矢上・8

 事件当時、石原璃子は六本木のガールズバーで働いていた。

 そこで客として来ていた笹木勇輔と知り合い、交際関係に発展したという。

 さらに勇輔は多額の金を石原に貢いでいたことが判明。捜査本部では石原璃子こそが事件当時、笹木家を訪れた人物であると目し、重要参考人として取り調べを続けた。

 結局、彼女は最後まで犯行を否認し続けた。起訴に足る証拠もなく、捜査本部の縮小に伴い、自然と石原への追及も止まることとなった。

「ガールズバーで働きながら、オカルト系のライターも兼任ですか。変わってますね」

「事件当時はまだ学生だったはずだ。民俗学専攻の院生だったんじゃないか?」

 調べたところ、事件の影響で石原は大学院を退学。その後、フリーライターに転向したらしい。

 出版社に問い合わせたところ、彼女は現在、杉並区のアパートに住んでいるという。事前に連絡はいれたものの、応答はない。

 仕方なく、矢上たちは直接、石原璃子の住むアパートを訪ねることにした。

 静かな住宅街の一角にあるアパートは2階建てで、錆びてぼろぼろになった外階段がどこか昭和の風情を感じさせる。

 軋み音ともつかない足音を鳴らしながら、2階へあがると、石原璃子が住む部屋のチャイムを押した。

 扉の向こうでドタドタと床を踏み鳴らす音が聞こえたのち、ゆっくりと扉が開いた。チェーンのついた扉の隙間から、たるんだ肌の女が顔を覗かせる。 

「なに? 営業なら断ってるけど」

「石原璃子さんですね? お尋ねしたいことがあるのですが」

 矢上たちが警察手帳を取り出すと、途端に石原の顔色が変わる。あからさまな嫌悪と警戒が相手の表情に表れていた。

「笹木さん一家の事件について捜査をしています。少しお話を伺わせても――」 

 最後まで言い切る前に扉が閉められる。しかし、石原の動きを察知した岡崎がドアノブを掴み、閉められるのを阻止した。

「離せ! てめえら、いまさらなにしに来た!」

「落ち着いてください、石原さん。事件のことで少し確認したいだけです。話を聞いたら、すぐに帰ります。だから――」

「うるさい! 警察の言うことなんか信用できるか!」

 石原は吼えると、ドアの隙間から靴を投げつけた。咄嗟に矢上は顔を腕でかばうが、その隙に石原はドアを閉め、鍵をかけてしまう。

「石原さん!」

 岡崎はドアを何度も叩くが、応じる気配はなかった。

「どうします?」

「下がるしかないな。名刺だけは置いておこう」

 矢上は自分の名刺をドアの郵便受けに入れる。もう一度ノックし、扉の向こうにいる石原に呼び掛けた。

「今日来たのは、あなたへの容疑ではありません。石原さんが獏堂ユメとして、10年前に掲載した記事について確認したかったんです」

 部屋の向こうから、返事は来ない。

 矢上の話が届いているのかも、こちらからはわからない。

「あなたは昔、オリベ童子について記事を書いていた。我々はこのオリベ童子なるものが、事件に関わっていると考えています。気が向いたらで構いません。郵便受けに名刺を入れておきましたので、そちらの連絡先にご連絡ください」

 それでは、と言い残し、矢上たちは部屋の前から立ち去る。

 階段を降りようとしたところで、ギイとドアが開く音がした。

 石原が外廊下に姿を現し、矢上たちを見ていた。

 敵意が薄れている。その代わりに、なにかを推し量るような目でこちらを見ている。

「……なんで警察がオリベ童子のことを?」

 矢上は緊張しながらも、下手な誤魔化しはせず、答えた。

「笹木さんの関係者からある証言が出てきたんです。詳しくはお話できませんが、証言をもとに捜査したところ、あなたの記事に行きつきました」

「その証言って、ユウくんの家にいた幽霊の話?」

 矢上と岡崎は揃って息を呑んだ。

 刑事ふたりの反応を見て、石原は大きく息を吐くと、先ほどの怒りがウソのように抑揚のない声で言った。

「お入りください。狭いところで悪いけど……」

 部屋は玄関に入ったところから、脱ぎ散らかした服で溢れ、キッチンには現れていない食器が置きっぱなしになっていた。居室のほうは、万年床の布団が部屋の隅に敷かれ、大量の本や段ボールが山積みになっている。

 石原は床に散らばっている物品を足先でどかし、スペースを作ると、座布団の上に座る。矢上たちも申し訳程度に空いた場所に立った。

 立ち尽くす刑事たちをじろじろ眺めると、石原は

「ユウくんって、ほんとに幽霊に殺されちゃったの?」

 と、尋ねた。

 矢上は慎重に言葉を選びながら尋ねる。

「なぜ、そう思われるんです?」

「言ってたからね。いつか、自分の家の幽霊に殺されるって。よく相談も受けた」

 なんにもできなかったけど、と小さな声で付け加える。

 矢上は彼女のプロフィールを思い返す。笹木勇輔と交際していた当時、石原はまだ学生だった。オカルト系のフリーライターの活動を始めたのは、事件後だと聞いている。

「笹木さんとは、よくそういう話をされたのですか? つまり幽霊に関する話を」

「ええ、まあ。と言っても、私はあんまり心霊とか信じてないけど」

「オカルト系のライターなのに?」

 隣の岡崎が意外そうに聞くと、石原はおかしそうに笑った。

「ユウくんもおんなじこと言ってた。なんで幽霊の研究してるのに、幽霊を信じてないんだって」

「幽霊の研究?」

「私、民俗学の専攻で、平安時代の陰陽道についての論文を書いてたの。加持祈祷とか。刑事さんたち、知ってる?」

 と聞かれて、岡崎と顔を合わせる。

 刑事ふたりが揃って、ピンとこない顔をしてるのを見て、石原は肩を下ろした。

「別にいーけど。あの事件で騒がれちゃったせいで、大学院にはいられなくなっちゃったし」

 岡崎は言葉に窮した。なぜ彼女がオカルト系のライターに転身したのか察したからかもしれない。

「仕事も学費を稼ぐためだったそうですね」

「奨学金を早く返したかったの。人文で院に行くと就職先なんて全然ないから」

「勇輔さんと知り合ったのもお店での勤務中だったとか」

「そう。ユウくんが仲間を引き連れて店に現れたの」

 生前の笹木勇輔は相当の浪費家だったらしい。ろくに働きもせず、実家の金で日夜、夜の繁華街に繰り出していたという証言がいくつも挙がっている。

 まだ半グレという言葉がなかった時代、反社会的勢力との繋がりもあった疑いがあり、良くも悪くも笹木勇輔の交友関係は当時の捜査本部の注目を集めていたのだ。

「笹木勇輔さんの第一印象はどうでしたか?」

「最悪だったよ。飲み方は汚いし、偉そうだし」

 でも、と石原は懐かしそうに続けた。

「時々、妙に怯えた目つきをしてさ。それが印象に残ってた」

 勇輔の卓についた石原はしばらく、勇輔とその取り巻きたちの接客をしていた。

 一緒にいた取り巻きたちはベンチャー企業の社長を名乗っており、勇輔は彼らの事業を支援するエンジェル投資家を自称していた。

 いわゆるスポンサーである。

 しばらく勇輔の自慢話に耳を傾け、相槌を打っていた石原だが、ふとした拍子に勇輔がこちらの身上を訪ねてきた。

 深い理由はない。ただの話の流れだったという。石原は正直に自分が学生であること、奨学金の返済資金を貯めていること、民俗学の専攻であることを打ち明けた。

「そしたら、あいつ、ぐいぐい話に食いついてきてさ」

 特に勇輔の興味を引いたのは、石原が当時研究テーマとしていた陰陽道についての話だった。

 ゼミ生でもこんなに熱心になることはないだろうという真剣さで次々に質問を繰り返した。その後も勇輔は店に通うようになり、奨学金の返済も手伝うと話し、交際へと発展したのである。

「なにが勇輔さんの興味をそこまで引いたのでしょう」

「知らない。ただ、式神とか加持祈祷とかの話にはやたら詳しかったんだよね。そういうの興味なさそうなのに、どこで知識を仕入れたんだろうって思ってた」

「どこで知ったか、訊ねたりはしなかったんですか?」

「聞いても教えてくれなかった。ずっと答えをはぐらかすだけで」

 しかし一度だけ、確信に近いことを漏らしたことがあるという。

 その日、勇輔は石原の部屋に泊まりに来ていた。当時石原は溜池山王のマンションに住んでおり、勇輔は高価なワインを持って部屋を訪れていたのだ。

 ふたりでワインを開けながら、酔いに任せて歓談し、愛を交わし合った。

 だがその日の勇輔はひどく疲れた様子で、いつもより早く酔いが回ったという。

 飲むのをやめるように制止しても、勇輔は飲み続けた。

 なにかあったのかと聞くと、こう答えたという。「オリベ童子に殺される」、と。

「勇輔さんはオリベ童子をなんと説明したんですか?」

「自分の家にいる幽霊、としか。それ以上はいくら聞いても教えてくれなかった」

「答えたくない理由でもあったのでしょうか」

「わかんない。でも、話を聞こうとするとユウくんはこう言ってた」

 奴を知ろうとするな。

 祟られるぞ。

「その後、勇輔さんとはオリベ童子のことについて話は――」

「してないよ。だって、その話をしたの、事件の1週間前だし」

 石原は笑いながら、指先をこすり合わせる。いまも肌に残る誰かの温もりをなぞるように。

「あれが、ユウくんと過ごした最後の夜だった」

 ビュッと吹いた風で部屋の窓が激しく揺さぶられた。換気扇の回転音が何者かの鼓動のように矢上たちの鼓膜を打つ。

 いつの間にか窓から差し込む陽射しがなくなり、部屋は濃い影に覆われる。

 得体のしれない雰囲気を晴らすように、岡崎が口を開いた。

「前回の取調べで、いまの話はされたんですか?」

「したよ。でも、あんたらは全然聞く耳をもたなかった。どうせ昔の調書にも、いまの話なんか書かれてないんでしょ?」

「……お恥ずかしい限りです」

 矢上は当時の捜査本部の状況を思い返す。

 捜査員たちは管理官からプレッシャーをかけられ、マスコミからは動向の揚げ足を逐一とられ、極限のストレス下に置かれていた。参考人に対し、一種のバイアスに基づいた取り調べを断行する傾向も確かに強かった。

 彼女の話に誰も耳を貸さなかった。

 取り調べを担当した捜査員も、当時捜査に参加していた矢上も。

 石原は棚に置かれた緑色のカードを手に取った。ドナーカードだ。古いカードなのか、表面が汚れている。

「これ、ユウくんの。あいつ、うちに置き忘れていきやがったんだよね」

「勇輔さんのドナーカード?」

「お姉さんが骨髄バンクに登録してたらしくてね。自分もいいことがしたい、とか言って登録したの。ほら、見てよ」

 ドナーカードの裏面には、乱れた筆致で『笹木勇輔』の署名がなされており、脳死後に移植する臓器にはすべて丸がつけられている。

「ぜーんぶ丸つけてんの。自分は健康体だから役に立つって」

「瑞穂さんのように骨髄バンクの登録ではないんですね」

「注射が怖かったのよ。あれ、腰に太い針を刺すんでしょ? お姉さんがやってたのを見て、ビビったみたい。そういうとこが小物なんだよ」

 石原は笑った。

「脳死になったあとなら、なんでもくれてやるとか豪語してたのに。肺も心臓も腎臓も、あげられる物は全部黒コゲになっちゃった。世話ないよ、ほんと……。次会ったら、返そうと思ったのに……これが形見になっちゃった」

 ひとしきり笑ってから、咽び泣きに変わった。

 岡崎が労わるように近づくと、石原は強い眼光をこちらに向ける。

「なんで……、なんでいまさら来たの! 私はずっと、ずっと話をしていたのに! 遅すぎるんだよ、来るのが!」

 矢上は唇をかみしめる。隣の岡崎も堪えるように手を握りしめていた。

 事件によって、彼女の人生も大きく歪んだ。愛する者を奪われ、自分の夢も諦めざるを得なくなった。

【どなたかオリベ童子を知りませんか?】

 彼女がどんな想いであの記事を投稿したのか。いまならわかる。

「あなたは警察の代わりに手がかりを探そうとしたのですね。だからオリベ童子を調べようとした。違いますか?」

 石原は頷きも同意もしなかった。座布団から立ち上がると、下段がキャビネットになっている本棚の前に立つ。引き出しから、紙の束を取り出す。

「お探しの、例の記事をプリンアウトしたもの。残っている記事はこれだけです」

「データはないんですか?」

「それが、サーバーにあげた瞬間、原稿データが消えちゃったの。だから、記事を読んだ人間は誰もいない」

 矢上は、以前の真鶴から聞いた話を思い出す。犯人が乗ったと思しき車両の記憶映像が謎のアクシデントで消失した件と重なったためだ。

「祟られても責任はとれないけど、いい?」

「あなたが責任を取る必要はありません。仕事ですから」

 しかし、と矢上は気になっていたことを尋ねる。

「なぜ、我々を信用してくださるのですか? あなたは警察を憎んでいたのに」

「私の話を聞いてくれたから。あとは、それかな」

 石原は矢上の手首に巻かれた五色の紐を指さした。

 真鶴警部から渡された厄除けの紐である。

「私を疑った警官はいっぱい見てきたけど、そんなのを着けてる刑事さんは初めて見た。本気で幽霊を追いかけるつもりなんだって、わかったから」

「……ありがとうございます」

 矢上は頭を下げて、紙束を受け取る。隣の岡崎も神妙な面持ちで紙面を覗き込んだ。ふたりは早速、その場で原稿の確認を始めた。


 ◇◆◇


【どなたかオリベ童子を知りませんか?】

 

 知人から、こんな話を聞いた。

 曰く、その人の家には「オリベ童子」なる神様がいるのだという。

 子どもの姿をしていること以外はわからない。どのような神様なのか、どんな御利益を、もしくはどんな災厄をもたらすのかも、知人は教えてくれなかった。

 なので情報提供の呼びかけという目的でこのような記事を書いている。昔の新聞広告によく掲載されていた尋ね人に近い。

 とはいえ、これでは記事にならないので、私なりの考察を記したいと思う。


 知人は、オリベ童子を家に居つく神だと話した。さらに記せば、知人の家は大層な資産家である。まさにザシキワラシが居ついている、と言われても信じてしまえるほどに。

 そうしたとき、引っかかる点がある。

 なぜ、知人は自分の家に居つく神をザシキワラシと呼ばなかったのか。

 それはつまり、我々がよく知るザシキワラシにはない特性が、オリベ童子にあるためかもしれない。

 そもそも、オリベ童子のオリベとはどういう意味なのか。

 素直に考えるなら、オリベのオリは檻であろう。そして本当に檻であるとするなら、次のふたつの意味が連想される。

 なにかを檻に閉じ込める子どもか、あるいは檻に閉じ込められた子どもそのものか。

 私は知人に、オリベ童子に会うことができないか訊ねたが、断られた。知人によると、大人は嫌われるらしい。

 オリベ童子は家の中心に祀られている。その場所には選ばれた人間のみ立ち入ることができるという。昔は入れたが、もういまは入る資格がない、とも教えてくれた。

 私がオリベ童子について書ける話はここまでだ。知人から聞くことはできない。

 オリベ童子の話をした数日後、知人が亡くなったからだ。

 どのように亡くなったかは、ここでは記せない。

 

 だからこそ、心当たりがある方はどうか連絡してほしい。

 オリベ童子とはなにか、私に教えて欲しい。

 

 知人の家は、どんな神を祀っていたのだろうか。

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