第11話 居酒屋かたおか

「ちょっと、あんた達!」


 明美さんが仁王立ちしている。


「しっかり前に進みなさいよ!」


 みんなが涙ながらに明美さんを見ている。


「今日は泣いてもいい。でもいつまでも泣いてちゃだめ!明日からは前に進みなさい!」


 仁王立ちが肝っ玉母さんみたいだ。


「あんた達、『かたおか』の事、知ってる?昔、『かたおか』は『かたおか』じゃなかったんだよ。」


 ちょっと何を言っているのかわからない。明美さんの真意を知ろうと顔を見つめる。


 明美さんが言うには『居酒屋かたおか』のおばちゃんの苗字は角岡かくおかなのだそうだ。


 旦那さんと知り合って30年前から『居酒屋カクオカ』を営んで来た。旦那さんが体調を崩し始めた頃、目の前に大学が出来た。旦那さんは世話好きで学生に大盛りを食べさせるのが好きだった。


「貧乏だからって死なれたらたまらんだろ。感謝するんだったら、生きてどっかでこの恩を返せ。」


 が、旦那さんが学生に言う口癖だった。学生の相手をしている時はいつも笑顔で普段通りの旦那さんだった。病気なんてしていないみたいに。

 しかし確実に病魔は蝕んでいて、ついに旦那さんは倒れた。


 おばちゃんは店を閉めて旦那さんの看病に専念した。でも旦那さんは体調が良いとすぐに店の事を聞いてくる。「お前がやらないなら俺がやる」と喧嘩にもなった。

 闘病を頑張る条件でおばちゃんは店を再開した。お店と看病、続けられるか不安だった。でも1人で店をやってみると、体は毎日疲労困憊なのだが、確かに学生の相手をしている時は疲れを感じなかった。お父ちゃんが感じていたものはこれだったのか。若い笑顔に本当にエネルギーをチャージされていた。おばちゃんはやめなくて良かったと思った。


 だから旦那さんが亡くなって、息子夫婦が「うちにおいで」と言った時も行かなかった。


「お父ちゃんのデッカい意思を継いで私も頑張るよ!」


 と『カクオカ』の『ク』にでっかい『点』を書き込んで、それからは『居酒屋カタオカ』として商売を続けた。


 そんなおばちゃんにまた悲劇が起きる。台風直撃の夜、近くのビルの広告看板が剥がれて飛んだ。台風の猛威に経年劣化の留め具が勝てなかったのだ。

 翌朝、台風一過の朝日に照らされていたのは、看板が直撃して入り口側の壁が暖簾ごと根刮ぎ無くなった『居酒屋カタオカ』だった。


 おばちゃんの年齢を鑑みて、周囲から「もうゆっくりしたら」の声もあったが、おばちゃんは折れた心のまま余生を過ごすなんて出来ないと思った。お父ちゃんの事、学生の事が頭をよぎった。まだまだやれる事がある。お父ちゃんの想いと一緒に。

 おばちゃんは店を再建した。その時に暖簾をカタカナからひらがなにした。


『居酒屋かたおか』


 この店は新しく私が続ける店だ。


「そういうこと!わかった?」


なぜか明美さんが誇らしげだ。ま、あの時の恩を私も返してる途中だけどね。と付け加えて明美さんの演説が終わった。


 確かにおばちゃんの人生は過酷だった。それに比べたら…。俺も頑張らなくちゃ。


「はいよ。」


 おばちゃんが、大盛り野菜の上に大量のしょうが焼きがドーム型に積まれた皿を2つ持って来た。


「おばちゃん、俺らこれ注文してないです。」

「いいんだよ、これはおばちゃんからのサービスだ。」


 戸惑いの空気が流れる。


「泣けるって事は本気で向き合った証拠だろう?本気で真剣に取り組んだ人にしか悔し涙ってのは流せないもんさ。あんた達はその涙を流せてるんだ。あんた達には次があるよ。」


 おばちゃんの言葉が心に染みた。


「これ食べて明日からまた頑張りな!」


「…ウス。」


 宴会場には鼻水をすする音と生姜焼きの匂いがいつまでも漂っていた。

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