第3話 お誘い

「四ツ谷、ちょっといいかなぁ。」


 高校3年の秋。いつになく真面目な顔をして山津が話しかけてきた。また漫画を貸して欲しいのか。雑誌を持って近寄る。 


 春のクラス替えで、俺と山津は同じクラスになっていた。元々人付き合いの苦手な俺は友達がいなかったし、恒例行事で駆け引きをして、どちらから先に距離を縮めるかみたいなモヤモヤ期も嫌いだったので、山津がいてくれて本当に助かった。

 2年の対抗駅伝以降、陸上部にこそ入らなかったが、時々長距離の練習に参加させてもらっていた。


「四ツ谷はもう走りたくないのか?」


 校庭が見える窓側の机に腰掛けながら、山津が真っ直ぐな目で問いかける。茶化そうと思ったが、それを許さない真剣な眼差しだった。

 俺も目を見返す。漫画が読みたいんじゃないのか。俺は雑誌をそっと後ろの机に置いた。


「なんだよ、やぶからぼうに。」


 俺も机に腰掛け、わざとらしくため息をつく。


「俺はどこかの哲学者みたいに「走って!走って!走れ!」みたいな人生は御免なんだよ。」


 昨日読んだ「偉人名言集」の覚えたての言葉を引用する。だがそれだけだ。本当はどんな時に使うべき言葉なのかわからないし、深い意味も知らない。


 俺が次の言葉を探していると、山津が口を開いた。


「四ツ谷の決意が固いところ、アレなんだけど…」


 いや、沈黙はそういう意図ではない。内心頭を掻く。


「一緒に箱根、行かないか?」


 少し考えた。


「う〜ん。今はこづかいがなくてだな…」

「ボケのつもりか?」


 山津がニコリともせずにすぐツッコミを返してきた。


「ご、ごめん。言わずにはいられなかった。」

「そうか、まぁいいや。それより俺はさ、3年の対抗駅伝が終わってからずっと真剣に考えてたんだ。」


 山津が自分の拳を見つめている。


「このまま終わっていいのか。俺はもっと走れるんじゃないか。もっと速くなれるんじゃないかって。お前だってそうだろう?」


 いや、俺は別に何も思ってはいない。


「だから俺は対抗駅伝のビデオとラップタイムを持っていくつか大学を当たってみたんだ。」


 山津が俺の方を向いた。


「そうしたらその中で一つだけ、監督自らが会ってくれて『俺たちも本気で箱根駅伝初出場を目指しているから、お前らも本気でやりたいならうちに来い』って言ってくれたんだよ。」


 西日のせいで山津の目がキラキラして見える。


 それは良かったな。…ん?

 違和感を感じて山津の会話を思い返してみる。


「ら?」


 気づかれたか、と山津が罰の悪そうな顔になった。


「今、『お前ら』って言ったよな。『ら』って、お前と俺か?」


 自分と山津を交互に指さしながら言うと、急に山津が拝むように両の手のひらを合わせた。


「すまん!向こうが箱根駅伝の予選会にエントリーするのに、あと2人足りないって言うから『もう1人います』って言っちゃったんだよ。まだまだ伸び代があるって言ってくれてるし。それに…」


山津が俺をチラッと見た。


「レセプションレースに合格したら、入試合格ラインの1/3の点数で良いんだって。そのぅ…、四ツ谷は勉強が…、アレだろう?」


 余計なお世話をしやがってと山津を睨んだが、心は少し動いていた。正直、進学出来るとは思っていなかったから別に大学を探してもいなかった。進学出来るならそれはそれでありがたい。


 俺が黙っていると、最後のプレゼンとばかりに山津が話し出した。


「俺たちで箱根駅伝の歴史に名前を刻もうぜ。大学もまだ出来て日が浅いからこそ、箱根駅伝で名を売りたいんだ。学校も本気なんだよ。俺も本気で四ツ谷ともう少し走りたいんだよ!」


 熱く語る山津の後ろから急に人影が飛び込んで来た。

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