、ママ、ママ、ママ」

 さっちゃんは泣いてる。

 んー。なんでわらってくれないんだろ。こんなに面白いのに。

 うるさいけど、ほっとくしかない。 さっちゃんには、ほかの子たちみたいなけしかけをしちゃダメだ。

 オリが望んでないから。

「オリベ様」

 黄泉の女王だ。

 女王はぼくの前に来ると、その場でどげざした。

「お願いします。お戻りください。私たちにはあなたが必要なのです。どうか、どうかお願いします」

 大人がどげざをしてるところをはじめて見た。

 少しだけかわいそうになってくる。

 のこってあげてもいいのかな。

 ちょっと、考える。そんで答えた。

「ムリ」

 だって、いまのオリは黄泉の女王に、守部たちにすごくおこってる。

 思ってること、ぜんぶ言ってやった。

 団地の連中なんて、みんな死ねばいい。子どもを生贄にし、檻の中でのうのうと暮らし、肥え太るだけの連中なんて死ねばいい。死ね。死ね。死んでしまえ。さっちゃんをオリベにしようとした奴はみんな死んでしまえ。死ね。死ね。死ね!

 ぼくの言葉なのか、オリの言葉なのか、よくわからなくなったけど、どっちでもいっか。ぼくはオリで、オリはぼくなのだから。

 どげざしてる守部がふるえてる。地面につけた手がざっ草をにぎりしめた。

「お願い、小夜子ちゃん。お母さんのことを助けて。もう私には、小夜子ちゃんしかないの」

 小夜子は前のオリの名前だ。病気で、あんまり動けなくて、ぜんぜん面白くないオリだった。

 その前のアキツグはいいオリだった。

 いろんな遊びがたくさんできた。家がなくなって、あちこち、たくさん歩いて。団地の塔にたどりついて。ホームレスがまぎれこんできた、とかでいろいろ言われたけど、かばってくれたのが小夜子だった。

 小夜子はおにいちゃんとママと、小説家の樋川キャロルがすきだった。団地を守りたい。みんなと仲良くしたい。それが小夜子の願いだった。

 もしも、古いオリのままだったら、ぼくは守部の言葉にしたがった。

 団地から出ていこうとも思わなかった。

 でも、もうぼくは新しいオリに入っちゃったから。そのお願いはきけない。

「クソが、クソが、クソが、クソがっ!」

 仮面をつけたおばさんがイノシシみたいにおこってる。

 テルアキのママだ。 テルアキのママはぶっといパイプを手にして、ぼくになぐりかかってきた。

「死ぬのはお前だ、裏切り者!」 

 びゅっと風がふいた。

 テルアキのママはつよい風にふき飛ばされた。短くさけびながら、丸いからだをコロコロと地面に転がす。

 あははははは、おっかしー!

 さらに風がふく。めらめらと燃えてた炎があおられ、火の粉が風にのった。そのまま、まわりの草木に火の粉がついた。

 炎が燃え広がる。

 さけび声があがる。みんなが炎にのまれて、黒コゲになる。

 テルアキのママもあつい、あつい、とさけびながら、あっという間に火だるまになる。

 肉と骨がやける匂いがする。黒い煙がもくもくと空にあがった。お城は炎につつまれる。ぜんぶ燃えて、灰になる。

 しかたないよね。

 みんな、ぼくをジャマするんだもん。

 だから絶交するしかない。

 みんな、死ぬしかない。

 ぼくはわらった。わらいつづけた。

「あ、あは。あははははっ」

 守部もつられてわらいだす。だらーんと腕をたらし、なんだか糸の切れた操り人形みたいだ。

 わらいながら、守部は燃える中庭をふらふらと歩いていった。

 ごうと勢いをました炎に、守部の体はあっというまにのみこまれた。

 女王も、兵隊も、みんな灰になる。

 団地が、お城が、檻が、全部全部燃えていく。

 燃えてないのは、ぼくとさっちゃんだけだ。

「いこう、さっちゃん」

 ぼくが呼びかけると、さっちゃんはこくんとうなずいた。

 炎の中を、ぼくたちは歩いていく。勝手に炎のほうがよけていく。ぼくはそういうふうにできている。

 童は風の子だ。童は流れを呼び寄せて、流れの中心となる。流れとは、風であり、水であり、運であり、富である。

 ぼくは台風の目であり、渦そのものだ。

 渦に巻き込まれた人間は勝手にいい想いをして、楽しくなるみたいだけど、ぼくがどこかへ行くと、みっともなくわめき散らして死んでいく。

 でも、みんなじゃない。

 どんなに大きな地震がきても、生きのこる人間がいるように、ぼくが去っても生きるやつは勝手に生きる。死ぬやつは勝手に死ぬ。みんな、ぼくのことをおおげさに怖がるけど、ぼくはほんとはなにもしてない。

 そんな当たり前を理解できなくて、みんな余計なことをする。ぼくがどこかに行っちゃうのがこわくて、ひきとめようとする。

 で、結果としてこうなっちゃう。

 真一も、守部も、テルアキのママも、みんな馬鹿だ。愚かだ。ぼくのジャマをしたから、「死ぬかもしれない」、が、「絶対死んじゃう」、になっちゃうんだ。

 さっちゃんは顔にたくさん汗をかきながら、ぼくの足にしがみつく。何

 度か、さっちゃんの頭をなでてあげた。友だちの頭をなでるなんてヘンだ。でも、ぼくがなでると、ちょっとさっちゃんは安心した顔になった。

 ぼくとさっちゃんは城をでた。

 車がたくさんならんでる。駐車場だ。ひとつだけ、ヘッドライトをぴかぴか光らせてる車がある。

 だれかが車からおりてきた。

「八津川さん!」

 不動産業者の田中だ。このオリとさっちゃんを、最初に団地へと案内したおじさん。そっか。真一が言ってた協力者はこのおじさんだったんだ。

「いったい、どうなってるんですか? 悲鳴が聞こえて、それに火事までっ。芹沢さんは、それに、オリベは?」 

 ぼくがオリベだよ。

 そうおしえてあげると、田中のおじさんは目をまんまるにした。ついでに真一が死んだこともおしえてあげた。

「八津川さんがオリベ! なんてことだっ」 

 田中のおじさんは頭をかきむしり、鼻息をあらくした。しばらくすると、急にしずかになる。ぼくのほうを見て、にっこりわらった。

「オリベ様、一緒に来てください。あなたに会わせたい人がいるんです」

 会わせたい人?

 友だちになってくれる人?

「はい。私の娘なんです。事故に遭って寝てますが、あなたが来てくれたら、きっと目覚めて、友だちになってくれます」

 そうなんだ。

 じゃあ、行ってみようかな。団地の友だちも、みんな死んじゃったし。

 新しい友だちはほしい。

 つまんなかったら、さっさと出ていけばいいんだし。

 田中のおじさんは大喜びすると、車のドアを開けた。乗ろうとすると、手をひっぱられた。

 さっちゃんが泣きそうな顔でぼくを見てる。

「そうですよね。紗代子ちゃんも一緒にですよね!」 

 田中のおじさんはさっちゃんを車に乗せようとしたけど、ぼくはそれを止めた。

 さっちゃんとは、ここでバイバイ。

 ぼくとさっちゃんは一緒にいちゃいけない。

「なんで、ママ。なんで、バイバイなの?」

 さっちゃんが、ぼくの服をぎゅっとつかんだ。

 なんで? そんなの決まってるじゃないか。

 ぼくを閉じこめてるオリが、さっちゃんといっしょにいるのを望んでないから。

 オリはこういってる。

 あなたはオリベとも、童子とも関わりのないところで、大人になってほしい。お姉さんになって、おばさんになって、おばあさんになって、死ぬまで幸せでいてほしい。いや、無理に幸せになんてならなくてもいい。私のことも憎んだってかまわない。ただ、元気でこの世界を生きていて欲しい。

 不自由なことがたくさんある世界で、あなたの自由を見つけてほしい。

 だから、元気でね。

 ぼくがそう伝えると、さっちゃんは顔をくしゃくしゃにゆがめた。

「やだ、やだよ。紗代子もいっしょに行く。ママといっしょに行く!」

 さっちゃんは駄々をこねる。あんまりぼくにしつこくしがみつこうとするから、けり飛ばしてやった。さっちゃんの小さな体が駐車場にたおれた。

 いままで聞いたことがないほど大きな声で、さっちゃんは泣いた。恐竜がさけんでるみたいだった。

 ぼくはさっちゃんを無視して、車に乗った。

 おじさん。はやく車を出して。

「は、はい」

 田中のおじさんは車のハンドルをにぎる。車は走りだし、みるみる燃えている団地から遠ざかっていく。

 坂を下り、車ががたがたとゆれる。はじめて来たときと、おなじように。

「待ってろ。瑞穂。もう大丈夫、大丈夫だからな」

 おじさんはなにかをつぶやいてる。このあと、どうする、とか、前のオリベとおなじように足を切り落としたほうがいいのか、とか、いろいろ言ってるけど、興味がないので聞きながす。

 まだ泣き声が聞こえてる。パトカーのサイレンと、救急車や消防車の音も聞こえてる。さっちゃんは助けられるだろう。

 よかった。

 さっちゃんは檻を出られたんだ。

 あははははははは、とぼくはわらった。

 わらってるのに、なぜかほっぺたを涙が伝っていった。

 涙は止まることをしらず、わらってるのか、泣いているのか、よくわからなくなってしまった。こんなことははじめてだ。

 きっと、この新しいオリのせいだろう。いったい、なにがそんなにうれしくて、悲しいのだろう。

 はなれるのが悲しいなら、いっしょにいればいいのに。

 ヘンなの。

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