矢上・6
季節は秋から冬に移り変わった。
矢上は岡崎とペアを組み、松濤事件の再捜査に当たっている。
犯人はなぜトージくんを連れ去ったのか。どこに連れ去ったのか。
そのためにはまず、トージくんの正体を突き止める必要がある。
岡崎には結城から聞いた証言や、トージくんにまつわる怪談めいた不条理な話も伝えている。子どもにしか見えない幽霊の話に対し、岡崎の反応はシンプルだった。
「トトロじゃないんだから」
とにかく本格的な捜査に関われることの嬉しさが上回っており、得体のしれない存在への恐れはまるでないらしい。
岡崎の単純馬鹿さがいまはとてもありがたい。
まずは笹木家の長男である勇輔、長女である瑞穂の小学校時代の同級生をあたり、トージくんの目撃談について聞き込みにあたったが、トージくんを知る人間は見つからなかった。
また事件当時、防カメを破壊した少年たちにもコンタクトを取ったが、いずれも「トージ君については覚えてない」の一点張りであり、最後まで話を聞くことができなかった。
しかし、これで線が消えたわけではない。
「渋谷区に、『ひだまりの家』って児童養護施設があるんだがな。笹木家はここに多額の支援をしてたんだ。捜査本部が立ち上がったとき、何度か名前があがったことがある」
「……金持ちの慈善活動ですか? なにか怪しいですね」
「支援していたのは笹木圭吾じゃなく、笹木
笹木圭吾は笹木家の婿養子である。
もともと笹木家は医師の家系であり、渋谷区で大病院を経営していた。笹木重徳は大病院の病院長として地元では知られており、慈善活動にも精を出していた。
「父親の縁があってか、香織はよく『ひだまりの家』にボランティアで手伝いに行っていたらしい。長女の瑞穂も同行していたそうだ」
「『ひだまりの家』の関係者に容疑者がいるってことですか?」
「施設関係者には皆、アリバイがあったからシロだと断定されている。問題にしたいのはそこじゃない」
「なんです?」
「笹木香織は定期的にホームパーティを開いていてな。たびたび施設の子どもたちを自宅に招いていたらしい」
岡崎が獲物の匂いを嗅ぎ取った狩猟犬の目つきに変わる。あまりに素直な反応に、矢上は苦笑してしまう。
こうして矢上たちは『ひだまりの家』への聴取を開始した。
◇◆◇
『ひだまりの里』は現在、12名の子どもを引き取っている。幼児から高校生まで、さまざまな年代の子どもが身を寄せ合って暮らしていた。
舗装された園庭には、冬空にも関わらず駆け回る子どもたちの姿が見えた。
「もう、香織さんたちの事件のことは世間から忘れられてしまったかと思っていました。事件の捜査になにか進展が?」
『ひだまりの里』の施設長である
「そんなところです。それにあたって、もう一度、被害者である香織さんたちのことを伺わせてもらえないでしょうか? 香織さんや長女の瑞穂さんがこちらでどう過ごされていたのかを知りたいんです」
「そう言われましても、警察にはもうすべてお話したと思いますが……」
長谷部は困ったように眉をひそめる。園庭からは相変わらず、子どもの笑い声が響き続ける。しばらく逡巡してから、立ち上がると、アルバムの並んだキャビネットに向かった。
「香織さんはとても子どもが好きな方でした。週に一度はこちらに顔を出して、いろんな催しを手伝ってくださっていたんです」
話しながら、長谷川は1冊のアルバムを取り出し、テーブルに戻った。開いたアルバムには色あせた写真が並んでいる。
園内で撮ったと思われる写真には、子どもたちに囲まれて朗らかに笑う女性の姿が映っていた。生前の笹木香織の写真である。
「こちらの園は、香織さんの御父上である笹木重徳さんから支援を受けていたそうですね。香織さんがこちらに来ていたのも、その縁で?」
「はい。苦労された方でしたから、ご両親との折り合いはよくなかったようですけど……」
笹木香織は大学に在籍中、子どもを妊娠している。相手の男は大学のサークルの先輩だったらしい。香織は産む選択をしたが、結婚はしなかった。
そのときに生まれた子どもが長男の勇輔である。
香織はシングルマザーとなり、幼い勇輔を抱えて、実家で暮らしていた。そして勇輔が4歳の頃、圭吾と再婚した。瑞穂は、当時の圭吾の連れ子である。
香織と瑞穂のあいだに血縁関係はなく、圭吾と瑞穂のあいだにも血縁関係はない。
「一時、重徳さんの病院の経営もうまくいかなくなって、当施設への支援も打ち切られそうになったことがあったんです。だけど、ちょうど圭吾さんと結婚した頃から持ち直すようになって、支援も再開されて……」
「持ち直すきっかけについて、なにか聞いてはいますか?」
「いえ、私はなにも。圭吾さんが尽力されたとは聞いていますが……」
笹木重徳が経営する病院が一時、破産寸前までいったのは事実である。当時バブルが弾け、土地の投資に失敗し、多額の負債を背負ったためだ。
だが、圭吾が婿入りした直後から、経営が持ち直し、重徳が亡くなったあとも、親族が病院経営を引き継ぎ、現在に至っている。
このため捜査本部では、病院経営を巡るトラブルが圭吾と親族のあいだで発生したのではないかと見ていた。
しかし、そもそも圭吾は病院経営に関わった形跡がなく、親族との交流もほとんどなかったという。病院経営が持ち直した理由もわかっていない。
「支援を再開された頃からでしょうか。香織さんがここへ手伝いに来てくれるようになったのは。子どもたちもすっかり香織さんに懐いて……。ちょうど瑞穂さんが中学生になられた頃から、彼女も手伝いにきてくれるようになったんです」
長谷部はアルバムをめくる。
そこには香織や子どもたちと並んで映る、制服姿の少女の姿があった。長女の佐々木瑞穂。中学生の頃の写真だろう。
頬にえくぼをつくり、あどけない微笑みを浮かべている。
「香織さんと瑞穂さんは仲が良かったのですか?」
「ええ、とっても。親子というより、仲の良い姉妹のように見えましたけど」
長谷部は懐かしそうに笑ってから、
「瑞穂さんはしっかりして、聡明で、優しい子でしたね。昔から看護師を目指されていて、たしか重徳さんのところとは別の病院で勤務されていたんですよね?」
「ええ。職場でも評価が高かったそうですね」
「そうそう。昔、交通事故に遭われて、九死に一生を得たとかで。いつだったか、ドナー登録もされたという話もしてくれて……」
急に長谷部は言葉を切った。唇を噛みしめ、アルバムから目を逸らした。なにかを堪えるように、肩が震えている。
「すいません。辛いことを思い出させてしまって」
「やっぱり、私、犯人が許せません。なんで、あんなに良い人たちが、こんな……」
そのまま感極まったように背中を丸める長谷部を、矢上は黙って眺める。
正直、あまり感情的になられると話を切り出しにくい。感情的になった人間は事実や所感ではなく、衝動的な言葉しか吐かず、自分が聞きたい言葉にしか耳を傾けなくなる。
聞きたいのはトージくんに関する話だ。長谷部の気持ちではない。
隣を見やると、岡崎はのんきに窓を眺めていた。
矢上はやんわりと岡崎の足を蹴る。そこで岡崎はこちらに向き直ると、急にしまりのない笑いを見せた。
「いやあ、ここの子たち、元気いいっすね。こんな寒いのに外ではしゃぎ回って」
場違いとも思える発言に、長谷部も涙を引っ込めた。
「うちの方針なんです。遊びはみんなで工夫して、仲良くやりましょう、って」
「なるほど。じゃあ、あれも工夫のひとつなんですかねえ」
岡崎はなんの気もない調子で、園庭で遊ぶ子どもたちを指さす。
4、5人の子どもたちが手をつなぎ、ぐるぐると回っている。傍目から見ると、『かごめかごめ』をしているように見えるが、輪の中心にはうずくまっている子どもがいない。
空っぽなのだ。
おーりべーおーりーべ おりべのなーかのトージさまー
いーついーつ でーやーるー
よーあけーの ばんにー
つーると かーめが すーべった
うしろのしょうめん だーれ
子どもたちが唄う節は聞き覚えのある『かごめかごめ』の童謡だが、歌詞が違う。
おりべのなかのトージさま。
「長谷部さん。トージくんという名前に聞き覚えはないですか?」
相手が息を呑むのがわかった。
長谷部はトージくんを知っている。矢上は追撃した。
「香織さんは児童養護施設の子どもたちをたびたび自宅に招いていた。その時に、トージくんに会っていたんじゃないですか?」
「さ、さあ、なんのことだか」
「では、先ほど子どもたちが行っていた遊びはなんです? トージさまとはなんですか?」
「し、知らない。知りません、私は、なにも……」
「長谷部さんっ」
泣いて誤魔化す隙は与えない。ここが相手の急所なのだ。
矢上の発した圧に、長谷部は青ざめた顔になった。
「本当に、知らないんです。ただ、あの遊びは……占いだって、言われてて……」
「占い?」
「香織さんの家で、子どもたちが教えてもらったと。それが、いまも施設の子どもたちに、伝わって……」
「笹木家の邸宅で教えてもらったんですね? 誰にです? 誰に教えてもらったんです?」
しかし長谷部はただ首を振るばかりだ。これ以上はなにも出そうにない。
矢上は岡崎に目を配った。
こちらの意図がどこまで伝わったのかわからないが、岡崎は持ち前の直感で自分のやるべきことを悟ったらしい。
いつもよりも柔らかいトーンで話しかける。飴と鞭作戦だ。
「先生は無理に話さなくていいです。よかったら、笹木家に行った子どもたちの連絡先を教えてはくれませんか? 大事な話なんです」
長谷部が口を開くまで、ずいぶんと間があった。
それから、ようやく観念したように告げた。
「行っても無駄だと思います。まともに話せる子はいませんから」
「どういう意味ですか?」
矢上が尋ねると、長谷部は教えてくれた。
笹木家の邸宅に遊びに行った施設の子どもは7人。
そのうち、5人は自殺し、生きているのはふたりだけ。
残りのふたりも、いまは薬物治療のために入院しているのだという。
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