イルカ族

 イルカ族の赤ん坊は、生まれるとすぐ、顎の骨にハッキングツールを埋め込まれる。かつては歯が生えてから奥歯にかぶせるタイプの「歯ッキングツール」を使っていたが、いまの方法になって、意識の発生段階から働きかけて無意識の構造にまで介入できるようになった。イルカ族の者らはみな、高周波成分を多く含むノイズのような声で、ささやくようにして話す。彼らの発する音はツールを通して集団としてのイルカ族へと伝えられ、また逆に、集団としてのイルカ族のメッセージがツールを通して個々のメンバーに伝えられる。

 だからイルカ族はみな子供の頃から、集団に対してしか語りかけたことがない。聞くところによれば、イルカの群では、海の水が幽かな音も遠くまで伝えるため、誰かが発したどのような声もグループの全員にまで届いてしまうらしい。その類似からイルカ族と呼ばれているのか、それともそもそもイルカを手本としたからなのか、彼らは確かにイルカに似ている。我々であれば一人だけで抱える秘密、あるいはせいぜい一生に一度、親密になった他の一個体に打ち明けるかどうかというような内密の願い、欲望、癖なども、イルカ族ではすべて全員に筒抜けである。彼らの間にはどんな隠し事もない。彼らの中にも個性はあるが、どのような個性も、その欲望や癖、風変わりな思いつきなどをすべて含めて、他のメンバーに伝えられてみんなの心の中に内面化されている。彼ら一人一人の中にはグループ全体が生きている。彼らの心の鏡には、他のメンバーたちがくっきりと映し出されていて、そしてそのどのメンバーの中にも万華鏡のように自分が映っている。このように、彼らはみな緊密な心と身体のネットワークに組み込まれていて、子供でありながらも同時に大人でもあり、老人でもあり、男でありながら女であり、女でありながら男であり、強くても弱く、弱くても強く、陽キャラでありながらも陰キャラで、逆もまた同様で、つまり一人の個体は他の全員の人生を同時に生きている。だから、誰かが死んでいっても喪失感はなく、誰かが生まれても、自分の体重が少し増えたような感じしか持たないのだ。

 彼らは我々と姿は同じで、我々に混じって一緒にくらしている。声は聞き取りにくいがなんとか会話もできるし、言葉も同じだ。ただ、彼らを我々とおなじ「種」だと言い切ってしまってもいいものなのか、学者たちの間でも意見は分かれている。なぜなら、彼らは決して我々と交接をしない。我々も彼らを交接の対象として見ることには強い禁忌の念を感じるのだ。そもそも、彼らには結婚という概念はない。彼らは年に一度、秋の満月の夜に広い公園に集まって彼らだけで閉じこもり、夜中まで妙な歌を歌い、それから乱交する、らしい。我々は誰も見たことがないから、結果から推測するしかないのだが、とにかく彼らの女たちはそうやってその満月の夜に一斉に身籠るのだ。それは、やはり満月の夜に一斉に卵子と精子を放出し合う魚やサンゴを思わせる。朝になると、公園には精液や血の跡のほかに、いくつもの死体が残されている。死体の中にはむごたらしく暴力を振るわれた跡のあるものもあれば、どうして死んだのか分からない、きれいな死体もある。

 イルカ族は我々よりもはるかに短命だ。年を取り、ささやくことが少なくなるにつれて、彼らは次第に集団としてのイルカ族から忘れ去られる。そうして集団から切り離された個体は力を失い、歩道の段差に躓いたり、後ろで大きな音がしたというようななんでもないようなことをキッカケにしてあっけなく死んでしまう。彼らが死ぬのも秋の終わりが多い。彼らの死体はたいてい我々よりも軽く、水分もはるかに少ないので、火葬場で焼くときにも重油が少なくてすむ。それに正直なところ、彼らの死体はちっとも死んだという感じがしない。ただ誰かと入れ替わったという印象があまりにも強いため、不吉とか悲しみといった感情はわかず、ただ冬になって枯れ落ちる葉を見るような思いがする。イルカ族の小さなささやき声に耳を傾けていると、彼ら自身、そんなふうに死を捉えているように思われてならないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る