矢上・7
『ひだまりの家』卒園生、
中学卒業と同時に『ひだまりの家』を退園。その後、建設業の会社に就職したが、欠勤を繰り返すようになり、1年も経たず解雇されている。
その後、特殊詐欺グループの売り子を務めていたが、逮捕され、少年院に入所。そのまま、ある施設に強制入院させられていた。
NPO法人が運営する薬物依存症回復センターである。
許可された面談時間は30分。施設に到着した矢上たちは職員に部屋まで案内してもらいながら、質問する。
「阿部さんはいつから薬物を?」
「わかりません。本人は『ひだまりの家』を退園後、職場の先輩に勧められたと話していますが……」
矢上の質問に対し、職員は口を濁す。岡崎は先を促した。
「なにか引っかかる点が?」
「本人に聞き取りをしたところ、幼い頃から幻覚を見ていたと話しているんです。他にもマリファナ中毒の症状らしき話がいくつか」
「『ひだまりの家』に入所していた頃から、薬物を?」
「わかりません。ただ、長期にわたって服用していたのは間違いないです」
笹木家の邸宅に招かれていた『ひだまりの家』の元入居者。施設長から聞かされた7人のうち、5人は死亡。残るひとりも重度の薬物障害で昏睡状態に陥っている。聞き取りが可能なのは、阿部達也のみだった。
5人の死亡理由はさまざまだ。
転落、交通事故、水死、線路への転落、縊死。自殺だと確定しているのは1件だけで、他は事故なのか判断がついていない。
しかし、5人とも中学生にあがる頃、メンタルクリニックを受診しており、統合失調症と診断されている。幻覚や幻聴、抑うつ症状を示していたらしい。
7人とも薬物中毒に関わる症状を示している。あの施設長がトージくんについて誤魔化そうとしたのも、卒園者が起こした不祥事を隠したかったためだろう。
あるいは、『ひだまりの家』では日常的に薬物が蔓延していたのか。
それは、トージくんの行方となにか関係があるのか。
職員はある部屋で立ち止まる。こちらです、と告げてから、扉をノックした。
「達也君、いいかい? 入るよ」
引き戸を開ける。カーテン越しに柔らかな日差しが入った部屋には、テーブルが1基、椅子が4脚置かれている。窓の縁には観賞用のサボテンが飾られ、部屋に彩りを添えていた。
テーブルには、一人の男性が座っている。
土気色の肌に、痩せこけた頬。目の下には隈ができている。なにも言われなかったら、40代に見えただろう。とても20代前半の若者とは思えない。
右手の爪を噛みながら、落ち着きなく視線をキョロキョロと動かしている。テーブルの下ではしきりに貧乏ゆすりを繰り返していた。
矢上と岡崎は互いに視線を交わす。矢上は懐から警察手帳を取り出した。
「はじめまして、本庁の矢上です。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「警察が、なんの用?」
阿部の声は見かけよりもずっと幼く聞こえる。ある時を境に精神の成長が止まった、そんな印象を受けた。
「昔の話を聞かせてもらいたいんです。時間は手短に済ませます」
矢上は写真を取り出した。生前の笹木香織、および笹木瑞穂の写真を見せる。
「笹木さんの件です。覚えていますか? 笹木香織さんのこと」
あれほど世話しなかった眼球の動きが急に止まった。右手が口許から離れる。半開きになった唇の端からはよだれが零れ落ちる。
「香織おばさん。瑞穂姉ちゃん」
「そうです。このふたりは『ひだまりの家』のボランティアに来られていた。あなたも面識はあるはずですね」
「香織おばさん、瑞穂お姉ちゃん、香織おばさん、瑞穂お姉ちゃん」
まるで振り子が切れたように、阿部はおなじ言葉を繰り返す。
そばにいる職員が緊張している。しかし、矢上はあえて質問を重ねた。
「笹木香織さんは定期的に『ひだまりの家』の入居者を自宅に招いていました。あなたも招かれた子どもたちのひとりだった」
「香織おばさん、瑞穂お姉ちゃん、香織おばさん、瑞穂お姉ちゃん、勇輔くん、瑞穂お姉ちゃん、勇輔くん、圭吾おじさん」
「笹木香織さん。笹木圭吾さん。笹木瑞穂さん。笹木勇輔さん。あの家にはもうひとり、誰かがいたのではないですか? その人物に会っていたのでは――」
「おりべ」
阿部はぽつりと呟いた。
オリベ。聞き覚えのある言葉だ。
すると隣にいた岡崎が興奮気味にスマートフォンに文字を打ち、画面を示した。
『ひだまりの家 子どもたち うらない!』
園庭で遊んでいた子どもたちの『かごめかごめ』に出てきた言葉だ。
おりべ。おりべのなかのトージさま。
「オリベ、ですか? トージくんではなく?」
「オリベだよ。オリベ……オリベ……オリベオリベオリベオリベオリベオリベ!」
急に阿部は頭を掻きむしり、テーブルに突っ伏した。
「なんでっ、なんでだよ。もう、関係ないだろ……。俺はっ、関係ないだろ!」
慌てて職員が取り押さえる。獣のような唸り声をあげる阿部を前にし、彼らは制止の視線を送ってきた。だが、矢上は追及を続けた。
「教えてくれ。オリベってのはなんだい? トージくんとなんの関係があるんだ?」
「トージ?」
ゆっくりと阿部はテーブルから顔を持ち上げる。
肩が痙攣したように震えはじめた。口が半開きになり、ゆっくり両の端がつりあがって、三日月に変わる。
歯をむき出しにした、威嚇のような笑みだ。
「大事なのは中身じゃない。オリだ。オリなんだよ」
「頼む。わかるように言ってくれ。中身ってのはなんだ。トージくんじゃないのか?」
「ドウジ! トージじゃない、ドウジだ! みんな、まちがえてる! ドウジ……ドウジ……そうだよ、あの家にいたのは、ドウジだ。ドウジなんだ!」
アハハハ、アハハハハハ、アハハハハハハ!
耳障りな笑い声が部屋中に反響する。
阿部はふらふらとした動きで立ち上がり、矢上と岡崎を見つめる。見つめているというより、視界に入ってるだけかもしれない。瞳の焦点が定まっていない。
「あーそびましょー、あーそびましょー。オリベさまとーあそびましょー」
まるで誰かを遊びに誘うように呼びかける。いったい誰への呼びかけなのかはわからない。そのまま、阿部はなにかを唱える。
おーりべー おーりーべ
おりべのなーかの トージさまー
いーついーつ でーやーるー
唄っている阿部の額に脂汗が滲みだす。途中で何度もつっかえながら、それでも唄い続ける。
よーあけーの ばんにー
つーると かーめが すーべった
だんだんと呼吸が荒くなる。瞳孔が大きく開かれる。
無理やり最後の一節を吐き出す。
うしろのしょうめん だあーれ?
矢上は、阿部の眼を見つめる。彼はいま、目の前の刑事のことなど見てはいない。ずっと矢上の背後を見ている。
後ろを振り返るが、そこには誰もいない。
「あ……ああ……ああああ……!」
阿部は床にうずくまり、頭を抱えた。なにかに怯えるように頭を掻きむしる。
「俺を選ばないでくれ、俺を選べないでくれ。オリベになんてなりたくない、なりたくない、なりたくないんだっ!」
慟哭とも、咆哮ともつかない声をあげた。
職員は何度も阿部に声をかけ、落ち着かせようとする。矢上は最後に質問を重ねようとするが、別の職員が遮るように立ちはだかった。
「これ以上は無理です。お引き取りを」
面会時間はまだ15分も残っている。
しかし無理強いができないのはわかった。阿部からの聴取は諦めざるを得なかった。
◇◆◇
「――以上が阿部からの事情聴取の内容になります」
矢上はスマートフォンを手に、真鶴に連絡を取る。捜査結果は随時、報告するのが今回の再捜査の決まりになっていた。
しかし上司からの返答はいつもおなじだ。
『わかりました。引き続き、笹木邸から連れ去られた者の行方を追ってください。やり方はお任せします。方針の変更があれば、追って指示します」
電話を切ったあと、矢上は天を仰いだ。
やり方はお任せします? 気楽に言ってくれる。
だが、捜査手法について細かく口を出されたら、それこそ鬱陶しいことこの上ないので、いまくらいがちょうどいいのかもしれない。
とにかくいまは、上司の立てた方針に従うしかない。
捜査車両の助手席に戻ると、岡崎はスマートフォンの画面を睨みつけていた。
矢上はダッシュボードからタバコの箱を取り出す。
「矢上さん。この車両、禁煙ですよ」
「はあ? 喫煙できない捜査車両がどこにあんだよ」
「車内でタバコ吸ってる姿を市民に見られるとクレームが来るからやめろって、総務部から通達きてたじゃないですか」
「公務員には厳しい世の中だな」
矢上はぼやきながら、車内の天井を仰いだ。
オリベか。トージか。あるいはドウジか。
阿部達也はなににそこまで怯えていたのだろう。
笹木家の人間は子どもたちを邸宅に招き、なにをしていたのだろう。
邸宅に招かれた者たちのほとんどは不審な死を遂げている。死亡したのはみな、10代の後半。つまり思春期だ。
そして先ほどの職員の話によれば、阿部達也には『ひだまりの家』在籍時から、なんらかの薬物の影響と思われる症状が出ていたという。
笹木家の人間は薬物を子どもたちに使用していたのだろうか。笹木家の邸宅から薬物の痕跡は検出されていないが、火災現場によって消えた可能性は否定できない。それでも、なんのために? という疑問は依然として残り続ける。
ホームパーティが実施されたのは90年代末から事件発生までの12年間。笹木家の邸宅ではなにが行われていたのか。
そもそもなぜ、笹木香織は子どもたちを邸宅に招くようになったのか。
それ以前から香織は『ひだまりの家』のボランティアを行っていた。だが、90年代後半までそのような催し物は開かれていない。
子どもたちを邸宅に招くきっかけがあったというのか。
わからない。
疲れた頭を必死に回転させても、ろくな考えが浮かびやしない。
これも老いか、と諦観しながら、隣の若いペアを見やる。自分よりずっと若いはずの岡崎はいまだにスマートフォンを睨み続けていた。
「お前はいつまでスマホ見てんだ」
「試しにオリベを検索してるんですよ。特徴的な言葉だから、引っかかりそうな気がするんですけど」
「ネットの書き込みなんて、当てになるかよ」
「物は試しですよ。検索する単語の組み合わせを変えると、出てくる結果もかなり変わりますし」
「オリベとトージで検索すると、どうなる?」
「もう試しました。オリベとドウジでも。ただ、なんにも出てこないですね」
だが、矢上にも引っかかるものがあった。
ドウジ。阿部はずっとドウジを強調していた。
これを漢字に変換するなら、なんになるだろう。
子ども。わらべ。童子。
矢上はすぐに自分のスマートフォンを手に取り、検索アプリを立ち上げる。次の言葉を検索バーに入力した。
オリベ 童子
数件の記事が画面に表示される。
そのうちトップに表示された記事タイトルが矢上の目を引いた。
【どなたかオリベ童子を知りませんか?】
調べると、ヒットしたのはオカルト系雑誌のウェブサイトである。
サイトではウェブ限定の記事を掲載しているらしく、検索に引っかかったのは、記事の一覧が表示された目次のページだった。
だが、肝心の記事はリンクが切れている。記事の公開自体、10年近く前になるため、すでに記事のページ自体が存在しないのかもしれない。
すぐに矢上たちはウェブサイトを運営している出版社に問い合わせた。
記事を担当した編集者はすでに退職しており、記事の詳細はわからなかったが、執筆そのものは外部のライターに依頼したものだという。
執筆担当者の名前は、
本名は
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