第6話 スタート

 真っ赤なランニングシャツに白いパンツ。胸には「東常経済大」と白地でプリントされている。これが俺らの戦闘服だ。


 午前9時25分。俺と山津は他の選手達と一緒にスタート前の自衛隊駐屯地の滑走路に立っていた。気温は5度。


「ちょっと寒いな。」


 腕を擦って暖を取りながら隣にいる山津に話しかけた。


「だから俺はTシャツにしたんだ。」


 大して変わらないけどな、と固まった笑顔で答える。


「お前らもいたのか。」


 山津の後ろから声がする。知ってる顔だ。確か…


「なんだよ、高橋。」


 代わりに山津が答えた。


 テレビで見覚えのある藍色に白い斜め線。足首まであるベンチコートの胸には黄色で『東海農業大学』と書かれている。画面越しに見るより藍色が濃く感じる。圧が強い。これが伝統校ってヤツか。


「あら?お前は高校でやめるんじゃなかったのか?」


 高橋は高校の対抗駅伝の『区間賞表彰式』で一緒になった。いかにもエリートらしく高慢な感じが鼻についたので、当時は適当に理由をつけて話を切り上げたのだった。


「しかしなんでこんな後ろにいるんだろうな。もっと前に行けばいいのに。」


 高橋を無視して俺は山津に話しかけた。


「お前らついてないなぁ。こんな後ろからか。俺はシードだから前からスタートだけどな。」


 本当にいちいち鼻につく。


「シードって言ったって、昨年の本戦でシード落ちしたんだろ。俺らと立場は一緒じゃねーか。」


 山津が言った。


「あはは、そうとも言うけどな。まぁ頑張れよ。じゃあな」


 スタート方面に戻る高橋を見送る。藍色のベンチコートの背中からは湯気が立ち昇っていた。


 昨年の箱根駅伝でシード権が取れなかった学校は俺らと同じく予選会からの参加になる。その場合、スタートラインからまず本戦の順位順に配置され、その後のスタート位置の順番は抽選で決められることになっていた。


 参加は全部で47校。俺たちは後ろから5校目だった。シード校のすぐ後ろだったら差は2秒もない。なのに間に20人もの人がいるのだ。確かについていない。


「はい。位置についてー」


 係員の声がした。


 前列にいた高野主将が振り向き、それをきっかけに円陣を作る。


「いいか、俺の事や学校側の思いなんて気にするな。ここからは個人競技だと思え。」

「ウス。」

「精一杯走ろう。」

「ウス。」


 高野主将が拳を円の真ん中に突き出す。それに連鎖するように次々と拳が集まる。拳の輪が出来た。高野主将が大きく息を吸い込む。


「東経大!ファイト!!」

「オー!!」


 円陣が解かれ10人は2列に並んだ。


 2列目の1番外側で軽くジャンプをしている大柿先輩に高野主将が近づく。闘魂注入の如く背中をバシっと叩いた。2人は無言で見つめ合っている。高野主将が小さく頷いて戻って行った。続いて同期の宮本先輩も同じ事をした。そのあと2年の先輩達も続いた。

 先輩の背中を叩くなんてと思ったが、俺たち1年が入るまでは主メンバーとしてずっと戦ってきたのだ。持ちタイムに差があれど、目指すモノは変わらない。『俺も頑張る。お前も頑張れ。』先輩達の深い絆を感じた。


 誰も言葉は発しなかったが予選突破の鍵は大柿先輩が握っている事はわかっている。大柿先輩の目が潤んでいたのは寒さのせいだけではないだろう。


「頑張りましょうね。」


と飯田が声をかけた。大柿先輩が頷く。先輩が真面目に走っているのは俺らも知っている。大丈夫。俺らがその分、速く走れば良いだけだ。


 とは言え俺も人を気にする余裕などなかった。手足に力が届いていない感じだ。


 役員がスタート台に登る。


 集団が前に動く。俺も前の秦先輩の背中を追って前に詰める。少しでもスタートラインに近づきたい。


「よーい!」


バァーン!


 午前9時35分。ピストルの号砲が鳴り響いく。

 一斉に動き出した600人の足音で滑走路が地鳴りした。

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