矢上・14

 団地でなにかが起きている。

 矢上は自分の予感だけを頼りに、傷ついた身体を引きずりながら、進む。

 向かう場所は決まっていた。

 なにかが起きているのなら、それは給水塔の近くになるはずだからだ。

 いつの間にか、あの祭囃子のような太鼓や楽器の演奏は鳴りやんでいた。しかし住棟の窓からは相変わらず、住民たちが給水塔を注視している。

 矢上は明るいところを避け、植え込みの陰に身を潜める。物音を殺し、給水塔に向かって進み続ける。

 やがて視界の先に給水塔が見えてきた。

 そそり立つ塔のそばには、何人もの人間が円陣を組んでいる。足元には燭台が置かれ、ささやかなに彼らの姿を照らしていた。

 円陣を組んでいる人間たちはみな、神主のような浄衣を纏っていた。そしてみな、おなじ仮面を被っている。仮面は紙でできているらしい。円陣の中心には、焚き木が組まれていた。

 キャンプファイヤーではないだろう。なんらかの儀式と見て間違いない。

 夜の闇に目を凝らす矢上は、円陣の中に小さな人影があることに気づいた。

 子どもだ。

 仮面ではなく、振袖を着た子どもが円の中に加わっている。

 古い檻はもうすぐ壊れる。だから新しい檻にしないといけない。

 あの子どもが新しいオリベなのか。彼らはこれから童子を継承させる儀式を行なおうとしているのか。

 その場合、以前のオリベはどうなるのか。

 巡る思考を抑え、冷静さを保とうとする。すべては矢上の憶測だ。矢上たちを拷問しようとした男と、仮面の集団の繋がりを示す証拠はなにもない。

 そして仮面の集団の行為も現段階で違法性はないのだ。

 ここで飛び出して、事情聴取を行うか。

 しかし、それによって団地の住民たちがどういう行動に出るか予想がつかない。

 なにより久能早苗を取り逃がす事態だけは避けなければならない。

 あの中に久能早苗はいるのか?

 仮面を着けているため、人相がわからない。性別もわからない。

 と、そのときだ。

 給水塔の扉が開いた。矢上は目を細める。仮面の人物がふたり、塔から出てきた。おなじように浄衣を着ているが、ひとりは竹籠を背負っていた。

 竹籠の中身はなんだ?

 塔から出てきたふたりはなにかを話している。声までは聞こえない。もう少し近寄ろうとしたとき、頭上から別の声が聞こえた。

 たくさんの、折り重なった声。


 こーわしましょー

 こーわしましょー

 オリベさまをーこーわしましょー


 棟にいる子どもたちが一斉に唄っている。

 わらべ歌のような単調な節で、不穏な言葉を、楽しげに唄っている。


 もーやしましょー

 もーやしましょー

 オリベさまをーもーやしましょー

 

 円陣の中央に置かれた焚き木。給水塔から竹籠を背負って出てきた仮面の人物。いま子どもたちが唄っている歌の意味。

 給水塔に監禁していたオリベを燃やそうとしているのか?

 竹籠を背負った人物が焚き木に向かって歩き出そうとする。竹籠の中身がなにか、まだ確認はできていない。しかし、このままでは竹籠の中身が燃やされる。

 時間を稼ぐしかない。

「こんばんはー! 警察です。ちょっと、よろしいですかー?」

 隠れるのを辞めた矢上は堂々と円陣のほうに進み出た。

 大きな声を発しながら、警察手帳を提示する。

 仮面の人物たちが一斉に矢上を振り向いた。竹籠を背負った人物の歩みも止まる。表情はわからないが、傷だらけの矢上を見て、怯んでいるのが伝わった。

 このまま気圧されてくれ、と願うが――

「なんですか? ここは、敷地内ですよ?」

 竹籠を背負った人物と一緒に、塔から出てきた人物が矢上を問いただす。

 女性なのは間違いない。

 声がくぐもっているため、久能早苗なのかは判別がつかないものの、矢上にも臆した様子を見せなかった。

 どうやら、この場を取り仕切っている人物らしい。

「いま、巡回のパトロール中でしてね。こちらの様子が目に入ったので声をかけさせていただいたんです。これは焚火ですか?」

「だから、なんです。警察の許可がいちいち必要なんですか?」

「ただの焚火でしたら問題ありませんよ」

 矢上は笑顔を浮かべながら、竹籠を顎で指す。

「ところで、そちらの方が背負ってる籠の中身はなんですか? いまから焚火と一緒に燃やすんですよね? 中身を見せていただいてもいいですか?」

 竹籠を背負った人物が俯く。その場に強い緊張が走るのがわかった。

 誰も動こうとはしない。

「ちょっと、失礼しますね」

 矢上のほうから竹籠に近づこうとしたが、すぐに対峙していた仮面の人物が進路を塞ぐように立ちはだかる。

「勝手な所持品検査は違法ではないでしょうか?」

「取り出すわけじゃありません。中身を覗くだけです」

「拒否します。強制する権限はないはずです」

「では、あちらの焚き木はどうです?」

 急に矛先が変わり、仮面の人物は肩を震わせた。

 焚き木の下には大量の枯れ草が敷かれている。一見すると、ただの草木だが、ここまで近づいたことで矢上も気づけた。

 枯れ草から大麻特有の甘い匂いがすることに。

「あの枯れ草を検査したいので持ち帰らせていただいてもいいですか?」

「拒否します」

「いいんですか? 後日、捜索差押許可状を持って、強制捜査することもできるんですよ?」

「脅しですか?」

「どう捉えるかはご自由に」

 話しながら、矢上は視界の端にも意識を向ける。仮面の人間たちのほかに、じりじりと近づいている影がある。それも複数。矢上に向かって殺気を放っている。

 矢上を取り押さえるつもりらしい。

 すでにこちらは傷だらけの身で、味方はいない。全員で向かってこられたら、まず勝ち目はない。

 矢上の首筋に脂汗が滲む。頭上からはブーンという虫の羽音にも似た回転音がかすかに聞こえた。

 動揺を気取られないよう、矢上は話を続ける。

「まずは仮面を取って、話をしたらどうです?」

「大事な集会の途中なんです。どのような格好をしようと自由なはずです」

「なるほど。集会ですか」

 矢上はとぼけたフリをしながら、

「その集会というのは、オリベ童子となにか関係があるのですか?」

 相手の反応は劇的だった。仮面の裏でどよめきと動揺が広がっているのがわかる。

 子どもたちの唄に出てきたのは「オリベ」だ。「オリベ童子」とは一言もいっていない。

 いまのは一種の通告だ。

 こちらはすべてを承知している、という意思表示である。

「いったいなんの集会をしていたのか。詳しく聞かせてもらいましょうか」

 背後から間合いを詰めてくる気配があった。脇のホルスターから警棒を抜き取り、応戦。後ろからバットを振りかざそうした男の手首を強打した。男はバットを落としたが、さらに2人目、3人目が矢上に接近してくる。

 矢上は続けざまに捌こうとするが、脇腹に鈍い痛みが走った。うめいている間に、男たちが矢上を取り押さえ、地面に転がした。

 上からのしかかられ、身動きが取れなくなる。強く身体を圧迫される。

 仮面の女たちが取り押さえられる矢上を見下ろしている。

 まるで虫を見るような目つきだ。

「お前たち。俺を、どうする、気だ」

「処分します。儀式の妨げになるので」

 矢上の問いかけに、仮面の女は興味がなさそうに淡々と答える。

 それでもしつこく矢上は問いを重ねた。

「処分、というのは、殺す、という意味か? それはあんたたちの総意、なんだな?」

「そんなことを、あなたに答えて、なんの意味が?」

 仮面の女は心底うんざりしたような声で答える。矢上はやせ我慢の笑みを浮かべた。

「悪いが、こっち、も、そういう仕事、なんでねっ」

 ぽとん、と地面になにが転がる。

 仮面の女たちが一斉に周囲を見渡す。

「あとは、取り調べで、ゆっくり、話す、んだな」

 次の瞬間、あたりに催涙ガスが充満した。咄嗟に矢上は瞼を閉じ、顔を伏せてやり過ごす。

 続々と駆けつけてくる重い足音。SITだろうか。

 怒号と悲鳴が聞こえる。

 仮面をつけた連中が取り押さえられていくのがわかる。

 こちらにのしかかっていた者たちも矢上から引きはがされる。拘束が無くなり、一気に呼吸が楽になった。

 催涙ガスの持続効果は数分。まだ目を開けるわけにはいかない。大人しく地面に伏せていると、自分の顔になにかが押し付けられた。

「どうぞ、ガスマスクです」

 涼やかな声に促されるまま、矢上はガスマスクを着け、立ち上がった。

 白い煙が地面を覆う中、仮面を着けた者たちが地面に伏せられ、手錠をかけられていく。対応する捜査員たちは防刃装備をフルに着用していた。

 その中で、ガスマスクを着けた真鶴がこちらに顔を向けている。

「ひどい怪我ですね。動けますか?」

「ええ、ぎりぎりですけどね。私のことより、岡崎ですが――」

「先ほどSITが部屋に突入し、岡崎巡査部長を保護しました。これから病院に搬送ですが、意識ははっきりしています。手錠をかけらていた男も連行されています」 

 矢上は安堵しながら、頭上を見上げる。

 ブーンという回転音を発しながら、ドローンが上空を旋回している。

 警視庁に配備されたのは知っていたが、矢上も実物を目にするのは初めてだった。

「矢上主任がきっかけを作ってくれたおかげで、こちらも突入できました」

「いえ。すぐに助けは来るだろうと踏んでいたので」

 そう言って、手首に巻いた五色の紐のお守りを掲げる。

「発信機を仕込んでたんでしょ? さっき触ってるときに気づきました。近頃じゃ、数年単位で駆動できる発信機もあるそうですからね」 

「念には念をです。部下が神隠しに遭った際の対策になるかと思いまして」

 冗談を言っているわけでないのだろう。つっこむ気力もない。

 矢上と対峙していた仮面の女性はSITの捜査員に取り押さえられていた。「失礼」と言って、真鶴は女性の仮面をめくった。

 久能早苗ではなかった。

 捜査員によってすでに押収された竹籠の中身も覗く。

 入っていたのは、浄衣を着させられた小さなマネキンだった。

「どういうことだ?」

 久能早苗は、オリベは、どこにいるのか?

 真鶴は他の捜査員に確認を取るが、久能早苗の部屋にも姿は見当たらなかったらしい。

「騒ぎに乗じて、逃亡したのでしょうか?」

「団地の周辺は厳重な包囲網が敷かれています。見落とすとは考えにくいですが……」

 言いかけた真鶴は不意に顔を上げた。

 まっすぐ給水塔のほうを見つめている。

 真鶴だけではない。外の様子を窓から伺っている子どもたちも、不安げな顔で給水塔に視線を向けていた。

 催涙ガスが薄れる。真鶴はガスマスクを外すと、まっすぐ給水塔へと向かった。

「係長!」

 痛みを堪えながら、慌てて矢上も追い縋る。指紋を残さないよう手袋をはめると、真鶴は給水塔の扉を開けた。

 ぎいっと軋んだ音を立てて、扉が動く。

 中は薄暗く、じめっとしている。まるで土蔵の中にいるようだ。

 そしてなにより、空気が妙に生暖かい。

 稼働していない電動ポンプのほか、頂へと続く螺旋階段がある。

 スマートフォンのライトを点けると、真鶴は階段を上り始めた。

「ここに、久能早苗が潜伏しているとお考えなんですか?」

「わかりません。ただ、感じるんです」

「感じる? なにをです?」

 真鶴はなにも答えない。ただ、強い確信を抱いてるかのように歩を進める。矢上も上司の背中についていった。

 螺旋階段を上りきる。円周になっている廊下にたどり着いた。

 ぐるりと一周きた廊下から見下ろす形で、貯水槽タンクの外蓋が鎮座している。

 蓋に付けられたハッチから中に入る構造になっているようだ。

 真鶴は外蓋に降り立つと、ハッチを開けた。貯水槽は長年使われていないはずなのに、容易くハッチは開いた。

「矢上主任、来てください」

 矢上は怪我した箇所を庇いながら、外蓋に降り立つと、真鶴のもとへ寄った。

 ハッチを覗き込むと、中へ降りるためのハシゴがついている。さらに貯水槽の中には明かりがついていた。

 真鶴は梯子を伝って、さっさと下へ降りる。少しは怪我人を気遣ってほしいと思いながら、矢上も踏ん張って梯子を降りた。

 貯水槽タンクの中は部屋になっていた。わざわざ床板を張り、人が住めるようになっている。壁にはひな壇が設けられ、たくさんの玩具やゲーム、漫画が飾られていた。床にはお菓子の袋が散乱していた。まるで子ども部屋のようだ。

 そして部屋の中央には8畳ほどの畳が敷かれている。畳の四方はカーテンで閉ざされ、まるで畳に潜むものを隠しているかのようだった。

 矢上はカーテンを開けた。誰もいない。畳に触れると、かすかな温もりを感じた。

 ここには人がいた。いなくなってから、そう時間は経っていない。

 寸前で連れ去られてしまったのか。

 給水塔の入り口も、この部屋へ来るまでのルートもひとつしかなかったのに、どこかで見落としがあったのか。

「係長。一旦ここを出ましょう。団地じゅうの部屋をガサ入れして、被疑者だけでも確保しないと――」

 真鶴警部はひな壇のある一角を見つめていた。矢上は後ろから覗き込む。

 他の棚には玩具が飾られている中、そこだけ古い文庫本が並べられている。

【黄泉の国のアリス 著者:樋川キャロル】

 表紙を見ると漫画のイラストが描かれている。たまに書店に行くと見かけるタイプの小説だ。ヤングアダルト小説、いまどきはライトノベルというのだろうか。

「隠れても無駄ですよ」

 真鶴は呼びかけた。本に向かってではない。ひな壇は3段構成になっており、ちょうど大人が屈んだくらいの高さがある。

 人ひとりなら、容易に隠れられるだろう。

「団地は完全に包囲されています。ここにいくら息を潜めても、もう逃げ場はありません」

 誰も出てこない。

 最後通告のように真鶴は言った。

「オリベ童子の加護はありません。我々がここに来たのがなによりの証拠です。あなたは見放されたんです。大人しく出てきてください、笹木瑞穂さん」

 笹木瑞穂。

 被害者のうちのひとり。殺された笹木家の長女ではなかったか。

 唖然とする矢上の中で、次々とピースがハマっていく。

 被害者たちの身元を保証しているのはDNA鑑定のみ。頭蓋骨が損壊していたため、デンタルチャートによる歯型の照合は取られていない。

 さらに久能早苗は笹木瑞穂から骨髄移植を受けている。久能早苗の血液中にあるDNAが笹木瑞穂のDNAと入れ替わっていたとしたら。

 事件当時、笹木邸を訪問した久能早苗が殺され、DNA鑑定の結果、遺体が笹木瑞穂として扱われていたのだとしたら――

 ひな壇が動いた。空洞になっていた壇の内側から、影法師が立ち上がる。

 黒衣の女、笹木瑞穂だ。

 先日、矢上が会ったときのような微笑は浮かべていない。疲れ切った表情をこちらに向ける。守部や久能早苗という仮面が割れたせいかもしれない。

「どうして、私がここに隠れているとわかったの?」

 瑞穂が力なく問いかけると、真鶴はあっさり答えた。

「刑事の勘です」

 瑞穂の足元で小さな影が動く。子どもほどの大きさだ。すぐに真鶴と矢上は影のもとに駆け寄った。

 その人物は垢まみれの浄衣を着て、床に這いつくばっていた。白髪のやせ細った女性である。年齢は60代後半から70代といったところか。

 履いている袴の膝から下が垂れ下がっている。

 真鶴は彼女のもとに跪いた。

「あなたが、オリベですね?」

 オリベは眠たげな目をしている。こちらの言葉に反応した様子はない。認知症を患っているのかもしれない。

 すると真鶴はそっとオリベの手を取ると、皺だらけの手を優しくさすった。

 相手が目を見開く。

 なにかに気づいたように口を開け、真鶴の頬に手を伸ばした。

「さっちゃん」

 オリベは笑いながら、泣いていた。声を震わせながら、何度も呼びかける。さっちゃん、さっちゃん、さっちゃん、さっちゃん。

 真鶴警部はなにも答えない。矢上は、真鶴警部とオリベの顔を見比べていた。

 気のせいだろうか。ふたりの顔立ちは似ている気がした。

「あなた、いったい誰なの?」

 瑞穂が訝し気に問いかける。

 真鶴は立ち上がると、警察手帳を示した。

 警視庁の記章がついた警察手帳には、彼女の階級と名前が記されている。


【警部 真鶴紗代子】


「笹木瑞穂さん。あなたには殺人と放火の罪で逮捕状が出ています。ご同行いただけますか?」

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