41. 悪魔の身内


 「さ、紗代ちん、後ろのソイツ、なに……っ……!?」

 「あァん? 後ろって────」

 「危ないっ!!」


 例の女子グループの中心であり、苛立たしげに周囲に当たり散らしていた少女──稲葉さんが後ろを振り返るのとほぼ同時に、彼女の背後に立っていた黒い小さな人影が彼女へと手を伸ばし、


 『キャハハ────ッ!?』

 「待てっ!」


 すんでのところで、司が割って入った。


 「なっ、なんだオマエ!?」『出たな、悪魔の身内っ!』


 少女の声と、不可思議に反響する小鬼の声がダブって聞こえる。

 こいつの“声”は、この子たちには聞こえていない?


 「稲葉さんっ!」

 「いっ、乾っ!? オマエっ、なんで……」


 今まさに背後から襲われそうになっていたことに気付いたのか、怯えた様子で少女は瑞希に問いかけた。


 一方の司は、小鬼とじりじり間合いを測り合っている。

 さっき一瞬腕を掴んだ時の力加減から察するに、どうやら奴には見た目通り小学生の男の子くらいの力しか無いようで、不利と悟ったのかすでに逃げ腰になっている。


 「今、『悪魔の身内』って言ったな? 何か知ってるなら答えてもらおうか」

 『へ……へっ! 知るもんか! いいか? オレに手出しなんかしたら────』


 そう言うが早いが、小鬼は女子たちの前に立ち塞がる瑞希に素早く近づくと、腕と襟元を掴んで膝をつかせた。


 「わあっ!!?」

 『へっへーん! このオンナがどうなっても知らねーぜ!!』


 脅迫のつもりだろうか、小鬼はギラリと目を光らせて、牙の生えた口元を不敵にゆがめる。


 「くっ……」

 『残念だったなっ、妹も救えない半人前ニンゲンっ!』

 「え……」


 思いがけない言葉に、司はつい目を見開いてほうけてしまう。


 『へっ、やっと久しぶりにんだ。オマエのあの悪魔オンナも、巫女もどきもまだチカラ不足みたいだし、これからはオレ様の天下だぜっ!!』


 やけに子供っぽい小鬼の声が、勝ち誇ったように響き渡る。

 それでも近くにいる少女たちには聞こえていないようで、不安そうに司たちと小鬼との間で視線を動かすだけだった。


 そんな時、


 「────何を言ってるのかは分からないけど」

 「…………瑞希?」


 無感情な声とともに、ゆらり、と瑞希の身体が動く。


 「……ボクの友達をっ、バカにするなぁーっ!!!」

 『ぐへえっ!?!?』


 刹那、瑞希に掴みかかっていた小鬼が、綺麗な弧を描いて地面に叩きつけられた。

 これは、柔道や合気道のような投げ技?


 小鬼を見事組み伏せた瑞希は、そのまま小鬼の体にまたがり押さえつけている。


 『くそぉっ、はーなーせーっ!! オンナのクセに、なんでこんな力がっ』

 「お前が謝って、ちゃんと司さんたちとお話しするなら放してあげるよっ」

 『あやまるっ、あやまるからっ! 悪かったなぁ、半人前……あががっ!?』

 「反省してない! やり直しっ!!」

 『ぎゃあああっ! やめろっ、反省するからぁぁ!!』


 正体不明の小鬼とはいえ、見た目は子供な相手に容赦なく締め技をかける瑞希。


 「あのー、瑞希? 何もそこまでしなくても」

 「こういう子は、多少痛い目に遭わせないと反省しないからっ、ねッ! 大丈夫、痛いだけで身体に害はない技だから」

 「……人間相手の締め技って、小鬼にも効くんだなぁ」


 なかば思考を放棄しつつ、妙な感心をしてしまう司。

 そうこうしているうちに、結衣里と羽畑さんも近づいてきた。


 「アナタね! この前、神社で四乃葉よつのはさんに取り憑いて暴れてたヤツっ!」

 「……うん、確かにあの時の感覚と一緒だ。あの時はまだ単なる邪気の塊だったけど、あれから時間が経ってカラダを得つつあるみたいね」


 結衣里はもう羽やしっぽは仕舞しまっているが、二人とも表情は真剣そのもの。

 さらに羽畑さんはいつの間にか、手におふだのようなものを持っていた。


 「きっとウチのおやしろが壊れたことで、封じられていた邪気が漏れ出したんだと思う。しかも、私の感情に呼応することで、子供みたいな姿と性質を得てしまった……。舞月神社の娘として、落とし前は付けないと」

 『ま、待てっ、待てよっ!? オレはただ、鬱屈うっくつしてるそのオンナの気持ちを晴らさせてやろうとしてただけだっ! ニンゲンは素直じゃなくて、心の中に悪いモノを溜め込むイキモノだからっ! 解放してやろうとっ!! だからっ、オレは悪くないもん!!』


 駄々っ子のようにわめくようでありながら、小鬼が叫んだ言葉自体は、司たちには理解できずともそれなりに理路整然としているように感じられた。

 どうやらオカルトはオカルトであっても、それなりの理屈でもって動いているものらしい。


 「だからって、それをどこでも発散していいものじゃないの。家族とか友達とか、信頼できる人の前で、あまり迷惑をかけすぎない範囲でじゃないと。間違ってもヘンな邪気にそそのか されて、こんな往来で爆発させていいモノじゃない。人間には人間のルールや常識があるの。そういうものをちゃんと理解できるまで……それまで、アナタはまだ“神様”とは呼べない。悪いけれど、もう一度封印させてもらうわ」

 『ま、待っ』


 羽畑さんがお札をかざし、祝詞のりとを上げ始める。



 「────“逢生あおいの山にいます、かけまくもかしこ大水主上オオミズシノカミよ。水が妹背いもせ月花姫ツキハナノヒメよ。みねよりふる気降けぶりにりて、みましの子らをしづめ給え”────」



 彼女の、神聖さすら感じる透き通った声が響き、倒れ伏した小鬼の姿が徐々に透け始める。


 『や、やめ…………イヤだ、イヤだイヤだっ! オレだってっ、オレだってここにいたいんだッ! やっとこの世に帰ってこられたのに…………こんな……こんなっ…………!』

 「……この世に、帰ってこられた……か」


 泣き叫ぶような小鬼の切なる声に、思わず感じ入ってしまう。


 きっとこの“鬼”は、見た目の通りまだ生まれて間もない子供なのだろう。

 それゆえ周囲を、人間の社会を理解できず、欲望のままに人や天気を振り回してしまう。

 いわば、赤ん坊なのだ。


 羽畑さんはこの鬼のことを「“神様”とは呼べない」と言った。

 ならば、きちんと成長した鬼……すなわち、“神様”だっているはず。

 真っ当に成長した、人ならざる存在────


 ────司には、心当たりがあり過ぎた。


 「なあ、鬼さま。消える前に教えてくれ。俺を『悪魔の身内』って呼んだのはどうして? 『半人前』っていうのは、どういう意味なんだい?」


 司は小鬼の目の前にしゃがみ込んで、訊ねる。


 「お兄ちゃん……?」

 「司くん……?」


 結衣里も羽畑さんも怪訝けげんそうな顔をするが、司は気にも留めずにじっと“小鬼”の目を見据えている。

 正直、何から何まで司の理解を超える出来事だったが……それでも、この“小鬼”が司の一番知りたい情報を知っていることだけは確かだったから。


 ある日突然、“悪魔”になってしまった結衣里。

 いきなり現れた“小鬼”。

 両者に何も関係が無いと考える方が不自然だろう。

 ましてや、この小鬼は司に、「悪魔の身内」などと言ったのだから。



 『そこのオンナ……オマエの妹。アイツらの匂い、する。きっとソイツは、今じゃ悪魔なんて呼ばれてるアイツらの────……ズルいや。オレだって、そんな風に……────』



 だが、詳しいことを聞き出す前に、“小鬼”のカラダは霧のようにかき消えていった。

 最後に小さくそっと、寂しそうな呟きを残して。


 その声が、妙に胸に刺さるような気がした司は、


 「…………大丈夫。きっとまた、会えるさ」


 なぐさめるような優しい声音で、自然とそんな言葉を口にしていた。

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