第14話 予選会
今年の箱根駅伝予選会のスタート順は抽選ではなく、これまでの大会のタイム順だった。俺たちはシード校に続いて前から3番目のスタートとなった。
「昨年もタイム順だったら、結果も変わってたのにな。」
飯田が恨めしそうにつぶやく。まだ言うかよ。俺は微笑ましく見つめた。
ピストルの号砲とともに一斉に群れが動き出す。最初はとにかく早く走れと後輩たちには伝えていた。
俺は外側をキープして走り出した。カーブを曲がる時には多少大回りになるが、身動きが取れない昨年の苦しみに比べれば、全然大した事はなかった。
内側の選手の膝が俺の左膝に当たる。しばらくして再度また当たった。こいつ外側に出たいんだな。簡単に出してやるものかと並走を続けた。
「ガツン!」
今度は膝関節の隙間にピンポイントで、相手の膝がぶつかった。かなりの衝撃だった。
「おい!」
思わず相手を睨む。相手は知らない顔だった。1年か。相手はズルズルと後退していった。
昨日のミーティングの通り、中盤までチーム戦で行く。 1人が突出して速くても、10人目が遅ければ意味がない。チームの先頭は池山さん、ニ丸さん、そして山津が務めていた。
滑走路のカーブを曲りながらレースの先頭を確認する。先頭はなんと真っ赤なシャツ。オツエゴだった。頼むぞ。そして10人あとくらいに広澤さんがいた。広澤さんは日本人トップだ。
最近の天気予報は精度が良い。懸念していた通り、雨が降り始めた。そういえば雨中のレースは経験したことがなかった。1年生はあるのだろうか。
周りに目をやると1年の八重樫が遅れ始めていた。そっと八重樫の近づく。
「もう少し行けそうか?」
八重樫は小さくうなずいた。頑張れよと背中を叩いた。
雨が激しさを増したレースは中盤に差し掛かり、俺たちは市街地を走っていた。ここは国道を利用して走れる場所だ。警察によって1車線だけ封鎖されている。
雨に濡れた靴の中はグチョグチョで、もう1つ重ねて滑る靴下を履いている気分だった。足裏が地面を捉えられない。
「よし。少しスピードを上げるぞ」
池山さんが声をかける。俺も足の親指に力を入れた。
平和公園の入り口に差し掛かるカーブのところだった。アスファルトには水溜まりが出来ている。俺の左足がマンホールに乗っかった。その一歩は足を踏み出した感覚がなかった。一呼吸置いて、バランスを崩し外側のくるぶしの上を猛烈な痛みが襲った。しまった。雨で滑って足首を捻ったのか。
しばらく静かな戦いは続く。落ち着けと自分に命じる。ここからがレースの勝負どころだ。真っ直ぐに走る分には足首の痛みは感じない。残り7キロまでは全員で行くつもりだったが、俺がこの先でスピードを上げられるかはわからない。
俺はうちのグループの先頭に並び、
「この集団は俺が引っ張るから、もう個人で勝負してください。」
と叫んだ。山津は俺の目を見て覚悟を悟ったのか、小さくうなずき最初に速度を上げた。続けて池山さんニ丸さんも先へ行く。お願いしますと小さくなる背中を見守った。
最後の給水ポイントに近づいた。
「みんな左側に寄れ。給水したら各々ラストスパートだぞ」
「ウス。」
低い返事が返ってくる。俺もペットボトルを手に取り飲もうとした時、八重樫の手にペットボトルがないことに気づいた。
「どうした。」
「相手とぶつかって取れませんでした。」
八重樫は息も絶えだえに涙を流している。俺は1口だけ舐めて唇を濡らし、ペットボトルを八重樫の前に差し出した。
「でも…。」
「躊躇してる暇なんてないぞ。飲み終わったら死ぬ気でラストスパートだ。お前の頑張りを見せろよ!」
ペットボトルを渡し、先頭に戻る。よし、ここからが勝負だ。
「よし!行け!」
「ウス。」
数個の赤いシャツが俺を置いて走って行く。俺は解放された。ここまでかなりの速いペースで皆を引っ張って来た。集団でうちよりも速かったのは3校くらいしかいなかったのではないか。あとはもう個人の勝負だ。
平和公園内はアップダウンの他にも細かなカーブが多い。俺の足首が負荷がかかり過ぎている事を教えている。
折り返し地点が見える。昨年、足を滑らしたことを思い出した。慎重にまわる。今年は大丈夫だった。しかし急な折り返しで今度は左膝にも痛みが出てきた。
残り1キロに差し掛かった。ラストだ。
後ろに何人チームメイトが残っているのかはわからない。俺は叫んだ、
「ゴールしたら立てないくらい、全部の力を出し切って走れよ!」
何人から返事があったのかはわからない。
左足を前に進める度に痛みが襲う。俺はかまわず足の回転の速度を上げた。痛みのリズムが早くなる。
心臓の音が大きくなる。酸欠なのだろうか視界は外からだんだん暗くなってきた。
左足首の痛みは足を地面に下ろすたびに脳まで響いてくる。構うものか。俺は足の回転速度をさらに上げた。
また1人抜いた。ゴールまであと少し。視界は歪んでよく見えなかったが、そのまま一気に駆け抜けた。
ゴールした後は止まれなかった。先にゴールしてポツンと立ち止まっている選手をかろうじて避ける。
芝生の広場にそのまま倒れ込んだ。心臓のドキドキと、足首のズキズキが同じリズムで波打っている。
俺は大きくゆっくり息を吸い込み、新鮮な酸素を体に届けた。
どれくらい経ったか、顔の部分が影で覆われ体温が下がった。目を開けると山津が笑っていた。差し出された山津の手を握り、俺は起き上がった。
お前、よくあいつらを走らせたな。山津が緩く笑った。
「まぁな、俺の言う通りやれば、大体うまくいくんだよ。」
俺も笑った。
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